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2話 私はつばた


次に目を開けた時、目の前に広がっていたのはこちらを愛おしそうに見つめる二人の男女だった。


「あぁ可愛い…私達の愛おしい娘…シッシィ…ふふ、ご機嫌良さそうね」


「シッシィ、健やかに育つんだよ…本当に大きくなるのが楽しみだなぁ…」


「ふふ、そうね貴方。2人でこの子の成長を見守っていきましょう」


男の大きな手が、私の頭を撫でる。

それを拒みたいのに、いくらもがいてもひっくり返った虫の様に手足をばたつかせるだけだった。


視線を横に向けると肉付きに気を付け細さの維持を心がけていた腕も、ワインレッドやネイビーなど暗めのネイルを施していた筈の手も、全てが太くもっちりとしている。

どう見てもこれは、赤ちゃんの手だ。

所謂ちぎりパンと言われる、ムチっとした脂肪が4段くらいに重なったミルク児特有の未熟な手。


自分自身の体が、存在ごと変わってしまったと認めるのは容易かった。

…これはもしかして、新しい人生というやつか。

目の前にいるのは…私の両親…?

けれど何故、急に?

目覚める直前の事が、何故か思い出せない。

私に何が起こって、どうしてこんな事になっているの?

分からない、何も分からない…。

目の前の2人に聞こうとも、私の口からは「あー」などの意味の無い喃語しか発する事が出来ない。


本来ならこの瞬間は希望に満ちたものだったのだろう。

産まれた自分も産んだ両親も、互いにとっての新しい人生のスタートなのだから。

それに、自分が生まれてすぐの状態で自我が確立している事。また前世の記憶や知識をある程度持ち合わせた上で、顔も家族もステータスも全くの別人として再スタートする事ができる。

