第12話 戻らない場所
春は、北方にも訪れていた。
雪解け水が引き、土が顔を出し、
集落の周囲には小さな畑が広がり始めている。
鍬を打つ音が、一定のリズムで続いていた。
アルトは、その音を聞きながら、古い杭を抜いていた。
境界を示すためのものだ。
位置が少しずれていた。
「ここじゃないな」
「じゃあ、どこです?」
「水が溜まる場所を避けて、
それでも遠すぎないところ」
若者が頷き、杭を持ち直す。
迷いはない。
分からなければ聞き、納得すれば動く。
それでいい。
昼過ぎ、集落に一通の文が届いた。
王都からではない。
封蝋は、見慣れない紋章だった。
周辺都市国家のものだ。
内容は簡潔だった。
あなたが設計に関わった王国について、
近年、興味深い統計変動が見られる。
話を聞かせてほしい。
アルトは、文を読み終え、静かに畳んだ。
「……来たか」
誰かが噂を聞きつけるのは、時間の問題だった。
数字は、国境を越える。
思想よりも早く。
若者が、不安そうに尋ねる。
「行くんですか」
「行かない」
「理由は?」
「話すと、使われる」
「悪いことに?」
「正しいことに」
若者は、すぐには理解できなかった。
だが、追及しなかった。
夕方。
アルトは、帳面を開いた。
第1ページには、もう古い記録がある。
《王都・制度設計官》
その肩書きの横に、線を引く。
次のページには、今の記録。
《北方・共同体設計》
簡素な言葉だ。
だが、こちらのほうが、はるかに重い。
彼は、新しいページをめくり、書き始める。
《目的:
壊れたときに、
戻れる場所を作る》
書き終え、少し考え、付け足す。
《規模は、小さく》
《速さは、求めない》
《判断は、人がする》
これが、答えだった。
夜。
焚き火のそばで、人々が集まる。
今日の失敗が、話題になる。
「水路、また詰まりました」
「石、削りすぎだな」
「じゃあ、明日直そう」
笑いが起きる。
誰も責めない。
誰も隠さない。
失敗は、ここにある。
だから、修正できる。
アルトは火を見つめながら思う。
——王国は、回り続けるだろう。
——英雄も、制度も、まだ立っている。
だが、
自分が戻る場所ではない。
戻れば、
また“遅れた正しさ”の一部になる。
それだけは、選ばない。
焚き火がはぜる。
遠く、王都の方向に、微かな光が見えた。
あそこにも、人はいて、
今日も「正しい判断」が下されている。
それでも、世界は一つではない。
アルトは、帳面を閉じ、最後に一行書き足した。
《私は、国を捨てたのではない》
《国より先に、
“戻れる場所”を選んだ》
その言葉を見て、彼は静かに息を吐いた。
物語は、ここで終われる。
だが、
この設計が、
世界にとってあまりにも異質である以上——
必ず、
誰かが見つけ、
誰かが真似し、
誰かが間違える。
そしてそのたびに、
新しい問いが生まれる。
火は、まだ消えない。
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