第24話 研究対象アルト
最初に気づいたのは、弟子だった。
「先生……
これ、うちの記録ですよね」
差し出された紙には、見覚えのある言葉が並んでいた。
《判断者が責任を引き受ける》
《引き受けられない判断は、するな》
《余白は広げられない》
文字の癖も、行間の取り方も、
確かにアルトの帳面から写されたものだった。
「誰が書いた?」
「……街の学者です」
弟子は、言いにくそうに続ける。
「“遅延補正理論”とか、
“余白設計思想”とか……
名前も付いてます」
アルトは、しばらく紙を見つめていた。
怒りはない。
だが、嫌な予感があった。
数日後、正式な訪問があった。
都市国家から派遣された調査団。
学者二名、官僚一名、記録係。
全員が礼儀正しく、敵意はない。
「あなたの思想を、
研究させていただきたい」
代表の学者は、率直に言った。
「誤解のないように。
あなたを崇めたいわけではありません」
「なら、
なぜ名前を付けた」
アルトは、淡々と問う。
学者は一瞬言葉に詰まり、
正直に答えた。
「分類しなければ、
扱えないからです」
その答えに、
アルトは小さく息を吐いた。
「私は、
理論を作った覚えはない」
「承知しています」
「なら、
なぜ研究する」
官僚が口を挟む。
「制度に組み込めるか、
判断したいのです」
その一言で、
部屋の空気が変わった。
「できません」
即答だった。
「あなた方が扱っているのは、
“結果”です」
「私は、
“引き受け”しか書いていない」
学者が食い下がる。
「しかし、
結果として人が救われている」
「結果は、
運です」
アルトは、はっきり言った。
「運を制度にすると、
人は考えなくなる」
沈黙。
「あなたは、
世界が間違うのを
放置するのですか」
その問いに、
アルトは初めて視線を上げた。
「いいえ」
「私は、
世界が間違える速度を
下げたいだけです」
調査団は、何も言えなかった。
彼らが欲しいのは、
再現性のある答えだ。
だが、ここにあるのは、
再現できない態度だけだった。
数日後、彼らは帰っていった。
だが、
帳面は残った。
アルトの記録は、
写本として流通し始めた。
注釈が付き、
章立てされ、
“理論”として整えられていく。
北方の集落に戻り、
アルトは一人で帳面を広げた。
同じ言葉が、
違う意味で読まれていく。
余白が、
文字に閉じ込められていく。
アルトは、ゆっくりと帳面を閉じた。
——ここまでだ。
夜、焚き火の前で、
弟子に言った。
「私は、
これ以上、
説明しない」
「教えないんですか」
「教えると、
“正解”になる」
弟子は、黙って聞いている。
アルトは、帳面の最初の頁を破った。
そして、最後の頁も。
残ったのは、
途中の記録だけだ。
「必要な人は、
ここから考えろ」
「答えは、
どこにも書いていない」
紙が、火にくべられる。
文字が、形を失う。
それでも、
意味はもう、外に出ている。
アルトは、炎を見つめながら思う。
——思想は、
持ち主を必要としない。
だが、
責任は、持ち主を選ぶ。
次は、
その線を
はっきり引く番だ。
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