34 令嬢は今後の予定を立てる③
走り込み、腕立て、ゴーレムとの対戦などなど、部屋で出来るものもあれば、動きが激しいものも含まれている。とても、いつもの北の廃園で、誰にも見付からずにこっそり訓練をこなせるとは思えない。
必要なのは訓練機材と、誰にも見つかない広い場所だ。訓練機材なら、備品室に私一人分の在庫くらいはあるはず。でも、広くて人目につかない場所となると……頭を抱えてしまう。
ふと、前回城下町へ行く際に通った森を思い出し、私はもう一つの提案をしてみた。
「それなら、屋敷の人に気付かれないように、屋敷の外の森に必要な器具を置いて、そこで訓練するのは如何でしょう」
しかし、この提案は予想外に却下されてしまった。
「君の弱い体では、森で何者かに攫われてもおかしくない。そのような事態が起きた場合、私に責任を取るつもりはない」
態度は強引ではあるが、どうやら彼は私を心配してくれているらしいので、私は特に弁解する気になれなかった。
それに、前回は何事もなかったが、今後訓練途中で誰かに見つかる可能性も否定できない。
私は手を頬に当てて、左右を見回してヒントになるものを探す。すると、机の上に置かれた新しいギルドカードが目に留まり、ある考えが頭に閃いた。
以前、ヴァルハン村で聞いた話では、大きな町にある冒険者ギルドには広い訓練所が併設されていることが多いと聞いた。そこなら、身分を隠し、誰にも注目されることなく訓練を受けられるかもしれない。
貴族社会の硬い仕来りと違い、平民の男女関係に厳しく制限されてない。冒険者のような荒い仕事なら、尚更性別には拘らず、能力だけを評価すると聞いた事がある。
「あの……転移魔術で冒険者ギルドの訓練所に送ってもらう、ことは……できますか?」
自分で言い出したことだけれど、言葉を発した瞬間、途端に羞恥心が押し寄せた。
確かにシズは、空間魔術を軽々と扱えるほどの実力者だ。しかし、転移魔術自体は非常に高度且つ貴重な魔術だ。それを無償で、しかも当たり前のようにお願いするなんて……
――我ながら図々しいにもほどがある。
恐る恐る顔を上げると、シズは目を閉じ、何かを考えるように静かに黙り込んでいた。
やはり、軽率だったかもしれない。断られるだろうと思いつつも、内心ではどこかで期待している自分もいて、なんだか情けなくなる。
けれど、その後に彼が口を開いた内容は、私が心配していたものとは全く違っていた。
「冒険者ギルドの訓練所、か……。確かに、そこも君の訓練には適しているだろう。魔術師協会へ行くにも、もとより近くの冒険者ギルドにここと繋がる転移魔術を設置する予定だ。ただし、未熟な君がギルドに出入りすれば、他の乱暴な冒険者たちに目を付けられる可能性がある。それが君にとって好ましい環境になるとは限らない」
どうやら、シズにとって転移魔術の設置は大した手間ではないらしく、しかもすでにその準備を考えていたようで、それには少し安心すると同時に、何とも言えない後ろめたさを覚えた。
こんな情けない『妹弟子』のために、いろいろと用意してくれている彼やアリスティア様の期待に、果たして、私は応えられるのでしょうか……
知らない世界で、知らない人の中に混ざるのは、怖い。
でも屋敷内で何かをしようとすれば、すぐに叔父様たちに知られてしまい、より頑丈な鎖に閉じ込められるのは明白だ。それなら、いっそう外へ出るほうがいい。
それに、私の『秘密基地』も外にあるもの。
「大丈夫です。可能なら、それでお願いします」
深く息を吸い込み、決意を込めてそう告げると、シズは反対することもなく、軽く頷いた。
彼は無言のまま、手早く部屋の一角に転移陣を構築し、スズにも新たな魔術を施すと、そのまま作ったばかりの転移陣を使って姿を消してしまった。
静まり返った部屋に残された私は、シズが放っていたまるで空気そのものが圧迫感を持っているかのような、独特の感覚が一気に消え去ったのを感じた。その瞬間、肩の力が抜け、重く長い溜め息が自然と漏れた。
彼の前ではなんとか平静を装っていたものの、実際には内心でずっと緊張に押しつぶされそうだった。あの冷静で的確な視線に晒されていると、自分がどれほど未熟かを痛感させられる。
私はしばらく呆然と月を見上げた後、再び訓練メニューに目を向ける。そこに記されたびっしりと詰まった時間表は、ほとんど休憩の余裕を与えてくれそうにはなかった。
しかし、それだけでは終わらない。
私は魔力量の増加だけでなく、薬師として薬草学の勉強も並行して進める必要があった。
少しでも薬草の学びを緩めてしまえば、自分の決心が脆く崩れてしまうような気がしてならなかったからだ。
頭の中で訓練スケジュールと薬草の勉強時間をどうにか調整しようと試みるが、うまくいかない。同じ案を何度も反芻し、どこかに余地はないかと悩む。
訓練の合間に少しでも勉強を挟む余地はないだろうか?いや、やっぱり休憩時間を削るのは無理があるかもしれない……
「でも……やるしかないよね……」
自分を励ますように呟きながら、空白の紙を取り出し、新たなスケジュールを書き加え始める。
一文字、また一文字とペンを走らせるたびに、不思議なことに、さっきまで胸を覆っていた不安が少しずつ和らいでいくのが分かる。そして、その代わりに覚悟が固まっていく感覚がした。
無茶な計画かもしれない、けれど、やらなければ何も変わらないのだから。
訓練の隙間に薬草の学習時間を細かく割り振り、集中するポイントを定める。例えば、朝の訓練前に薬草の復習をし、夜の訓練後にはその日学んだ内容を整理する時間を設ける。
思い切って休憩時間を削る箇所もあったが、どうしても譲れない部分だけはきちんと確保した。
「これで……どうにかなるといいんだけど」
ぎっしりと埋め尽くされたスケジュールは、見るだけで息が詰まりそうだ。
自分で作りながら、これらを本当にこなせるのかと……自信なんて、とても持てそうにない。
けれども、どれだけ厳しくても、この道を進むと決めたのは私だ。誰かに押し付けられたわけではない。自分の意志で選び取った挑戦だ。
そう思えると、多少の無理くらい乗り越えられる気が……しなくもない。