自らの過去に蟠りがある者、叶わない物を願い続けていた者からしたらきっと、やり直しのチャンスとしては上等どころの話では無い。

それはもはや、自分は本来特別な存在という事を示唆されている上での奇跡他ならない。


しかし私は、その奇跡に無心どころか怨恨さえあった。

贅沢な事を言うなと糾弾されようとも、今の状態は私にとって絶望そのものなのだ。

私を可愛がり世話をし、新しい名前で呼ぶ両親からの親として当然…しかし当たり前とは言い難い愛でさえも苦痛だった。


作家・江戸川乱歩の「芋虫」という作品がある。

戦争で視覚以外の全てを失った男が、妻からの欲をぶつけられる道具にされ後に取り返しの付かない事になる物語だ。

…今の自分は、その芋虫そのものの様だった。

自分の言葉に明確な意思や意見を乗せることもできず、未熟な手は物を掴む動作が出来ても、本当に掴みたかったものを私は掴めない。

足を動かしたところで空を切り、前に進むことも後ろへ逃げることも出来ない。

両親の投げかける言葉が、ぼんやりと耳に入ってくるが思考がそれを理解することを拒んでいる。

だから私には2人が何を言っているのかも分からず、ただただ発音が耳を通り抜けていくだけ。

…その「芋虫」を教えてくれたのも、あの子だっけ。


可愛げのない娘でごめんなさい、とたびたび罪悪感が襲い、私は彼らの望む幼いシッシィを演じた。

2人はとても喜んだが、そこに私の意思はない。

両親ではない誰かを、既に心の底から追っている私にとって今の親子関係は既に終わりすぎているものになってしまっていた。

だからこそ、イヤイヤ期や反抗期とは違った明確に両親を他人として線引きする反骨心が芽生えるのも早かった。


「シッシィ!」


「シッシィ〜♡」


「「シッシィ」」


2人が、今の私の名前を呼ぶ。

違う。

違う。

全部違う。

貴方達は私の事を何も知らない。



二年後……


「さぁシッシィ。自分のお名前、上手に言えるかな〜?」


「……ばた」


「ん?」


「……私、つばた」


「ん、んん?シッシィ、何を言ってるんだ?お前の名前は…」


「私、シッシィ、違う!!私、私の名前は、つばただよ……」


二語文でだが自分の気持ちを言葉で話せる様になった頃の私は、シッシィを拒み自分を転生前の名前を名乗り始めた。

あの子が、笑顔で何度も呼んでくれた名前。

自分の名前に対して何の感情も持っていなかった私に、綺麗で素敵だと伝えてくれた私の本当の名前。


「私は、つばた」



私はコリンズ家という、この世界では富裕層の位置に値する貴族の一人娘として産まれたらしい。

所謂、貴族令嬢というものだ。


しかし私の外見は転生したにも関わらず、生前と同じ姿をしていた。

毛先を赤く染めた黒髪に、誰が見ても分かる日本人の顔立ち。

西洋の外見的特徴を持つ人間が多いこの世界では、

両親との血縁関係を疑われる事が多々あった。


両親が付けた名前を拒否し、自ら別の名前を名乗るという周囲から見たら奇行であろう行為をした私だが、幼児期の行動の一種として2人には捉えられたらしく以降は「つばた」と呼ばれるようになった。


最初は、自分達が頭を絞り考えた名前を本人に直接NOを突きつけられた事に、ショックを隠しきれず寂しげな様子を見せていた両親だったが、「イマジナリーフレンド」のような子供特有の発達の一つだと思っているらしく、学校に行く年齢になる頃にはシッシィを名乗っているだろうと楽観視しているようだった。


