33 令嬢は今後の予定を立てる②
その紙にびっしりと書き込まれた訓練メニューは、まるで兵士の鍛錬メニューのようで、体力を鍛える項目が中心だ。
――私、魔術師になりたいのに?
「えっと……すみません、私は魔法を勉強したいんですが、これ……どう見ても体力訓練ですよね?もしかして、他の者の訓練メニューと間違えていませんか?」
そう尋ねて、私はおずおずとシズの顔を伺った。
フクロウの表情に変化がなく、すぐに私のわずかな期待を否定した。
「いや、君の分で間違いない。一応、君の小さな体に合わせて最低限の内容に調整したつもりだが?」
最低限?これで?
私は思わず唖然とて、間抜けな顔になったと思う。それを見たシズは首をかしげ、不可解そうに問いかけてくる。
「この時代の魔術師たちは魔力量ばかりを重視するようだが、それでは魔術の技術を無視した、ただ魔力を放出するだけの粗雑な運用に終わる。君は、師匠に弟子入りしたいほど真剣に魔術を学びたいと言っていた。ならば必要なのは、単なる魔力量の増加ではなく、効率的な運用方法だと考えたのだが、違うか?」
いいえ、違います……私はただ、魔力量を上げたいことしか考えていなかった。
しかし、シズの言い方だと、専門な魔術師にとって魔力量だけが全てではないように聞こえた。それは、つまり、もしシズの言う通りなら、今の私のレベル2の魔力量でも、技術を習得すれば早くお母さんが残したあの空間に早く入れるかもしれない。
そう考えると、私はシズの視線に応えて小さく頷く。それを同意と捉えて、シズは少し満足げに頷き、さらに説明を加える。
「魔術とは、ただ精神と魔力だけで成り立つものではない。真の魔術師になるためには、大量の魔力を制御し、それを長時間に維持する集中力が必要になり、そして魔力と集中力を支えるのは、鍛え抜かれた肉体だ。」
集中力はともかく、やはり肉体は少し可笑しいではないの?魔法騎士になろうでもないのに?
「魔術を発動し続けるという行為は、心と体に多大な負荷をかける。魔力を扱う際、肉体が貧弱であれば集中は途切れ、結果的に術式が破綻してしまう。だからこそ、魔術と体力は切り離せない関係にある。精神、魔力、そして肉体が三位一体が揃って初めて、美しい魔術が生まれる」
やはり、シズの解釈は、以前エルフォール学園で先生方から教えられた概念とは大きく異なるものだ。
私が通ったエルフォール学園は、さまざまな学科に分かれている。文官を育成する<文官専門学科>、剣を振るい戦場に立つ<騎士専門学科>、魔法の探究と実践を行う<魔術専門学科>、貴族令嬢の教育を担う<淑女専門学科>、実用的な職業技能を教える<技能育成学科>、そしてエリートが集う<特別選抜学科>。それぞれが特化した教育を施す場である。
中でも<淑女専門学科>は、貴族令嬢が16歳になると強制的に入学を余儀なくされる特異な存在だった。そこでは社交術、礼儀作法、優雅さなど、いかにも貴族らしい立ち振る舞いを中心に学ぶことになっている。
最低限の魔法知識も一応教えられはしたけれど、その内容はかなり限定的だった。魔力量の基礎や効率的な増加方法、さらには子供を産む際に魔力を子供に流れる方法など……つまり、家庭に役立つのものばかり。戦闘や高度な魔法理論には全く触れられない。
――これって、もしかして意図的に、貴族令嬢たちにそう教え込んでいるんじゃないかしら?
そんな疑念が頭をよぎり、私は顔が真っ青になり、机の下で拳を握り締め、決心するように、シズに向けてに頷く。
「分かりました。メニュー通りにやってみます」
「ふむ。だが、君の表情が少し変わったな。不安があるのか?」
シズの問いかけに、私は慌てて首を横に振り、別の話題へと逃げることにした。
「その……魔術師協会で定期的に行われる授業に参加すると書いているのですが、それはシズが教えてくださるんでしょうか?」
しかしシズは、無感情な表情で「基礎もできていない今の君に、教えられることは何もない」と言い捨てた。
「そうなんですね」
意外でもない、シズのような凄腕の魔術師が、新人教育なんてするはずがない。私みたいな者を妹弟子扱いするのも、正直微妙だろう。
気を取り直し、体力作りの訓練内容を一つ一つ確認する。だが、ある条目を何回も見返しならが、どうしても我慢できずに口を開く。
「でも、せめて……せめて訓練場所を屋敷の騎士団の訓練所ではなく、別の場所に変更できませんか?そこには公爵家に仕える騎士たちがいますし、中には貴族男性もいます。公爵令嬢の私がその中に混じるわけにはいきません」
きっと、公爵令嬢としての品位に欠ける行動だと、叔父様に叱られるのが目に見えている。
シズは少し目を細めて考え込むように、あっさりととんでもない案を口にした。
「ふむ。ここの訓練所は一応設備が整っていると思ったが、彼処の者の視線が気になるなら、君が訓練する間、訓練所にいる人間を一時的に睡眠状態にするという手があるな」
――いやいやいや、何でそうなります?!!
私は驚きのあまり目を大きく見開き、必死に頭を左右に振る。
訓練するには設備が必要だが、だからといって騎士たちを全員昏睡させるなんて、物騒すぎる!
彼らではなく、私個人ならば?と考えて、おずおずと提案する。
「それでは騎士団の訓練に支障が出ます。他に……訓練の一角を結界で囲み、その範囲内の私の存在感を薄めるような魔術を使う、というのは可能でしょうか?」
「勿論、技術的には可能だ。ただし、最近は闇魔術の使用がこの国では厳重に制限されたらしい。君の提案を実現するなら、気付かないように、東方向の建物にいる光属性の魔術師たちの精神を混乱させる必要があるな」
シズは東方向に視線を向けながら、何でもないかのようにそう答えた。
すぐに返ってくる躊躇いのない、平坦な口調に、一瞬私が間違えたではないかと、錯覚が陥る。
でも、東方向の建物って、公爵家の専属魔術師たちが住んでいる別館ですよね?!あそこの魔術師たちの精神を混乱させる?
何てシズは力があるのに、物騒なことしか考えられないの!




