40 令嬢は魔物に攫われた女性を救う③
恐る恐る振り返り、そこには、眠りについていたはずの風刃鳥がいた。
その赤い瞳は不気味に輝き、殺気を放ちながら私をじっと睨みつけている。
体の芯まで凍りつくような威圧感に、息が詰まりそうになる。
足元が震え、思考が一瞬止まりかけ、シズがくれたお守りの魔導具を発動するのを待つ、という考えが頭をかすめる。
しかし、それより早く、最近の訓練のおかげか、体が半ば反射的に杖を構えて、攻撃体勢を整う。
震える手で黄色い輝きを宿した地属性の防御結界を展開し、その結界の輝きが私を包み込むと、少しだけ安心感と冷静さを取り戻せた気がした。
だが、それを見た風刃鳥は翼を大きく広げ、羽ばたきで刃物のような鋭い突風を生み出し、容赦なく襲いかかってきた。
「っ……!」
私は必死に耐えようとしたが、レベル2の魔力量で構築した防御結界はあっけなく砕け散る。
突然の衝撃に体は制御を失い、前のめりに地面へ倒れ込んだ。すぐに起き上がろうとしたが、腰から下が、まるで自分の体ではないかのように、言うことを聞いてくれなかった。
風刃鳥は鋭い嘴が狙いを定めて、まるで私を射抜くように明確な殺意を帯びて向けられたのを感じ、私は反射的に杖を突き出した。
だが、上半身に頼るだけでは十分な力を発揮できず、風刃鳥の力に圧倒され、杖はあっけなく弾き飛ばされ、床に転がってしまった。
風刃鳥は、まるで私の絶望を楽しんでいるらしく、悠長にこちらの次の動作を待っている。その様子が忌々しく見え、苛立ちすら覚えるものの、恐怖が心を締め付けて動きを鈍らせた。
それでも、生存本能に突き動かされ、私は無様な格好で必死に這って、杖へと手を伸ばした。杖を取り、歯を食いしばりながら体に力を込め、なんとか立ち上がった。
胸元のペンダントから魔力を早い速度で補充されるのを感じつつ、私は風刃鳥の気圧に負けないように、彼の赤い目を睨み返す。
——反撃しないと!
私の弱い防御結界ではいくら張っても、すぐに破られてしまうだろう。空中戦で飛べる魔獣相手に、浮遊魔法を使っても、逃げられる気がしない。
それに、今の私の器で貯められる魔力量では、いくらペンダントの補助があったとしても、数回の魔法を使ったら、すぐに尽きてしまう。
やはり、反撃しなければ!
攻撃魔法なら、魔力が弱くても、うまく弱点に命中すれば、五つ星の魔獣を倒せなくとも、隙を作れるかもしれない。その間に逃げる時間を稼ぐことはできるはずだ。
風刃鳥は完全に私を侮っている、それをうまく利用できれば!