しかしそう事は上手く運ばず、現在とある貴族学校の生徒として学生生活を送る16歳の私は、未だに「つばた」を名乗っている。

この件に関しては入学前に両親と激しく揉めたが、

公的な場や正式な手続きを踏む際はシッシィを、

それ以外のプライベートな時には好きに名乗っても良いという形で何とか収束した。


2人には今更私の事を理解して欲しいと思っていないし、むしろ踏み込まれたくない。

ただそれでも、両親にはかなりの迷惑と心配をかけている事は自覚していた。

少しでもお互いの関係を平行に保つ為に私にできる事は、学園で問題を起こす事なく成績もそれなりの結果を取り、最終的に予め用意されていた許嫁と婚約する事だった。


転生前でなら、レールの敷かれた人生にもっと反発し思い切った行動を取れただろう。

けれどこの世界にはあの子がいない。

その事実は、私を無気力にするには十分すぎた。

私が欲しかったのは、新しい人生なんかじゃない。

あの子と再び手を繋いで歩める、あの日失った時間がもう一度…いや、永遠に欲しかった。

あの子の気持ちや全てが理解できなくとも、最後まで彼女に選ばれたかった。

あの子の唯一で、ありたかったのだ。





あの子、私が会いたいあの子。

「レイン」という名前の、可愛い女の子。


はちみつ色の綺麗な金髪に、沖縄の海の色のような瞳をした少しつり目の、猫みたいな小さな女の子。

歳は16歳。

転生前の私は24歳で、彼女とは8歳差があった。


甘いものと魚料理が好きで、コーヒーが飲めないお子様だった。

2人で喫茶店に入ると私はアイスコーヒー、レインは生クリームがたっぷり乗ったココアを頼むのがお決まり。

「お子ちゃまね」と揶揄うと、口を噤んでこちらを威嚇中の子猫の様にギラリと睨む姿が愛らしく、私はついつい彼女を子供扱いしてしまった。


音楽は聴くのも作るのも好きな彼女は、友人達とバンドを組んで活動していた。

元々音楽の才の元に生まれたのか、業界内ではバンド界の超新星と話題になり、音楽ランキングで上位を網羅していくほどの実力者だった。

元同業の私からしたらとんでもないライバルだったが、仲良くなってからは彼女と合作アルバムを出したりお互いのライブに顔を出したりと仕事を共にする事が多かった。

本当に、楽しかったなぁ…。


レインはいつも両耳にガムランボールという、シャラシャラと音の鳴る小さな金属ボールをピアスにして身につけていた。

彼女が動くたびにそれは音を響かせる為、私を見つけて走ってくるのが音だけでも分かる。

それがまるで、飼い主へ駆け寄る甘えん坊の猫の様で堪らなかった。


とても明るくて、何でも知っている賢い子。

けれど自分をしっかり持ち、駄目な事は駄目と言うことができる正義感の強さがあった。

どちらかというと頑固、の方が正しいかもしれない。


そして誰にでも平等に優しく、誠実で献身的。

すぐに体を張る為、他人のために怪我をする事が多かったがどれだけボロボロになろうとも、彼女はどこまでも優しかった。

そして私もまた、その献身と優しさに救われた人間の一人。

恩人という言葉では片付けられないほどの救いを、彼女に一度ならず二度までももらっているのだ


誰とでもすぐに打ち解け、どんな環境でもあっという間に馴染んでいく。

私とは正反対なその姿に、何度も灼かれそうになったが嫉妬や妬みという感情は持たなかった。

その姿に、私は心底陶酔し恋をしていたのだ。

依存と言われても良い。

どうしようもない程の恋心を、彼女に抱いていた。


あの子はきっと、私の中のドロドロとした想いに気付いていただろう。

彼女はまるで神様の様に、人の内面をよく見ている。

まるで煮詰めた飴のように泡を立てて沸騰した想いが、いつかコントロールを失って刃の如く自分を襲いくる可能性がある事も、彼女は理解していた筈なのに。

少しずつ距離を取り離れた方がいい筈の存在なのに。


レインは私の隣で笑い続けた。

あくまで親友という関係で、それより先に行かずとも後退することだけは絶対に無かった。

むしろ恋人という形にならずとも、至福の関係を私と上手く作れるように手を引いてくれた。

危ないもの、嫌な気持ちにさせるものから私を守りながら。

彼女の眩い光に目が眩み、息を切らしてしまってもすぐに気付いて戻ってきてくれる。

「レイン」は、そんな女の子だった。


だからこそ、私にとっての主人公は彼女だった。


けれど……あの子は私を残して、姿を消した。

理由は分からない、しかし突如として世界が大きく姿を変えたと同時にレインの存在が消え去ってしまった。


想像できるだろうか?

