第39話 慣れてしまった人々
慣れるのは、早かった。
水路が壊れても、
畑が一部使えなくなっても、
人々は騒がなくなった。
「補償が出る」
その一言で、話は終わる。
集会所に集まる人数も、
少しずつ減った。
決めることが、
減ったからだ。
「今日は、
何かありますか?」
制度側の担当官が聞く。
誰も、答えない。
「特に……」
誰かが言う。
特にない、という言葉が、
ここまで重くなったのは初めてだった。
若者は、
集落を歩く。
以前なら、
すぐに目に入った違和感が、
見えにくくなっている。
歪んだ柵。
軋む床。
水の流れの癖。
分かっている。
だが、
気にしなくていい理由が、
先に浮かぶ。
——基準内。
——補償対象。
——契約済み。
子どもたちが、
壊れた水路の近くで遊んでいる。
「そこ、危ないぞ」
若者が言うと、
子どもは首を傾げた。
「でも、
大丈夫って」
誰が、
そう教えたのか。
若者は、
答えられなかった。
夜、
焚き火の前で、
数人が話している。
「昔はさ、
よく集まってたな」
「決めること、
多かったからな」
「今は……
楽だ」
笑い声が、
少しだけ響く。
その「楽」は、
重さを伴っていない。
アルトは、
少し離れた場所に座っていた。
誰も、
彼に話しかけない。
頼らない。
期待もしない。
それは、
正しかった。
だが、
寂しかった。
帳面を開く。
《会合参加者:減少》
《自主点検:減少》
《判断回数:減少》
数字は、
正直だ。
だが、
一番大事なことは、
書けない。
——気づく力。
翌日、
商業連合の男が言う。
「安定しています」
「理想的な状態です」
誰も、
反論しなかった。
若者は、
その言葉を聞きながら、
胸の奥が、
静かに冷えていくのを感じた。
——これは、
守られているんじゃない。
——眠っているだけだ。
夕方、
遠くで、
小さな音がした。
木が、
きしむ音。
誰も、
立ち止まらない。
若者は、
一瞬、足を止める。
だが、
すぐに歩き出す。
——あとでいい。
その「あと」が、
来ないことを、
まだ誰も知らない。
アルトは、
焚き火を見つめながら思う。
——境界は、
壊れるとき、
音を立てない。
——人が、
気にしなくなったとき、
もう、壊れている。
夜は、静かだ。
あまりにも、
静かすぎる。
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