8
やがて冬がきた。
雪とは無縁の温暖なこの地域。しかし咲く花の数も量も減り、ティーパーティーはしばし開催見送りとなってしまった。
私も私の方で、年越しのための準備に追われて、しばらくステラとは顔を合わせず過ごしていた。
そんなある日のこと。政務が一段落し、休憩しようと廊下を歩いていると、ステラの自室からやたら黄色い悲鳴が聞こえてきた。
なんだろうか。来客の予定などあっただろうか。
いやに騒がしいのが気になって、部屋の扉をノックする。ぴたりと、部屋の中の喧騒が止んだ。
「どなたでしょうか」
扉越しに対応したのは侍女のひとりだ。
「私だ。開けてくれ」
「——だ、だだだ旦那様っ……!?」
今度は別の悲鳴が上がった。
なにも叫ばなくても、と思っていると、扉はすぐに開いた。
「外まで声が漏れていた」
「申し訳ありません……!もう少し静かにいたしますので……!」
「あぁいや、そうではなく、今日は来客の予定はなかったはずだと思ったんだが……」
侍女を宥めながらぐるりと部屋を見渡すと、目をまんまるにしてこちらを見つめるステラ、数人の侍女、見慣れない女、テーブルには、ドレスのデザインが広がっていた。
「……ドレス?」
「はい。来年の春に向けて、新しいドレスを見繕っていました」
答えたのは侍女ではなくステラだ。
「私の都合でデザイナーを呼び寄せたんです。勝手なことをしてしまい申し訳ありません。騒がしかったのであればもう少し静かに選びます」
「……いや……」
「ドレスも与えられた予算内で収めるので、」
「……、……怒りに来たんじゃない。賑やかで、気になっただけだ」
私の言葉に、ステラ含めた全員があからさまにほっとしたような顔をした。
「それは私も見て良いものなのか」
「構いませんが……、イヴァン様にはあまり面白くないかと……」
「面白いかとうかは私が決める」
ステラの隣に腰を下ろし、ずらりと広げられたデザインに目を通す。どれもこれも綺麗で可愛くはあったが、あまり違いはわからない。なるほど、ステラの言う通り、私には面白くない話のようだ。
「……どうですか?」
「…………君の言ったように、あまり面白くはないな」
それでもなにかきっかけがあればと、デザイン達と睨み合う。すると隣で、堪えきれないような、小さな笑い声が聞こえた。
「……ふふ、……ふふふ、」
「……、……笑わなくても良いだろう」
「申し訳ありません。でも、……ふふ……、だって、お顔にも、なにが面白いんだ、って書かれていますもの」
「……そうか?」
「そうですとも。ねぇ、みなさん?」
話題を振られた侍女達が曖昧に笑い、気まずそうに私から視線を逸らした。
「せっかくですから旦那様のご意見も伺ってみませんか?」
そう提案したのは、デザイナーらしき女だ。場の空気を変えるその言葉に、侍女達は力強く首を振る。
「まずこれが流行りのデザインで」
「こちらが春の新色」
「オールドスタイルなんかもよろしくって」
「他の奥方とは一線を画す斬新なデザインもありまして」
捲し立てるように解説されるも、なにがなんだかわからない。そもそも政務続きで疲れ切っている頭では、ろくな思考などできなかったのだ。
「……ステラはどれが良いと思ったんだ?」
「ええとですね、……あの、あそこにあるデザインと、」
ステラが指差したのは、机の端に置かれていたデザイン案だった。紙に描かれたそれは、しかしステラでは届かないだろうと、身を乗り出してデザインを手にする。
「これか?」
確認のためステラの方を見て、言葉を失った。
身を乗り出したせいで、ステラとぐっと物理的な距離が縮まっていたのだ。近さだけなら、結婚して一番近付いたかもしれない。よく手入れされた髪の毛一本一本が、下手したら顔の産毛まで見えるかもしれない。そんな距離。そんな距離で、ステラが、顔を真っ赤に染めていたのだ。
その様子を目にして、心臓が大きく跳ねる。私が手にしたデザインを一瞥し、ステラが何度か首を縦に振った。
「そちら流行のデザインでしてね。お値段ちょっと上乗せすれば、この胸元あたり、奥様だけのオリジナルの刺繍を施すこともできるのですよ」
しかしデザイナーの話は、もう耳には入ってこなかった。顔を赤くしたステラ、それだけが、疲れた頭を支配していた。
*
結局その後、なんやかんやと最後までドレス選びに付き合わされてしまった。
せっかくですからイヴァン様もお選びになって、とステラに言われてしまったので、やむを得ず1着選んでしまった。ステラならなんでも似合うだろうが、果たして。
「……あ、」
そこまで考えて、ドレスを選んでいるときに、セレーネのことを一度たりとも思い出さなかったことに気付いた。
ステラと結婚してすぐ。セレーネには買ってやれなかったから、ステラには好きにドレスを買わせていると言ったはずだ。だが今は、今の今に至るまで、セレーネのことを思い出しもしなかった。
セレーネを差し置いて、後妻とドレス選びにうつつを抜かすなんて、と、思う。でも、思っただけだった。
それだけだったのだ。