◎シズ視点 新しい妹弟子
約120年前、わが師匠<預言の魔女>アリスティアが一夜にして大量の魔力を失い、体が子供の姿に変わった。
後に判明したのは、それは師匠が伝説的な大規模魔術、時間を戻す<時の回廊>を使用したことによる副作用だった。
しかも、膨大な魔力の喪失だけでなく、自分自身の三百年程の記憶も失ってしまった。
普通の人間の体を持ちながらも、六百年もの時を生き続けている魔女、彼女の存在意義は歴史の証人としての役割を担い、時代を記録し続けることに他ならない。彼女の記憶そのものが、過ぎ去った日々の出来事を語り継ぐ生きた書物であり、歴史そのものだった。
だからこそ、記憶が消え去るということは、魔女にとって生きた証そのものが失われるのと同義だ。
そして、それは彼女自身の存在を蝕むだけでなく、世界に刻まれていた彼女の足跡や影響までもが薄れていることを意味する。
彼女と関わりのある事件、伝えた言葉や残した知識さえも、誰の記憶からも消え去り、彼女が存在した痕跡が消えてゆく。
数百年分の記憶を失った彼女は、当時目覚めた時は、自分自身を正しく認識することさえ、できなくなっていた。かつては膨大な魔力を誇り、世界を変えるほどの力を持っていたというのに、記憶の欠落が彼女の自我を揺るがし、存在そのものを脆くしていた。
しかも、そうな大きな代償を支払ってまで、時間を巻き戻せたとしても、自分の記憶がないままでは、過去をやり直すことに、何の意味があるのだろうか?
結局、ただ同じ出来事を繰り返すだけではなかろうかと、そんな疑問が頭をよぎった。
だが、その数年後、師匠の手のひらに奇妙な印が現れた。それは、世界が魔女に『選ばれる三人の願いを叶えろう』という使命を示すものであった。選ばれた三人が誰なのか、何を願うのかは、直前まで、師匠自身も知らされていない。
一人目:アストラル王国の前々国王
最初の願いの主は、かつてアストラル王国で王位継承争いが激化していた頃の、ほとんど見込みのない王子だった。
その王子は、国内で魔物や他国の侵略の危機が迫る中、勢力も能力的に王としては頼りない存在だったが、願いの強制力で、師匠は嫌々ながらも彼を支え続けることになった。
結果として、30年という長い年月を費やし、王子を相応しい国王へと育て上げたのだが、師匠にとっては非常に骨の折れる仕事だった。
二人目:異世界から来た少女
次の願いの主は、10年前に別の世界から迷い込んできた異世界の少女。
一人目の願いを叶えるのに時間が大量に消耗したため、師匠は少女に『これはただの夢』と思い込ませ、願いを誘導する小細工までを施した。その結果、少女の願いは『お金が欲しい』という単純なものとなった。
だが問題は、彼女の意識における『金』が異世界の金貨を指していたことだ。師匠はその願いに従い、異世界の金貨を用意したが、この世界ではその金貨は全く価値のないものだった。
少女は異世界の金を手にしたものの、それが何の役にも立たず、途方に暮れることになったのだろう。
そして、異世界の物に干渉したこと、少女を欺いた行為が原因で、師匠には罰が下された。次の願いを引き出す際、誘惑魔術が『3分間』という制限付きになっていた。
自業自得としか言いようが無い。
三人目:新たな妹弟子
三人目の願いの主は、新たな妹弟子となるフリージア。
二人目の罰を受けても、師匠は懲りることなく、どこか楽しげで狡猾な態度のまま、三人目の願い主を迎えた。
師匠は高圧な態度で彼女を威圧したが、彼女から感じられるのは緊張、恐怖、そして精一杯の強がりといった『普通』の感情だけだった。
通常ならば、突然強大な魔力の圧力に浴びせられれば、物理的にも精神的にも影響を受け、意識がおぼろげになるはずだが、それなのに、彼女は驚くほどに耐えてみせた。
