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 ステラの開催したティーパーティーは、私が思っていたものより好評だったらしい。

 ぜひお庭を拝見したい。ステラ様ともお喋りがしたいと、貴族達から打診が舞い込むようになった。


「イヴァン様。またティーパーティーを開催しようと思うので、招待客の名簿の確認をお願いしてもよろしいでしょうか?」

「構わないよ。……あぁ、パーティーを開くならまたドレスを買う必要があるのか」

「……いえ?ドレスは先日買ったばかりのものがあるので、そちらで出席しようかと……」

「新しく買え。予算はつけてやる」

「……ありがとうございます」


 しかしステラは、困惑したように私のことを窺うばかりだ。


「なんだ、不満か」

「いえ……、その、ドレスを贈ってくださる理由が見つからなくて」

「…………セレーネには買ってやれなかったからな。罪滅ぼしだ」

「……さようでございますか」


 セレーネのことを口にすると、いつもステラは所在無げに体を小さくする。そもそも私たちはお互い好き合っているわけでもなく、離縁に向けて日々を重ねているだけの関係。それに、セレーネへの想いや後悔はあくまで私だけのもので、ステラがどうこう思う必要はないはずなのに、だ。


「……でもイヴァン様。私はセレーネ様ではありませんよ」

「なにを馬鹿げたことを。そんなこと重々承知だ」


 ステラが何か言いたげに口を開いたが、言葉は紡がれることなく終わってしまった。





 それから幾度となくティーパーティーは開催された。

 私は相変わらずその様子を眺めるばかりだったが、ステラはいつも楽しそうに夫人達の波に揉まれていた。私の前では決して浮かべない、本当に楽しいといった風に笑い、驚き、また笑い。あれだけ人の目を引くのだ、私と離縁した後も、すぐに貰い手が見つかるはずだ。


 それにしても今日は、やけにステラの姿が眼に焼き付いた。おろしたてだという深い緑のドレスをまとったステラ。陽の光を浴びて、ころころ笑う彼女は、庭のどの緑より輝いて見えた。



「今日のティーパーティーも大成功でした」

「そうか」

「ドレスも褒められたんですよ」

「……緑のドレス、だったな」

「!、見ておられたんですか」

「毎回少し覗き見はしているよ」

「そう、だったんですね。……あの、イヴァン様。今日のドレスなんですが、まるでイヴァン様の目の色のようだと褒められたんです」


 肉を切っていた手を止めて思わず顔を上げると、少し照れたように笑うステラがそこにいた。結婚して初めて、ステラが私に笑いかけていた。

 あぁそうか、だから今日はいつもよりステラの姿が目を引いたのだ。自分の目と同じ色をしていたから。無意識にその姿を追っていたのかもしれない。


「……、……それで、君はどう答えたんだ」

「ありがとうございます、と」

「それだけか」

「それだけです。妻が夫の目の色をしたドレスをまとうのはそう珍しい話ではありませんから」

「…………ならば、君は、私の目の色だったから緑のドレスを選んだと?」


 問いに対して、ステラが黙り込んでしまった。

 たっぷり沈黙があった後、ステラがゆっくりと口を開いた。


「……それは、……イヴァン様のご都合の良い風に捉えていただければ、と」

「…………どういう意味だ」

「そのままの意味です」


 しかしステラはこれ以上は答えられない、といった風に、食事を再開してしまった。





 以前はセレーネの自室だった部屋。そこが、今の私の自室だった。

 家具も配置もセレーネが生きていた当時のまま。部屋をそのままにしておく案もあったが、彼女の生きた痕跡をなぞりたくて、自室にしてしまったのだ。


 しかし私は、その大切な部屋で、あらぬことをしていた。

 それは、セレーネ以外の女性について考えること。


『イヴァン様のご都合の良い風に捉えていただければと』


 夕食の際、ステラから言われた言葉が頭から離れなかったのだ。


 ステラの言うように、妻が夫の目の色をしたドレスをまとうのは珍しいことではない。だが私たちの関係はあくまで仮初で、そんな甘い慣例など無視して良いはずなのだ。

 けれど彼女は緑のドレスを纏っていた。金髪の彼女であるならば、他に似合う色があったはずなのに。……そうだ、他にも似合う色があるのに、わざわざ緑のドレスを選んだ。であればやはり、私の色だからまとったのだろうか。



