◎ライラ視点 家族①
「ライラ、あなたたちはまだ十歳にもなっていない。このまま集落に残ってもいいのよ。うちで預かってやるから」
「ありがとう、叔母さん。でも、私たちは母さんたちと一緒に行くよ」
集落を出るとき、父さんの妹である叔母さんは買い出しの途中だった私と弟たちにそう提案してくれた。
けれど、私は迷わず首を横に振った。
私が生まれるより前、老人たちの話によれば、この一帯に突如として瘴気が広がり、生き物たちは汚染され、魔物たちも狂ったように暴れ出したという。
鎮圧のために、大人たちは周辺の集落と手を取り合い、何度も戦いに赴き、そのたびにたくさんの命が失われた。
さらに追い打ちをかけるように、瘴気に汚染された一部の魔物は既に変異種へと変わり、倒しても大気に毒を撒き散らす始末。買い集めた光魔石での浄化もまるで追いつかず、うちらが暮らせる環境が日に日に狭まっていった。
獣人族にとって、力こそがすべて。
だから、本来なら最も強い者が集落を統べ、族長となる……はずだった。
戦いで自分の強さを証明し、皆の心をまとめることもできるかもしれない。だけど、死んでしまっては元も子もない。
その戦いのせいで、有力な族長候補たちは次々と命を落とし、残った候補の中には、誰ひとりとして抜きん出た実力がなく、それぞれが派閥を作って勢力を競い合い、集落の空気はどんどんギスギスしてた。
そこで、私が6歳のとき、族長を決める<武闘会>が開かれ、父さんが属してた派閥を含むいくつもの派閥が負けた。
『食糧問題の解決』や『新たな生活の場所の探索』という大義名分のもと、実際は争いを終わらせ、口減らしをするために、負けた派閥の者たちは集落から追放されることになった。
でも十歳未満の子供たちは追放の対象外だ。親についていかずに残る者は学舎で育てられ、いずれ戦士として集落に貢献する。
なにしろ、子供は集落の未来そのものだ。獣人族にとって、子を産み、育てることは一族の存続であり、魂の継承でもある。死してなお誇り高き戦士の名を受け継ぎ、その意志までも継いでいく――それが、私たち獣人族の生き方だ。
「しかしな」
「あの人、叔母さんを探してるみたいだよ」
何か言いたげな叔母さんを遮り、私は向こうから歩いてくる大人を指差した。そして、彼女たちが話し込んでいる隙に、弟たちを連れて、こっそりその場を離れた。
叔母さんは、亡くなった最強の第一族長候補の右腕だったが、今は新たな族長となった。
彼女は武闘会で小細工ばっか使って勝ち上がったものの、その戦いぶりは「正々堂々と戦え」っていう獣人族の価値観に反してるって、あちこちから文句が出てたけど、なんだかんだで族長になった。
弱き者への思いやり、外れ者たちをも受け入れる包容力、そして第一族長候補の右腕として培った実績。同じく仕える主を失った者たちの信頼を集めて、分裂した一族をひとつにまとめ上げた彼女は、一族にとって久しぶりの女族長になった。
父さんと叔母さんは血の繋がった兄妹ではあるけれど、それぞれ違う主に仕えてた。父さんの派閥が敗れた以上、新しい族長の身内だからといって、追放の決定は絶対だ。
幼い私でも、それくらいのことは分かってた。
正直に言えば、叔母さんの派閥の考え方のほうが好きだった。でも子供は親の属する派閥に分類されるのが当たり前だ。
それに、これまで父さんの派閥からいろいろと便宜ももらってきた。負けたなら、潔く結果を受け入れるのは当然の筋というものだ。
食糧問題の解決、或いは新たな生活の場所の探索。
どっちかを選ぶなら……まあ、後者はないだろうね。
なにしろ――
私は集落の中心にそびえる<神木>を見上げた。
ぱっと見は、ただの枯れた木としか見えないが、きっと彼は、私たちの目には見えない力でこの村を守り続けてきた。
それは千年前、魔王討伐ののちに、獣人族の代表である勇者セリーナ様がこの地に残したもの。その加護のおかげで、私たちの集落<ティグラド>は長い間、周辺の中心地として栄えてきた。
……だから、外に行くしかなかった。
集落の外に、食糧問題を解決する手がかりがあるかもしれない。
たった6歳の私でも、皆のために何かできると、当時の私はそれを本気で信じてた。
***
その一年後。
集落を出た大部隊は少しずつ分裂し、バラバラになり、我が家はあちこちを転々としたが、結局なにも見つからなかった。
でも集落に戻ることもできず、旅費も尽きかけてたので、最後に辿り着いたのはスペンサーグ城だった。
この場所を選んだのは、スペンサーグ城は貿易都市として有名なだけでなく、同時にアストラル王国の最大の生産都市でもあるからだ。
