第23話 余白は、広げられない
村は、静まり返っていた。
騒ぎは収まり、
負傷者の命も落ち着いた。
だが、空気は戻らない。
人々は作業を再開している。
畑を耕し、木を切り、
いつも通りの暮らしをしているはずなのに、
会話が減っていた。
「……あれは、
余白だったのか?」
誰かが、ぽつりと呟く。
問いは、誰にも向けられていない。
だから、誰も答えない。
アルトは、村の集会所に呼ばれた。
簡素な木の建物。
いつもなら、議論が飛び交う場所だ。
今日は、違う。
代表が口を開く。
「我々は、
北方のやり方を真似しました」
「だが……
うまくいかなかった」
責める口調ではない。
助けを求める声でもない。
ただ、
どう理解すればいいのか分からない声だ。
アルトは、しばらく黙っていた。
急げば、答えは出せる。
だが、それでは意味がない。
「余白は、
広げられるものではありません」
その一言で、
人々の視線が集まる。
「広げると、
責任が薄まる」
代表が、眉をひそめた。
「だが、
制度では間に合わない時がある」
「あります」
アルトは頷いた。
「だから、
余白は必要です」
矛盾している。
だが、アルトは続けた。
「余白は、
持てる人間が、持つものです」
誰かが、反射的に言った。
「選別するのか?」
「いいえ」
アルトは首を振る。
「自然に、分かれます」
人々は、顔を見合わせる。
「引き受けられる人間は、
引き受けた後も、
その場に残ります」
「逃げません」
「言い訳をしません」
沈黙。
「そうでない場合、
余白は、
ただの穴になります」
若い男が、声を上げた。
「じゃあ、
俺たちはどうすればいい!」
怒りではない。
恐れだ。
アルトは、その目を見て答えた。
「戻ることです」
ざわめきが起きる。
「制度に?」
「ええ」
「それは……」
「負けではありません」
アルトの声は、穏やかだった。
「引き受けられない判断を、
しないことは、
逃げではない」
代表が、深く息を吐いた。
「……我々は、
急ぎすぎたのか」
「いえ」
アルトは、否定する。
「境界を、
知らなかっただけです」
そして、はっきりと言った。
「余白は、
守るためのものです」
「変えるためのものではない」
その言葉に、
村の空気が、少しだけ緩んだ。
全員が納得したわけではない。
だが、
全員が理解しようとし始めた。
集会が終わり、
アルトは外に出た。
雪解け水が、
静かに流れている。
弟子が、後ろから来た。
「先生……」
「言うな」
アルトは、先に遮った。
「これは、
私の判断だ」
「止めなかったのも、
線を引かなかったのも」
弟子は、黙って頷いた。
「覚えておけ」
アルトは言う。
「余白は、
広げると、
誰のものでもなくなる」
夜、集落に戻り、
帳面を開く。
《近隣村対応》
《結論:制度へ戻す判断を支持》
そして、太字で一行。
《余白は、
広げられない》
ペンを置く。
この言葉は、
いずれ誰かに拾われるだろう。
理解のために。
あるいは、
別の誤解のために。
焚き火の火が、
静かに揺れている。
次は、
世界がこの言葉をどう扱うかの番だ。
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