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翌朝。
それぞれ別の寝室で夜を明かした私とステラに、だが使用人はなんの言葉もかけてこなかった。
それもそうだ。この屋敷の使用人は、未だ私がセレーネを愛しているのを知っている。だから余計なことはなにも口出ししてこなかった。
ステラが連れてきた侍女だけは憤っていたらしいが、私には関係のない話だ。どうせ2年後には離縁する。耳を貸すだけ無駄だと思えた。
ステラを愛するつもりはない。だがそれはそれとして、伯爵家の妻としての生活を提供するのが自分の役目なのはわかっていた。冷遇するつもりもなかった。ステラが望めばドレスや宝飾品を購入する許可を与えたし、それ相応の暮らしを与えた。
そうして結婚して3ヶ月が経った頃。夫婦生活の必要はないから寝室は別。唯一顔を合わせる夕食でも、ろくに会話せずその日も終わる——そんな折だった。
「ティーパーティーを主催したいんです」
フォークとナイフを置いて、ステラがそう静かに切り出したのは。
「なぜ」
「……ブラックウェル家の妻として、他の貴族の奥方とも交流を持つべきだと考えたからです」
「それで、ティーパーティーを主催したい、と」
「はい。このお屋敷のお庭はとても美しいですし……せっかくですから季節の花々と共にお茶を楽しみたいと思いまして」
庭。庭が綺麗なのは、病床のセレーネが少しでも気が紛れるようにと綺麗にさせたのが始まりだった。
セレーネの自室からは庭がよく見えた。だから花々の咲き乱れる綺麗な庭を見て、少しでも心が癒されれば良いのに、と、整え出した庭。セレーネが亡くなった今、庭を整えておく理由もなかったが、特に理由もないまま、美しく保っておいた庭。その庭を褒められて、嬉しい気持ちと、同時にセレーネのことを思い出して胸が苦しくなってしまう。
「構わないよ。好きにすると良い」
「ありがとうございます」
「ただし、呼ぶ貴族だけは報告してくれ。妙な人間を呼ばれても困るからな」
「もちろんですとも」
ふ、とステラが笑みをこぼした。
私に向けられたものではない。提案が承諾されてホッとしたような笑み。それを見て思う、ステラが笑ったところを見るのは初めてだな、と。
*
その後、ステラは着々とティーパーティーの準備を進めていった。
いつの間にやら把握していたのか、ブラックウェル家と親睦のある貴族、あるいはあまり関係のない貴族。それらの関係性を理解し、招待客を選別。招待客のリストに目を通したときは、過不足ない面子に舌を巻いたものだ。
ティーパーティーの準備に伴い、自然、ステラとの会話も増えた。会話といっても事務的なものばかりではあったが。
「ティーパーティーでは甘くない軽食も出した方が良い」
「なぜですか」
「ハント伯爵夫人は甘いものが苦手なはずだからな」
「ハント伯爵夫人と交流がおありで?」
「いいや。ただ、以前、パーティーに列席した際、甘いものを好んで選んでいる様子がなかった。念のため準備しておけ」
「ご助言ありがとうございます。参考にさせていただきます」
「ファール男爵夫人がいるのならば、ベリー系の菓子は必ず用意しろ」
「なぜですか」
「妻はベリーが好きで、と男爵が話していたことがあったからな」
「……ありがとうございます」
「……なんだ、準備に口を挟まれて不満か」
「その逆です。なぜこうも助言してくださるのか不思議なんです」
「……、……確か君は、ブラックウェル家の夫人としてティーパーティーを開きたい、と言っていたな」
「はい。そのつもりですが」
「そのつもり、ね。……嘘をつくな。本当の目的は別にあるだろう」
ステラが驚いたような表情を浮かべる。
「離縁後の生活に向けて、貴族たちへのパイプを作りたい。あわよくばどこかに縁談が転がっていないか探るためにティーパーティーを開く、……違うか?」
「…………、……ご名答です。イヴァン様の仰るように、離縁後のことも考えて、ティーパーティーの開催を申し出たのです」
ステラの生家は既に兄が継いでいる。出戻ったところで、実家にステラに居場所はないはずだ。
「ではなぜ、私の真意を知っていながら、そう助言してくださるのですか」
「離縁の予定があるとはいえ、今、君は、ブラックウェル伯爵夫人なんだ。ブラックウェルの名前に傷をつけるのは許さない。それに、」
会話が聞かれていないか、ぐるりと周囲を見渡す。私とステラが言葉を交わしているのがよほど珍しかったのか、気を利かせた使用人達はみなその場からいなくなっていた。
「愛するつもりがないだけで邪険にしたいわけではないからな」
「……さようですか」
「あぁ」
やはりステラは驚いた様子で私のことを見ていた。
*
あくる日、ステラ主催のティーパーティーは開催された。
政務があったので時折窓から様子を見るだけだったが、思いの外にぎわいを見せていた。
夫人の群れの中にステラももちろんいる。髪を高く結い上げ、今回のためにと新しく買った青いドレスを見に纏っていた。
その姿を見て初めて、ステラは美しい令嬢なんだと思った。
だが、それだけだった。
セレーネもああやって着飾ってやりたかった。新しいドレスを着せてやりたかった。ステラとはまた違う美しさのある女性だったから、きっと社交界でも一際輝いていただろうに。
「……」
セレーネのことを思いながら、しかし、何人もいる夫人たちの中で、ころころ表情を変えながら談笑を交わすステラの様子がやけに印象に残った。
「ティーパーティー、大成功でした」
その夜のことだった。いつものように夕食の席に着くや否や、ご機嫌な様子のステラから報告を受けたのは。
「イヴァン様の仰る通り、ハント伯爵夫人は甘いものが苦手でした。普段のティーパーティーでは甘い食べ物が多いから、塩気のある食べ物が沢山用意されているのはありがたいと仰っていました」
「そうか」
「ファール男爵夫人のためには、ベリーを使った珍しいお菓子を用意したのですが、たいへん喜ばれました」
「そうか」
それは良かった。だが私には関係のない話だ。
そんな態度を察したのか、ステラの声はだんだんと小さなものになっていく。
「…………皆さん、お庭のこともとても褒めていらしていました」
「……そうか。庭には手をかけるよう命じているからな」
「……お花が趣味で?」
「いいや。セレーネのためだ。病床に伏せって外に出られない彼女の心が少しでも癒えるよう、窓から眺めることのできる庭は豪華なものにしろと命じたからな」
「……セレーネ様のこと、本当に愛されていたんですね」
「そうだな」
会話はそこで終わった。これ以上話すことも、話したいことも双方なかったのだろう。