川岸の邂逅と、歪んだ観察者の誕生
非モテの静かな嘆き
午前7時15分。湿度が高く、今にも雨が降り出しそうな朝。
高校二年生の**桜井 悠真**は、今日もまた、自分の存在が周囲から切り離されているのを感じていた。クラスの女子たちが楽しげに交わす「昨日の彼氏の話」も、「新しいコスメの話題」も、彼の耳にはノイズとしてしか届かない。
悠真はモテない。それどころか、存在感がない。
「なんで俺だけ、こんな透明人間なんだよ」
彼の性的な興味や、誰かに愛されたいという渇望は、毎日、彼の内側で燻り続けている。しかし、そのエネルギーを注ぐ相手も、出口もない。
そんな彼の唯一の非日常は、河川敷を歩くことだった。
その日、朝露に濡れた草むらの根元に、奇妙な文庫本が半ば泥に埋もれて横たわっていた。それは、背表紙が剥げかかった古びた一冊。
『究極の催眠術入門:たった一週間で異性を操る禁断のテクニック』
悠真は、誰にも見られないことを確認し、それを拾い上げた。湿気を吸った紙の感触が、手のひらに貼りつく。タイトルが、彼の燻る渇望を、一瞬にして点火した。
本を開くと、異様に詳細な記述が目に飛び込んできた。
...催眠術は、術者の圧倒的な自信が核となる。しかし、初期の段階では、自信の代わりに、対象の物理的・精神的な条件を徹底的に操作する必要がある。これは、対象の*『理性』*という防護壁を、環境と心理で削り取る作業である。
初期段階の最重要課題:【ターゲットの徹底的な観察と、弱点の特定】
悠真は、心臓の鼓動が早くなるのを感じた。これはただのオカルトではない。人を操作するための、綿密なマニュアルだ。
彼は、その本を、まるで禁断の聖典のように、制服のブレザーの内ポケットに隠し込んだ。
最初の獲物、星野葵
その日の夕方。悠真は図書館の隅で、ターゲットを定めていた。
ターゲット:星野 葵。
彼女は、学年一の才女で、誰もが認める孤高の美しさを持っている。常に他者を寄せ付けない澄んだ瞳と、知的な空気を纏う彼女に、男子生徒は誰も声をかける勇気がない。彼女の存在は、悠真にとって、手の届かない**『女王』**だ。
「この女王を、俺の掌で転がすことができたら……」
悠真の脳裏に、その完璧な美貌が、自分だけに甘く、淫らな言葉を囁く姿が浮かび、彼の欲望を強く刺激した。
悠真は、本を開く。
【初期条件I:精神的疲弊と環境の同期】。ターゲットが最も脆くなる瞬間は、理性と緊張が緩む*『特定の環境と時間帯』である。星野タイプの場合、彼女の『完璧主義』*が一時的に緩む瞬間を狙え。
悠真は、翌日から、星野葵の**『ストーカー』**になった。もちろん、彼女に気づかれない、徹底的な、歪んだ観察者として。
観察と羞恥の発見
悠真の観察は、彼女のルーティンを完全に把握した。
• 登校時: 常に7時55分に到着。急坂を上り、着く頃には額に微かに汗が滲んでいる。
• 休み時間: 常に一人で読書。周囲に目を向けることはない。
• 昼休み: 屋上で、人知れず、わずかな時間だけ、制服のブラウスのボタンを二つ緩め、大きく深呼吸している。
この**『昼休みの深呼吸』**こそが、悠真の目を釘付けにした。
(なぜ、わざわざ屋上で、人目につかないようにボタンを緩めるんだ?)
それは、彼女が常に纏う**『理性』**という鎧が、一時的に重さに耐えかねて、密かに息継ぎをしている瞬間だった。彼女の、硬質な美しさの中に存在する、誰も知らない『綻び』。
その時の彼女の首筋と、ブラウスから覗く肌の白さは、悠真の欲望を強烈に煽った。
(あの、わずかに汗をかいた肌に、指先で触れたら、彼女の**『理性』**は、どこまで耐えられるだろうか……)
悠真は、その瞬間を、**催眠術の『導入の引き金』**として使うことを決意した。
物理的な条件の準備
悠真は、本に書かれた次のステップへと進んだ。催眠誘導の成功率を上げるための、物理的な操作だ。
*【初期条件II:匂いの記憶への埋め込み】。催眠暗示は、特定の匂いと同期させることで、**『暗示のトリガー』として機能する。ターゲットの『無意識の好む匂い』*を特定し、それを、術者自身の身体に纏わせよ。
悠真は、葵が毎日過ごす図書館の席と、昼休みに彼女が立ち寄る屋上の隅の匂いを、徹底的に調べた。彼女が最も長く過ごす図書館の席周辺には、古紙の匂いとは別に、微かに甘く、清潔な、ラベンダー系の柔軟剤の香りが漂っていることに気づいた。
「これだ。彼女の**『安心できる匂い』**」
悠真は、翌日、そのラベンダーの香りに極めて近い、市販の安価な香水を手に入れた。そして、それを自分の制服の袖口と、ポケットの内側に、微かに、しかし確実に纏わせた。
これで、最初の条件が揃った。
• ターゲットの弱点特定: 昼休みのブラウスを緩める**『理性の一時的な解放』**。
• 物理的誘導: ターゲットが最も安心する**『匂いの埋め込み』**。
悠真は、翌日の昼休み、屋上へと向かう。




