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やり直し令嬢は箱の外へ、気弱な一歩が織りなす無限の可能性~夜明けと共に動き出す時計~  作者: 悠月


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72 令嬢は張ったりをかける

 十数年前、現国王が即位した。

 彼は即位と同時に、長きにわたり貴族の特権とされてきた制度──とりわけ、領地支配権の制限、貴族免責特権の撤廃、そして奴隷制度の完全廃止といった、旧来の秩序を根底から覆す数々の改革を断行した。


 これらの政策は、主に貴族たちの利益を損なうもので、反発するのは当然の流れだった。

 だが、時が経ち、日を追うごとに強まる王権の前に、それらの声は次第に掻き消されていった。

 やがて彼らは、正面からではもはや勝ち目がないと悟り、失った利益を取り戻すために、別の道を模索し始めた。


 そんな中、誰かがこう低く呟いたという——


「上で禁止されたのなら、地下でやればいいさ」


 一見、冗談めかしたその言葉を、けれど、一部の者たちは本気で受け止め、そして実行に移した。


 財も、時間も、権力も余るほど持て余していた彼らは、誰にも知られず、誰にも邪魔されない“裏の楽園”を求め、地下空間に次々と密かな街を築いていった。


 今、私が立っているこの<シュラウデッド>も、その一つである。


 噂によれば、ここはかつてある大貴族と、野心に満ちた数人の商人が手を組み、国王の目が届かぬ地下深くに築いた秘密都市だという。

 だが、その背後にいる本当の支配者が誰なのか──その正体はいまだ公には明かされていない。



 ***

「止まれ!この先へ進むには、許可証の提示が必要だ!」


 門番の一人が、馬車の進路を遮るように声を張り上げた。


 私は広い馬車の座席にライラと向かい合って座り、聴覚強化の魔法をかけながら、外の声に耳を澄ませている。

 早鐘のように鳴り響く心臓の鼓動が、外には聞こえないと分かっていても、自分の中で緊張をさらに煽ってくる。


 私たちが来たときは、人数制限のある小さな裏門を通った。

 だが今は地位を誇示するため、馬車を使い、より厳重に管理された正門を通ることになった。そこでは、数人の門番が整然と並んでいる。


 グレムがどこから用意してきたのか知らないが、この馬車はおおよそ侯爵家の格式にふさわしいものだった。

 家を示す紋章は丁寧に布で隠されていたものの、あえて露出された一部には、フラヴィアン侯爵家を思わせる意匠が見える。

 どうやら徹底して、フラヴィアン侯爵家を装うつもりらしい。


「許可証は、こちらにございます。――我がご主人様は、少々気の早いお方でして。どうか、手間取らせずに通していただけますよう、お願い申し上げます」


 落ち着いた物言いで返事したのは、御者席にいるグレムだった。


「馬車を開けろ。中の者を確認する!」


 その乱暴な命令の声にライラの瞳が鋭く光った。彼女は席を立ち、私の姿を隠しながら馬車の扉を開けて外へ降り、さりげなく扉を閉めてくれた。

 直後、「パンッ」と鞭が地面を打つ乾いた音が響く。


「お嬢様のお顔を、お前らごときが拝めると思って?」


 冷たく凍てつくような嘲り声が続いた。


 馬車の中にいるはずなのに、空気がひやりと凍ったように感じた。

 普段は淡々とした口調の彼女だが、今のような声音の方が、むしろ彼女らしい気さえした。


 こんな状況だというのに、なぜか私はそれが少し嬉しく思えた。


 実は、さっきグレムと合流した時には既にライラもその場にいた。影に潜んでいた彼女は、グレムがクロエの注意を引きつけている隙に、私を助け出そうとしていたようだ。


 けれど、そう上手くいかないでしょう。

 なにしろ、話が一段落した頃、彼女はドミニクと睨み合いながら姿を現した。おそらく、隠れている最中にドミニクに見つかってしまったのか、或いは、彼女自身が同じように潜んでいたドミニクの気配を察知したのだろう。


「あっちゃ、すまないな。あの娘はお嬢様を何よりも大切に思っておりましてな……つい感情が先走っちまうんです。こんな夜更けまでお勤めとは、実にご苦労なことです」


 ——飴と鞭。


 こっそり窓から外を覗くと、御者席から降りたグレムがわざとらしくフラヴィアン侯爵家の腕輪を門番長らしき人物に見せつけ、小声で何かを囁いているのが見えた。


「ゴホン、馬車の確認は問題ありません。しかし、後方の荷馬車については規則により、中身の確認が必要です。――よろしいかな?」

「ええ、もちろん。そちらはあなた方のお勤めですから、当然のことかと」


 グレムは軽く一礼し、すっと身を引いて門番たちに道を開けた。彼らは足音を立てながら、後方の荷馬車へと向かっていく。


 私はぎゅっと手を握りしめた。唇も強く結び、喉が乾いて声が出なかった。


 借り物の荷馬車は魔導具のゴーレムで操られており、トム達が“商品”として馬車内に積み込まれている。許可証とは別に、請求書などの書類と照らし合わせる必要があるらしい。

