07 令嬢は母の日記を読む④
心の中で決心し、私はページをめくった。
『このページを開いた貴女は、貴族令嬢という役割に縛られず、変わりたいと願っているのですね。
ふふ、やっぱり貴女は私の娘。私とよく似ていますわ。』
その言葉にまるで認められたような錯覚を覚え、私は喜びの感情が湧き上がると同時に、どうしようもない恥ずかしさもこみ上げてきた。
きっとお母さんは、迷わずに枠外の道を選ぶ強い私を想像して、この言葉を書き記したのだと思う。
でも、違うわ。
私は……どうしようもない弱虫だ。
幸運にも未来の記憶を持ちながら、過去のこの時間へ戻ってきた。すでに貴族令嬢としての道に失敗したからこそ、消去法で変化を望んだに過ぎないのだ。
『人生を少し先に歩いた先輩として、フリージア、貴女にいくつか助言を贈りたいわ。
そうね、まず初めにこのことを覚えておきなさい。
――あなたの人生の主人公は、あなた自身です。
世間が決めた人生なんて、形ばかり美しい鳥籠に過ぎません。人を縛るためのものよ。
世間にどう言われようと、他人にどう思われようと、それらは貴女の人生とは一ミリの関係もありません。
だからね、決して世間の「こうすべき」という檻に自分を閉じ込めないで。私を含む誰かの期待に応えるために、本当の自分を見失わないで。ありのままの貴女が、きっと一番素敵ですよ。
今はまだ見えなくても、貴女には何処へでも自由に飛べる翼があります。ですから、安心して自分が決め、信じて選んだ道を進むことだけを考えればいいのですよ。
貴女の人生は、貴女のもの。正しいと思う道へ進めばいいのです。
でもね、人生は長いわ。何が起きても不思議じゃありません。
道に迷い、戸惑う時もきっと来るでしょう。どうかその時は地面だけを見つめ、自分一人で背負い込もうとしないで。他の人に相談できないことでも、誰かとただお喋りするだけでも、かなり楽になれますよ。
失敗なんてつきもの。誰しも博打を打つような気持ちで人生というゲームに挑んでいるのだから、笑い飛ばすくらいはちょうどいいわよ。
私たちは普通に生きている人間です。自分を過小評価することも、過大評価することもせず、ありのままの自分を受け入れることが大切ですよ。
疲れたなら原点に戻って、休むのもいいわ。何が一番大切かを考え、そこからまた一歩踏み出せばいいのよ。
人生は果ての見えない長い旅路です。だから焦る必要はありません。道端のさりげない景色も、きっと素敵よ。』
私は身勝手にも、大切な人の人生を壊した。
そんな私に、もう一度やり直す資格なんてあるのだろうか。
途端にさっき芽生えたばかりの決意が、また揺らぎ始める。
お母さんの言葉は、心に深く染み渡るような心地良さがあった。まるで傷だらけの心を、温かな薬で優しく癒やしてもらっているみたいだった。
でも、それがあまりにも心地よすぎて、逆に恐ろしさを覚える。
これは全部、幻なのではないか。
だって、私にとって都合の良い言葉ばかりが、次々と与えられているような気がする。
もしかしたら、これは現実から目を背けるために自分が作り出した甘い夢なのではないか。この心地よさは、現実逃避の結果なのではないか。
それでも……夢でもいい。夢でも……。
そう自分に言い聞かせ、不安を抱えたまま私は読み進めた。
『男女の差など、花と草の違いに過ぎないにもかかわらず、貴族社会ではその差を意図的に強調し、令嬢たちの才覚を押しつぶそうとしています。
女性たちを踏み台にしなければ自らの薄っぺらな自尊心を保てない、凡庸な貴族男性たちの仕業なのかしらね。
私が子爵令嬢として社交界に入ってから、多くの才能豊かな令嬢たちに出会いました。
でも、彼女たちの大半はその卓越した才覚を十分に発揮することなく、つまらない貴族令息との泥沼の恋愛関係に貴重な時間と大切な労力を費やしていました。
卒業後の彼女たちは一時的に社会で活躍する場を与えられることはあっても、その待遇は男性よりずっと劣っています。それどころか、義務の名の下に望まぬ妊娠を強いられ、家庭へ押し込められることさえ珍しくありません。
本当に馬鹿馬鹿しいにも程がある。女性は男性のおまけではないわ。
女性の能力は決して男性に劣りません。私たち女性は家庭だけでなく、社会でも大いに役立つはずです。
だから、フリージア。貴女も女性であることに誇りを持ちなさい。私たちは身体のパーツ以外、男性と大差ないのだから、性別を理由にいちゃもんをつけてくる輩には容赦なく鉄拳を下し、彼らにぎゃふんと言わせてやるのよ!』
あれ、お母さん、何だか言葉遣いが荒くなっていないかな?