いつも通りに朝が始まり、街へ出たらあの子が作った筈の歌が、聞いた事もないバンドのものになって広告として流れている。

それを問い正そうとすると、まるで私が変人かの様な顔をされ、挙げ句の果てには「レイン」って誰?と心の底から知らないという顔で言われるのだ。


…貴方、数日前に彼女の新曲をとても褒めちぎっていたじゃない…。


彼女と暮らしていた筈の家族も友人も、誰もがレインの存在を知らない。

私だけが、彼女を知る唯一の存在として世界に取り残されてしまった。

彼女が丹精込めて作り上げた遺産だったものが、彼女を知らない誰かのものになり、功績を上げる。

私はそんな光景を見続け、絶望していた。


私にできる事は、彼女への行き場の無い想いを歌にすることだけ。

届くかも分からない形の無いものを、大衆向けに並べた綺麗な言葉で彼女との別れを嘆く。

…本当は、レインの歌を他の誰かの財産になる前に私が先回りをしてものにする。というのも考えた。

だけどやはり、あの曲たちはレインが書き歌うからこそのものだ。

私にはきっと歌いこなせないし、こんな牽制のような形で彼女の自由な歌を縛り付ける事も自分自身が許せなかった。

現状をただただ淡々と繰り返す。

残された私には、それしかできなかった。


何故、彼女は私のみ記憶ごと取り残して消えてしまったのか。

何故、最後の目撃者として私を選ばなかったのか。

何故、私を一緒に連れて行ってくれなかったのか。

そんな答えの無い疑問達を、延々と反芻する。

だって何も納得できない。


貴方が来て欲しいと言ってくれたなら、私はどんな場所だろうと手を握って隣を歩くのに。

貴方が私にしてくれた事なら、私だって同じ事を貴方にできるのに。

それなのに…私の気持ちを知っていた上でこんな別れ方を選ぶなんて…残酷にも程があるじゃ無い。


今夜もまた、夜空を見上げ存在しているかも分からない貴方へ言葉を投げかける。


「ねぇレイン、あの星は何座なのかしら。私、星は好きだけど星座は読めないの。…貴方がいないと、この夜空の本当の美しさが分からないのよ…」


聞いてレイン。

私最近、貴方と過ごした記憶がぼんやりと薄れていくようになったの。

貴方にかけてもらった言葉が、少しずつ虫に食われるようにバラバラになっていく。

貴方の作った歌が、また他の誰かのものになって発表された時に、気付かない事もあったの。

あんなに輝いていた一等星の貴方が、その他大勢の中に混じって見えなくなってしまう。

それくらい記憶もぼやけてきて、貴方の笑顔さえ上手く思い出させずにいるの。

貴方の声を聞いた時、私は気付かずにいるんじゃないかってとても怖い考えばかりが頭を過ぎるの。

本当は貴方といた記憶も、貴方の存在自体も最初から嘘で、私だけが間違っているんじゃないかって。


それでも私、やっぱり貴方のいない世界を受け入れたくない…。

嘘でも良い、会いたい…貴方に会いたい…。

貴方の小さくて柔らかい体を、私の胸で押し潰してしまうほどに抱きしめたい。

貴方の可愛い顔を両手で包み込んで、キスしちゃうんじゃないかって程に私の顔を近付けて表情を見たい。

優しすぎて怪我ばかりする貴方の手を握って、「レインの馬鹿」って子供のように泣きじゃくりたいの。


「…星が綺麗ね、レイン」


今晩も返す言葉は、ない。

…明日は、返事があったらいいな。





「シッシィ・コリンズ!私は彼女…アリアとの本当の愛を見つけ、共に一生を歩む事を決意した。だから、君との婚約は破棄とさせてもらう!」


…なんだかよく分からない事が始まった。


今日は学園内の社交パーティーが、夜に行われていた。

本来は社交会などのマナーの実践授業の一環であるが、上級生から下級生…全ての生徒が集まっている為にお互いのコミニュケーションを取り将来へのルート作りの一端を担う大事なイベントでもある。


それは生徒の私も例外ではなく、パーティー用のドレスを着用した私は特に誰かに声をかけるでもなく隅っこで椅子に座り、グラスに入った飲み物を口につけながら会場の様子を見ていた。


学園外から招いたオーケストラが演奏を始めると、各々が意中の相手や婚約相手と手を取り合いダンスを踊り出す。

その煌びやかな様子は生前教科書で見た、舞踏会を描いた絵画とそっくりだった。

バイオリン奏者の1人が、席から立ち上がりソロ演奏を始めると私はなんだか懐かしい気分になった。


「(…レインも、バイオリンが得意だったわね)」


あの子の弾きたがる曲では無かったが、目を閉じるとぼんやりだが演奏する彼女の姿が浮かんだ。

レインの姿を追想しながら聞くバイオリンの音色は、なんだかとても心地良く聞こえ夢中になっていた私は、カツンカツンと革靴のヒールを鳴らしながらこちらへ意気揚々と向かう、婚約者の気配に気付かなかった。


そして最初の一文に戻る。




「シッシィ!お前は両親から頂いた大事な名前を無下にするだけでは飽き足らず、婚約者の私に対して全くの興味も示さない!!しかも、まるで他の誰かを懸想しているようではないか…いくら名ばかりとはいえ、これでは今後、互いの関係にヒビが入るのは必然的だろう…」


「(申し訳ないけど、それはまぁそう)」


「それなら私は自分の気持ちに素直になりたいと思う…私はお前との婚約を正式に破棄する!お前と私はもう、何の関係もない!」


大袈裟に握り拳を振りかざす彼の前に、1人の女子がまるで彼を庇うように現れた。

…運命の相手、というやつなのだろう。

彼女は少し天然っぽさが垣間見える可愛いらしい顔立ちをしており、桃色のふわりとしたドレスが彼女の女の子らしさを表現していた。

黒いマーメイドドレスの私とは正反対の女の子だった。


「(まぁでもレインの可愛いさには敵わないわね)」


「シッシィ様、どうか彼を責めないでください!横からくすねる様な事をしているというのは、私も重々承知です!ですが…私と彼は運命で繋がれている、本物の愛を育む事が出来る関係なのです!どうか、私たちが結ばれる事をお許しください…」