杖を握る手には冷たい汗が滲んでいる。私は風刃鳥の目を逸らさず、身体強化の魔法を使って一気に距離を詰める。
「ガアーッ!」
風刃鳥が叫び声を上げると同時に、振り上げた翼から緑色の光を帯びた風刃が二本、空気を切り裂く音とともに私に向かって飛んできた。
目を開いた私は、熱くなりかけた頭を無理やり冷静に押し戻し、襲い来る攻撃の軌道に集中した。
全身が緊張で強張らせ、躱すタイミングを見計らい、身を翻した瞬間、ローブが裂ける音がしたが、ギリギリのところで真っ直ぐ迫る風刃を避けた。
そのまま浮遊魔法で飛び上がり、杖を握り締めて風刃鳥の赤い目を力強く狙い打つ。
「ガアアッ!」
風刃鳥が痛みに喚き、次の瞬間、私の視線が暗くなり、反応する間もなく、その巨大な羽根が容赦無く、私を地面に叩きつけられた。
でも幸いなことに、背中に衝撃が伝わると同時に、シズがくれた物理攻撃を防ぐ魔導具がすぐに自動的に発動し、緑の光がふわりと私の体を包み、防御魔術が衝撃を軽減してくれたおかげでほとんど痛みを感じなかった。
「ガアーガアー」
だが、私が体勢を整える前に、怒り狂い風刃鳥は、次々と何本もの風刃を放ってくる。既に体力も魔力も限界に近い私は、その攻撃に対抗する術を持たず、ただ必死に杖を握り締める。
目をきつく閉じ、そのまま攻撃を受け止めると覚悟していると、シズがくれた魔力防御の魔導具が柔らかな緑色の光を放ち、私を中心に半球状の結界を作り出し、迫り来る風刃を受け止め続ける。
「……あっ、すごい!」
軽く五つ星の魔獣の攻撃を防ぐ魔導具の性能に、思わず感嘆な声が漏れた。
私はすぐさまバッグから冒険者ギルドの店で購入した体力回復薬を取り出して、一息で飲み干した。
その薬は高価なだけあって、体力がじんわりと回復していくのをはっきりと感じた。
少し待って、やっと手や足が動けるなると、私は立ち上がり、深呼吸して息を整え、再び杖を構えて、なおも攻撃続ける風刃鳥に視線を据えた。
魔導具の防御結界はまるで私が準備終わるのを確認したかのように、魔力の緑色がだんだん薄くなっていた。
その緑色の光が崩れ去る瞬間を見計らって、私は風刃鳥の正面に走り出す。
今度の狙いは――さっき叩かれた時に見かけた羽にある古傷!
私は彼の羽に刻まれた古い傷痕に目を留め、何となく周囲の景色が薄くなって、全身が熱くなるのを感じながら、周辺に満ちる水の魔素を引き寄せるように意識を集中させ、杖の先端に魔力を集まる。
揺らぎながらも、しかり10センチほどの『水球』が徐々に形成されるの確認して少し安堵し、歯を噛み締め、その小さく不安定な水球を、軌道修正の風魔法も加わり、思い切って狙った古傷に向けて撃ち込んだ。
無中生有、何もないところから、物質を生み出すのは、自然の法則に逆らう行為である。
一般人にとって、魔力量がレベル2の者が作り出せるせいぜい親指サイズの水球は、何の役にも立たないと認識している。
しかし、本業の魔術師にとって、その微々たる魔力でも正しく使えば十分に戦う手段となり得る。魔術師は自身の体内の魔力量だけでなく、自然界に漂う膨大な魔素をも利用することができるのだ。
勿論、自分の魔力ではなく、自然界の魔素を利用するのは容易な事ではない。
私自身も、最近の訓練では自然界の魔素と自身の魔力を併用する魔法運用よりも、むしろ自分の魔力を直接体に注ぎ込む身体強化魔法のほうが、遥かに体に馴染むようになってきている……
うぐ、私がなりたいのは魔術師であって、戦士ではない。
とにかく、無造作に自然界の魔素を取り込むと、器が壊されてしまうリスクが十分にある。制御に失敗すれば、周囲一帯を破壊するほどの魔力を発揮する可能性がある一方で、魔法の反動によって使用者自身を喰らいつく危険も大いに存在するのだ。
「ガアァァッ!」
私の全力の一撃を喰らった風刃鳥は悲鳴を上げ、羽を広げ、また攻撃が来ると焦っていると、同時にその巨大な体が地響きを立てて倒れ込んだ。
……?!
えっ?これで魔獣を倒れたの?隙間を作って逃げるつもりで……?!
予想外の展開に目を瞬かせ、信じられない思いで、私は力なく地面に座り込んだ。
「おーい、シアさん、無事か?」
遠くから聞こえてきたのは、魔術師協会のマルス先生の声だった。
頭を上げると、彼と何人の先生が飛行魔法でこちらに向かってくるのが見えた。