結果、師匠の狙いが敗れて、師匠が自暴自棄になりかけたその時、彼女が口にした願いは意外なものだった――『真の魔術師になりたい』。
その時、師匠の目が輝いているのが見えた。当たり前の顔で、妹弟子の教育を私に丸投げし、自分は長い眠りについた。
不責任な師匠ではあるが、一応、彼女のために弁解しておこう。
魔女の記憶の欠損は歴史の断片でもある。彼女と関わりのある記憶が失われたとしても、人も時間も世界も勝手に動き続けるが、歴史の記録を繋ぎ止めることは、彼女の使命であり、その断片を紡ぐ義務がある。
そのため、彼女は体に刻まれた過去の記憶を呼び起こし、眠りを通じて、失くした三百年程の記憶を回復しなければならない。
そう、彼女は意識を戻したのではなく、未来の体を今の時間に引き戻したのだ。
しかし、肝心の記憶を失ったままでは、体だけを戻しても意味が薄いと思う。
師匠の隣で魔女という存在について研究を続けているが、未だに解明されていない謎が数多く残っている。
とは言え、無理矢理に師匠を起こす必要はない。師匠への配慮ではなく、彼女は他人に教えるのが苦手のため、起こしたところで、妹弟子の教育に何の役にも立たない。
***
フリージアが私の訓練メニューを大人しく受け始めてから一か月後、再び彼女の身体能力を測定してみた。
その結果を見る限り、思っていた以上に進歩が早い。
頑丈さしか取り柄のない、もう一人の脳筋な妹弟子とは違い、フリージアはその弱々しい見た目からは想像もできない成長速度を見せている。
最初は彼女の体力を考慮して、訓練メニューには多少手加減をしていたが、どうやら次の段階に進めても問題はなさそうだ。
それにしても、彼女の魔力との親和力は驚異的だ。古代の精霊族にも匹敵するほどではないか。
これほどの素質を持っていれば、師匠の魔力による威圧に耐えられたのも納得がいく。
実に実験する甲斐がある。
フリージア本人は謂く『時間が戻ったおかげ』と、師匠に大変感謝しているようだが、いま彼女の過去と現在の記憶は徐々に混ざり合い、過去の記憶が薄れていっているのではなかろうか。
彼女が体験した過去の記憶も、時間が経つにつれて消え去る運命にある。
何にせ、師匠と違い、フリージアが戻ったのは『意識』だけだ。
そして、さらに残念な事に、二人目の異世界人の存在で、この世界線が以前のものと完全に一致しているわけではない。
それだけ、異世界人の存在は世界そのものに干渉するほど特別なものなんだ。
『兄たる者、妹を世話する義務があるよ!ね、そう思わない?兄弟子~』
脳裏に、もう一人の妹弟子が言った軽口が浮かぶ。
今、あの子はどこで冒険しているのだろうか。まあ、あの性格と力なら心配する必要はなかろう。
私も一応配慮して、スズをフリージアの側に置いた。スズ自身の能力はほぼないが、体には私が設置している転移の魔術がある。危険の時に、彼女を自分の部屋へ戻せる。
そう言えば、あの専属メイドから、『魔力の気配を隠す魔導具』を依頼されたな。
訓練中、フリージアはわざわざ変装した格好をしているのは、単に彼女の好みかと思っていたが、スズの観察によれば、どうやらそうではないらしい。
彼女は専属メイド以外の誰にも、自分が魔術の訓練をしていることを知られたくないようだ。
ならば、印象操作の魔術と、魔力の向上に伴い、体から漏れ出す魔力の気配を完全に隠す必要があるな。
久しぶりに魔導具を作るとするか。
悠月:
シズは強い力を持ち、魔術の研究のため、人間としての体すら捨てたため、潜在意識には自己中の傾向がある。そのため、フリージアの言葉を自動的に「真の魔術師になりたい」と変更しました。
次回、フリージアの冒険が始まります。