確かに彼に興味が持てず、ほぼ恋人らしい事もしてこなかったのは私が悪いと思う。

それが自覚できるほど、私は彼への関心らしいものをほぼ全く見せてこなかったのだろう。

別の相手を懸想していたのも事実で、それに対して逆ギレをしようとは思わない。


気に食わないのが、罪悪感を大勢の前でチラつかせながらあわよくばこちらを悪者に仕立て上げようとする魂胆を2人から感じたからだ。

そんな想いは、前世で沢山してきたから。

私はいつだって、悪者だった。

だから私は開き直って、自らその立ち位置に立とうとしてきた。


ならば今世は?

もう良いんじゃない?

この世界にあの子はいない。

少しくらい、八つ当たってもいいわよね?

もう私を引っ叩いてくれるあの子は、いないんだもの。

世界が私に悪者を望むなら、いいわよ。

やってやろうじゃないの。

この世界で守るもののない私に、怖いものなんてないんだから。

 

「くすねた自覚がある上で、この場でそれを宣言しにくるのは良い度胸だと思うけど?」


「うっ…はい…申し訳ありません…」


「…運命も本物の愛も、いずれ一方的なものになって信じられなくなっていく。狭い世界で生きた貴方達には、きっとロマンチックな絵本の様な生き方に見えているんでしょうね?結ばれた先の物語なんて、記されていないのに」


良い子でいるというリミッターが外れた瞬間、悪意のこもった言葉が次から次へと口から吐き出て止まらない。

その一言一言全てに私のぐちゃぐちゃに汚れた感情が乗っており、それは彼女の心を容易く切り裂いた。

それでも私は止まらず、次から次へと正論を凶器に塗り替え攻撃をする。

悪意に飲み込まれた私はもはや、周囲すら見えなくなっていた。


「いい加減にしろ!!!!」


パシンと、乾いた音がホールに響き渡る。

彼に、頬を叩かれたのだ。

そこでやっと私は、目の前の彼女がドレスの裾が床につくのも構わずに座り込み、メソメソと泣いている姿に気付く。


「シ、シッシィ、様…ごめ、ごめんなさい…」


それが嘘泣きであれば、私はもっと冷酷になれたのに。

彼女の流す涙は本物で、心から傷ついたという被害者の表情をしていた。

被害者だったのは私の筈なのに。

周囲の私を見る目が、とても冷たい。

最初は彼の婚約破棄に、同情の目を向ける者達が殆どだったのが今や逆転している。

この場の全ての人間が、私を敵だと認識したのだ。

私は一瞬で、加害者になった。

…正論を正しく使う事ができたレインなら、きっとこんな事にはならなかっただろう。


この場も信頼も、何もかもを壊しても良いと望んだのは自分自身のはずなのに。

失った瞬間、私は後悔し立ち尽くす。

…ねぇ、私?どこかで同じ事をしたはずだったよね?