 そして、その荷の中には、クロエとドミニクが箱の中に隠れている。


 私は最初、貴族女性として振る舞い、頑なに門を開けさせず、彼女たちを馬車にかくまうつもりだった。

 でも、その甘い考えはグレムにあっさり却下された。


 彼曰く、門の検査には幻術を無効化する魔法陣が張られていて、しかも検査官の中には透視能力を持つ者もいるらしい。

 理屈はよく分からないが、とにかく性別、年齢、貴族かどうかなど、不思議に見分けがつくとか。

 であれば、下賎(げせん)な平民と同乗する奇特な貴族よりも、“記載にない商品”が一つ二つ紛れている方がごまかしやすい。多少の賄賂で見逃してもらえる確率も高いのだと。


 「ガタン」と、荷馬車の扉が開けられる音がした。続いて、怯えた子供たちの騒めきに、それを押さえ込むような門番の荒々しい声が聞こえてきた。


 私は思わず口を開きかけたが、すぐに閉じた。


 今の私に、何ができる?


「この二つの箱は何でしょうか?記録にはございませんが?」


 門番長の不審そうな言葉が、心臓を鷲掴(わしづか)みにされた気がした。


「ああ、そちらは……」


 グレムの声が一段低くなり、門番長に耳打ちを始める。


 時間が、妙に静かに流れる。


 ごまかせているのか、それとも……?不安が胸をよぎる。


 ――だめだ。何かしないと……


 私は袖をぎゅっと握りしめ、思い切って声を張り上げた。


「ねぇ、いつまでもこのわたくしを待たせるおつもりかしら?」


 馬車の外にも届くように、よく通る声で。

 一拍の間を置き、ゆっくりと深呼吸。そして、大げさに、けれど優雅に、ため息を一つ。


「お兄様から許可証を頂いて、こんな辺鄙な場所まで来て差し上げたというのに……はぁ、なんて殺風景で退屈な所なのかしら。がっかりにも程がありますわ。まったく、こんな所に長居する意味なんてありませんわ。早くおうちに帰りたいですこと!」


 これで、少しは催促になったのかしら。


「お嬢様、申し訳ございません。ただいま準備を整えまして、すぐにでもお屋敷にお戻りいたしますので、どうか今しばらくご辛抱くださいませ」


 ライラがすぐさましおらしい声で追従してきた。


「フン、分かっているのなら、早くしなさいませ」

「はい、かしこまりました」


 芝居がかかったやり取りの後、彼女は私の(めい)を得たと言わんばかりに、一切の迷いなく、手に持つ鞭を門番たちに向かって振り下ろした。


「ピシャッ」


 鋭い音が空気を裂き、鞭先は数人の門番たちの鎧に跳ね返った。


「うぐっ……!」


 呻き声を上げる門番たちを無視して、ライラは一切顔色を変えず、冷ややかな視線を彼らに投げかけた。


「まったく……お前ら、何をちんたらしています? お嬢様をお待たせするとは、身の程知らずにも程がありますわね。あんたもよ、いつまでモタモタしているつもり?」

「ははは、これはお厳しい」


 グレムは苦笑いを浮かべつつ、困った表情を門番長に向けた。


「ご覧の通り、あの娘はお嬢様のご命令以外は一切耳に入らぬ性分でしてな。お早めに処理いただけないと……こちらとしても、後に何が起こるか、正直なところ保証しかねますので」

「しかし、記録にない荷物は……」


 門番はなおも渋ったが、グレムはそれを穏やかに遮った。


「おそらくは、記載の誤りか、あるいは些細な手違いかと存じます。ですが――お嬢様は、今すぐにでもお屋敷に戻りたいご様子でしてね……さて、これはいかがでしょうか?」


 そう言って、彼はさりげなく、掌の中に忍ばせていた小さな革袋を門番の手元に滑らせた。


 門番はそれを手に取り、微かに振って中身の重みを確かめた。その目が、わずかに揺れた。


「……ふむ。確かに、記録の不備はよく起こり得ますからな。貴重なお時間を頂戴し、大変恐れ入ります。ご令嬢」


 門番はすっと姿勢を正し、兵士の礼をする。周囲に控えていた兵たちも、それに倣って一斉に頭を垂れた。


 その光景に、私は小さく誰にも聞こえないように息を吐いた。


 でもまた終わりではない。


 私はすぐに気持ちを切り替え、演技を続ける。


「よろしくてよ。あなたたちのような無能でも、せめて頭の下げ方くらいは心得ているようですわね」


 やがて後方で荷馬車の扉が閉まる音が響き、ライラが馬車に乗り込み、グレムも御者席に戻って、ゆっくりと馬車が動き出した。


「……なあ、あの箱の中、生き物じゃねぇのか?」

「ほっとけよ。どうせ書面に残せない類いのもんだろ。最近流行ってるらしいぜ、キメラとか」


 背後から門番たちがひそひそと話している声が耳に入った。


 どうやら彼らは勝手に想像を膨らませて、都合よく話をまとめてくれているようだ。

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