第30話 狭くなった余白
人手は、明確に足りなかった。
朝の見回り。
水路の点検。
家畜の世話。
そして、判断。
以前なら、自然に分担されていたことが、
今は一人ひとりの肩に重くのしかかる。
「……今日は、どこから行く?」
若者が地図を広げる。
返事が、少し遅れる。
皆、疲れていた。
判断することに。
「先に水路だ」
「いや、柵が危ない」
「両方、
今日中にできるか?」
沈黙。
アルトは、口を出さなかった。
ここは、彼の決める場所ではない。
結局、
水路を優先することになった。
判断は妥当だ。
だが、
余白は、狭くなっていた。
午後、柵が倒れた。
強風ではない。
少し強めの突風だ。
家畜が一頭、逃げた。
捕まえられたが、
足を痛めていた。
大きな被害ではない。
だが、
皆の顔に疲労が浮かぶ。
「……俺たち、
抱えすぎてないか」
誰かが、低く言った。
否定できなかった。
引き受ける覚悟はある。
だが、
引き受けられる量には、
限界がある。
夜、焚き火の前。
若者が、アルトに言った。
「先生、
俺たち……
余白を持ちすぎですか」
アルトは、すぐに答えなかった。
火を見つめ、
少しだけ考える。
「余白は、
広がると危険だと言ったな」
「はい」
「だが、
狭すぎても、
人を壊す」
若者は、息を呑む。
「じゃあ……」
「調整する」
アルトは、初めて指示を出した。
「全部、
引き受けるな」
「今日は、
やらない判断も、
引き受けろ」
若者は、戸惑う。
「やらない……」
「放置じゃない」
「延期だ」
翌日、
集落は、いつもより静かだった。
直すはずだった柵は、
仮の支えだけに留める。
水路の補修も、最低限。
誰かが、不安そうに言う。
「これで……」
「いい」
若者が答える。
「今日は、
ここまで」
夕方、
小さな雨が降った。
柵は持ちこたえ、
水路も問題ない。
完璧ではない。
だが、
壊れてもいない。
夜、アルトは帳面を開く。
《作業延期》
《理由:判断過多》
《結果:問題なし》
そして、一行を書き足す。
《余白には、
幅がある》
ペンを置く。
余白は、
多ければいいわけでも、
少なければいいわけでもない。
それは、
人の強さに合わせて、
変えなければならないものだ。
焚き火が、静かに燃える。
遠く、制度の町の灯りが見える。
あちらでは、
判断が足りない。
こちらでは、
判断が多すぎる。
世界は、
常にどちらかに傾く。
大切なのは、
傾いていると、
気づけることだ。
アルトは、火を見つめながら思った。
——次は、
この“調整”を、
誰が担うか、だ。
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