それなのにまた、同じ事を繰り返すのね。

…本当に、どうしようもない女。


聞こえていた彼女の泣き声と婚約者の罵声が、どんどんと遠くなる。

私の意識は体を差し置いて、深い失墜の底に沈み始めていた。


もう、いっか。


そう思った時、無音となっていた空間に鈴の鳴る様な声が耳から響き渡った。


「それなら、僕の手を取ってくれませんか?」


それはもう、はっきりと。

しかしどこか、聞き覚えのある高い声だった。


顔を上げるとそこには、白の正装を纏った猫っ毛の金髪に青い瞳の青年が、私の目の前でかしづいていた。


「お手を拝借」


彼はそう言うと、私の手を取り甲に口付けをする。

いつもなら社交辞令とはいえ、場所はどこであれ他人に口付けをされる事に嫌悪感を抱いていた私だが、その時だけは不思議とそれを受け入れる事ができた。

むしろ、ずっと望んでいたような気さえする。


青年は立ち上がると、肩につけたマントを私を隠す様に翻し婚約者へ二コリと微笑む。


「初めまして、僕はレインと申す者です。君が彼女と婚約破棄をしたと聞いたので、横入りをしに来ました。」


「レ、レイン?この学園で、お前の様な生徒は一度も…というか、シッシィに馴れ馴れしいぞ!!早く離れろ!!」


「え、でも婚約破棄したんですよね?立ち位置が立ち位置なのに、そんな二転三転するような事言うのは良くないと思うんですけれど…」


「ぐっ…なんて生意気で口の減らない奴なんだ…」


「あ、あの…」


「あぁアリア、すまない。彼女が恐ろしいよな?…とにかく!シッシィ、お前は今からここを出ていくんだ、暫く私達に…特にアリアには指一本触れるなよ!!」


…えぇ、そうね。私は彼らにとっての敵で恐ろしい女。

結局、相手が誰であろうと色恋が絡むと私は冷静さを失って良い子になりきれないのよ…。


失墜の私をよそに、彼は手を差し出してニコリと笑いかける。


「それじゃあ行こうか、つばた。後は2人きりで、楽しい事沢山しよ!」


私に味方をしたばかりに、会場を追い出された身だというのに彼はとても呑気だった。

それどころか…。


「あ!あのケーキ美味しそう!!何個か掻っ払って行かない?つばたはお肉も食べたいんじゃない?一緒に部屋まで持って行ってパーティしよ!ん!?あのアクアパッツァ、美味しそう…」


もはやそれは貴族の手癖ではない。


しかしなぜか、このマイペースな様子に頼りなさを感じはしなかった。

自己嫌悪に陥っていた私の心を、片隅から徐々に照らしていくような安心感さえ覚えていた。

彼は一体、誰なのだろう。

そういえば、誰かに似ている様な…。


「貴方は…私の王子様?」


「んー…そうかな…そうかも?でも、そうなったら嬉しいな!」


その言葉と共に、彼がニッコリと笑いかける。

その瞬間、彼の耳からシャランと小さな鈴の様な音が微かに聞こえた。

その音を、私は確かに覚えている。

誰が鳴らしていたか、私は知っている。


「(……まさか。まさか、ね)」


浮上するとある可能性に高鳴る心臓の音を、何とか抑えようとする私をよそに彼は楽しそうに度々こちらを振り返っては私に笑いかけた。


「ねぇ、つばた。今夜は星が綺麗だね」


その言葉に、廊下を駆けていた足が止まる。

うそ、でしょ。

気のせいなんかじゃ、なかった。

それじゃあやっぱり、彼は…いや、彼女は…。


「…レ、イン。本当に?…貴方は、私の知っている…レイン、なの?」


「……えへへ、ただいま。僕の大好きなつばた」


その言葉と共に、私の目からは大粒の涙がぽたりぽたりと流れ落ち、ドレスを濡らす。

次から次へと溢れ出る涙はついに留まる事を知らず、絶えず頬を伝い続けた。

鼻がツンと痛み、視界が潤んで彼の顔をしっかりと見る事が出来ない。

おかえり、と言いたいのに言葉を上手く紡ぐ事が出来ないまま、私は声をしゃくり上げている。

数々の疑問が頭に浮かぶが、今はそんなものどうでもいい。


あの子が、私の目の前にいる。

あの子が、私だけに笑いかけている。

その事実だけで、あやふやになりかけていた私の記憶達が鮮明に輪郭を得ていった。

そんな私の涙を、彼は細く白い指で優しく掬い取り私はそのままその手の平に自分の頬を擦り寄せる。

あの世界で失った体温と優しさが、目の前に戻ってきたことを更に実感させた

幽霊なんかじゃない。

貴方はちゃんと、生きている。


えぇ、そうね。

やっぱり私、貴方のことをちゃんと覚えていたわ。

良かった。貴方の声、すぐに分かったもの。

貴方はずっと、私のそばにいてくれていたのね。

私の言葉も悲しみも、全て聞いていてくれたのね。

私は震える声で、彼女に応えた。


「…っ明けの、明星が…っ…見たいわ…」


この瞬間、私は転生してから初めて心の底から、この新たな人生を生きたいと思えた。




○次回予告○

レイン、女の子の姿に戻る


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