やっぱり夢の中なのかしら。しかも、夢が崩れ始めているのかもしれない!
焦る気持ちに駆られ、私は夢が消えてしまう前にすべての内容を読み終えたい一心で、慌てて次のページをめくった。
するとそこには、どこか取り繕ったような文字が並んでいた。
『ふふ、失礼。少し感情が高ぶってしまったわ。』
そして、何事もなかったかのように、続きは穏やかな筆跡に戻っている。
『フリージア、貴女は何になりたい?
お母さんと同じ薬師になるのかしら? 文官として王宮に勤めます?王宮魔術師はどうです? 騎士団に入るのも素敵よ。アカデミーの教師、作家、研究者などはいかが? それとも自分で商会を開いて、投資家になってもいいわね。』
なりたいもの……、私は何になりたかったのだろうか?
いつも流されてばかりの私は、はたして何ができるのだろうか?
昔、エマさんに「何をしたいか分からないなら、医師を目指してみないか?」と誘いを受けた。
けれど医師資格は男性しか受験できないので、代わりに薬師見習いとして勉強した。
お母さんは言っていた。
『私は貴族令嬢になったことで、薬師の夢を諦めた』と。
なら――
お母さんが捨てた夢を、私が引き継いでもいいのかな?
いいえ、いいのかではなくて、私は続けたいのだ。
お母さんが諦めた道を、私が繋いでいきたい!
エマさんの教えとお母さんが用意してくれたこの部屋、加えて屋敷の書庫の知識を上手く利用できれば、独学でも薬師になれるかもしれない。
『さっきも言った通り、あなたは自分が望む場所へ、好きなように進めばいいのよ。どんな選択でも、お母さんは誇りを持ってあなたを見守っています。』
ありがとう、お母さん。
そして、小心者でごめんなさい。
過去の記憶を振り返ってみるが、やはり私には、少し縁と馴染みがある薬師以外の道はないのだと悟る。
何もかも知らない空白の世界へ飛び込むのは怖く、今の私にそんな勇気は持てない。
でも、お母さんを失望させないように、立派な薬師になるため一生懸命頑張るわ。
『でも、そうですね。変わりたいと決心しても、人はそう簡単には変われません。
そこで、変わりたいと思う私の大切な娘に、お母さんからひとつお願いがあります。
机の右側の引き出しに置いてある箱を出してくれるかしら。』
……なんだろう。前方に罠が張られているような予感がした。
けれどお母さんが私に不利益な事はしないと信じ、言われた通り引き出しを開け、素朴な箱を取り出した。
『この箱の中には、我が家に代々受け継がれてきた、古の恩人から預かった<神木の種>が入っています。
今は特殊な魔導具で時間を止めているけれど、この子は今もちゃんと生きています。お母さんなりにいろいろ試したのですが、今の環境はこの子には過酷なようで、うまく成長させられなかったのです。
だからそこで、お母さんの自慢の娘にお願いしたいのは他でもありません。植物魔法を習得して、魔法レベルを8まで高め、毎日一定量の木属性の魔力をこの子に注いで、育ててちょうだい。
大丈夫、フリージア、あなたなら出来る。お母さんは信じていますよ。頑張ってくださいね。』
「えっ? え?! 神木? レベル8?」
突然、娯楽小説の世界に迷い込んだような不思議な単語ばかりが並べられ、あまりにも壮大な願いに、私の思考は完全に混乱に陥った。
悠月:
今回の章が少し説教じみていて、味気ないと感じられたらごめんなさい。
フリージアは「無理無理」と思っているようだけど、実は私は、無理矢理でも彼女にさまざまな道を経験させてみたいと企んでいます。