もしその豊かな物資の秘密を知ることができれば、集落にいる皆にも役立つかもしれない。
それから、以前母さんの姉が送ってくれた一通の手紙もきっかけの一つだった。
そこには、ここでは新しい平民上がりの領主夫人のおかげで、平民には優しく、獣人族にも差別がなく、彼女は試験に受かって看護師として正式に<国立診療所>に就職したという良い知らせが書かれてた。
<看護師>ってのはよくわからないが、聞いた話じゃ、集落の<呪医>と似たものかもしれない。薬草と呪文を使って怪我を治すとか。
でも、学舎で一通り薬草の知識を学び、山の薬草を集めて人間と物資を交換することがあっても、うちで薬草を使うのは、主に兎族などの草食獣たちだ。
彼らは力が弱く、自分の力だけじゃ他の獣人に勝てない。だから、外のものに頼るしかない。獣人族の中で彼らの地位はとても低い。
獣人族はみな身体が丈夫で、少しの怪我など舐めておけば治るし、大怪我をしたら、死んで他の者に意志を継ぐまで。
呪医なんて、正直どうでもいい存在だ。
叔母さんの側近に兎族の者はいるような……彼女らの改革で何か変わるかな。まあ、そんなことはもう集落を離れた私にはわからないが。
余分な金がないので、スラムに部屋を借り、父さんは冒険者ギルドで依頼を受け、母さんは看護師の伯母さんのところで雑用を手伝いながら金を稼ぎ、私は家の管理と弟たちの世話を任された。
それで新しい生活が始まったものの、ある日父さんは大規模な依頼で寄せ集めのメンバーとして参加し、大怪我を負って戻った。
幸い、冒険者ギルドの光の魔術師による魔術は早く、命は救えたものの、魔物に噛まれた片足は既に毒に蝕まれており、切断するほかなかった。
父さんは、足の戦いが得意だった。蹴り一発で岩を砕くくらい、誰よりも速くて強かった。
だから、片足を失うことは彼にとっては死ぬよりもつらかった。
父さんは「汚いヒト族に嵌められたんだ!」と、何度も言い張ったが、誰も父さんの味方にはならなかった。
その後、光の魔術だけで、すべての怪我が治るわけじゃなかった。父さんの体を回復させるために、私たちはまたたくさんの金を使った。
一家の大黒柱である父さんが倒れたことで、生活は一気に苦しくなり、私も働きに出なければならなくなった。
それなのに、父さんは「ヒト族の下で働けてたまるか」と突っぱね、歩き回る必要の少ない工房での力仕事を断った。彼は低ランクの依頼ばかりを受け続け、わずかな稼ぎで家を養いながら、そのうち、趣味のやけ酒に耽るようになった。
9歳の時、弟が突然の病に倒れ、死にかけた。
伯母さんの伝手で国立診療所の医師に診て貰えたけど、治るのに必要な金がまったく足りなかった。
ちょうどその頃、公爵邸が慈善事業としてスラムの住民を雇うことになり、給金も高かった。私は読み書きができたこと、そして珍しい獣人族であったことから、運よくその中に選ばれ、雇われることになった。
――領主代理の娘、ルクレティアお嬢様の愛玩動物として。
悠月:
まず、以前の「代理公爵」の名称を「領主代理」に変更しますね。
それから……やっぱり、一話だけでは書きたいものが全然書き終わりません(書いているうちに、つい色々と設定を盛り込みたくなってしまって)、もしかしたら三話くらいになるかもしれません。ぼちぼちと進めていこうと思います。
ちなみに勇者セリーナ、実は、最初にライトノベルを書いてみようと思ったときに作った主人公が、彼女でした。大筋も一応できていて、発表していないが、本編も二万字くらいまでは書いていたんですよ。
でもリアルの事情で執筆が中断してしまい、再開するとき、いろいろ考えて、練習として、フリージアのような優柔不断な人物のほうが私的に物語を構成しやすいと思い、この作品に取りかかりました。
当初は短編の習作にするつもりだったのですが、物語の大筋を練るうちにどんどん内容が膨らみ、さらに私の筆力不足も相まって、結果的にこのような長編になってしまいました。
セリーナ物語、何年後になるかな……。(年単位が酷い。遠い目)
追伸、とても遅い更新速度で、本当に申し訳ございません。
このようなお願いをするのは少し図々しい気がして迷っていたのですが……ここまでお読みくださった読者の皆さま、もし本作品の続きにご興味をお持ちいただけましたら、『ブックマーク』に追加していただけると嬉しいです。
(モチベーションが上がります!……とはいえ、たとえモチベが上がっても、リアルの都合と自己管理能力の不足で更新速度は変わらないと思いますので、改めてごめんなさい)
 