 そこまで考えて首を横に振る。

 私が愛するのはセレーネだけなのだ。他の女のことを考えるなんて、それだけでセレーネに失礼なのではないか。



 気分を変えたくて、やおら立ち上がり窓に近付く。

 満月の近い夜。煌々とした月があたりをよく照らし、庭の様子がよく見えた。

 と、そのときだった。


「……ステラ……?」


 夜も深い時間だというのに、ステラがひとり庭を歩いているではないか。

 季節は夏。体を冷やす心配はないが、なぜこんな夜中にひとりで歩いているのか。気になって様子を注視していると、ステラの歩く先には、庭師の男が立っていた。


「……あれはラルフか?」


 庭師のラルフ。若いながらその腕は一級品で、私も信頼を寄せていた。やがてステラはラルフを見つけ、ラルフに向けてはにかんでいる様子が見えた。


「……」


 じわりと嫌悪感が胸に広がった。

 私の目の色のドレスをまといながら、庭師の男と密会していたステラに対する嫌悪感。庭師の男と通じ合っていたなら、わざわざ緑のドレスなんぞまとう必要もないだろうに。……いや違う。そもそも私は、ステラを愛するつもりなぞないのだ。だからステラが誰と密会していようが関係のない話なのだ。


 カーテンを閉めて、窓からの視界を遮る。最後に見えた2人は、談笑しながらどこかに歩いて行く様子だった。





「新しいお花を植えたいんです」


 ラルフとステラの密会を目撃した数日後。執務室を訪れたステラから、そんな提案がされた。


「もう何度かティーパーティーに足を運んでくださった夫人もいらっしゃいますし……なにか新しいお花を、と思いまして」


 ステラがなにか言っているようだが、話半分にしか聞くことができない。あぁどうせラルフ絡みなのだろう、と、先走って考えてしまい、聞く耳を持てなかったのだ。


「……イヴァン様?」

「…………花のことならラルフに聞けば良いだろう」

「ですが予算の許可を出すのはイヴァン様です。それにあのお庭は、元々はセレーネ様のためのお庭。だからまずはイヴァン様に、」

「では勝手なことはするな」

「……イヴァン様?」

「君の言うように、あの庭はセレーネのための庭だ。ティーパーティーを開くのは勝手だが、花の植え替えだなんだ、妙なことをするのは許さない」

「……さようでございますか。申し訳ありません」


 そうだ、あの庭は、セレーネのために作った庭なのだ。決してステラとラルフが愛を育むために作ったものではない。だからだろう、ステラは深く傷付いたような顔をしていた。関係のない話だ。庭以外でラルフと親睦を深めれば良い、それだけの話なのだ。





 週に一度。必ず、セレーネの墓に足を運ぶ。

 季節の花々をたくさん見繕って、日当たりの良い場所に建てられた墓に行くのだ。

 

 連日の暑さのせいで、一週間前に供えた花はもうすでに枯れていた。少しでも長持ちするようにと花瓶に生けて供えたこともあったが、夏場の暑さでは、茎がどろどろに溶け、水も腐り、周囲に悪臭を放つだけだったのでそれはやめた。

 命日以外、誰もセレーネの墓には近付かない。だから手ずから枯れた花を掃除して、新しい花を供える。それから墓前に座って、冷たい墓石をゆっくり撫でるのだ。


「セレーネ」


 返事はない。それもいつものことだから、気にせず話しかける。政務でこんな苦労があった、今の領地はこうなっている。一通り話して、ため息をつく。あぁそういえば、これも話しておきたいな、と思った。ステラが、私の目の色をしたドレスを身にまといながら、私を裏切り庭師の男と密会していた——口を開きかけて、己の過ちにすぐに気が付いた。


「っ、すまない、すまないセレーネ……」


 妻の前で他の女の話をするなど言語道断だ。もちろんセレーネには後妻を取ることは話してある。同時に、後妻を愛するつもりはない。私は、君だけを愛しているからと、そう伝えたのだ。だというのに、私はなにを話そうとしていた?ステラとラルフが密会していた、それだけならただの噂話にしかならないだろうが、わざわざ緑のドレスのことまで話そうとしていたではないか。


 あってはならないことだった。新しいドレスをまとうことすら叶わなかったセレーネに話して良いことではなかった。これはセレーネに対する裏切りだ。セレーネは幸せになれないまま死してしまったのに、これ以上、彼女を傷付けることはしたくなかった。


「すまない、セレーネ、」


 冷たい墓石を撫でる。墓石はなにも言わず、ただそこに佇んでいる。

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