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◎トム視点 これからの生活②

「トム兄ちゃん、見て見て、これ『林檎』、あたしが描いた!」


 ソフィーが明るい声で呼びかけ、僕が彼女たちのいるテーブルに近づくと、石板(せきばん)を掲げて林檎の絵を見せてくれた。


「おお、めっちゃ似ているな、すごいぞ」


 僕は素直に彼女を褒め、頭を撫でた。


「トム…にいちゃん、モモ…もかいた」


 恥ずかしそうに小さな声でつぶやくモモが、自分の蝋板(ろうばん)を差し出してくれた。


 彼女は目が見えないので、普通の石板じゃなく、ちょっと高い蝋板を使っている。

 石筆で書いた文字は簡単に消えるが、蝋板は削らない限り消えないし、文字や絵の凸凹(でこぼこ)が残るため、彼女にはその方が読み取りやすい。

 ただ、尖筆は先が鋭く危険なので、使うのは周りに人がいるときだけと決められている。


 モモが描いた林檎は、正直、ソフィーのように丸みがなかった。目が見えないから、その小さな手で距離感をつかむのはやっぱり難しいのだろう。


「おお、モモもよく描けたな!うまそうな林檎だ」


 それでも僕はべた褒めした。

 ウチでは「褒めて伸ばす」が家訓なのだ。


 モモは照れくさそうに口元を緩め、微かに笑った。


 その笑みは、妹のルナにどこか似ている。

 人見知りで、知らない人がいるとオドオドするけど、笑うと花が咲くように輝く。

 僕の自慢の可愛い妹だ。


 ルナ、会いたいな……。


「マルコは何を描いたのかな?見せてくれる?」

「あ」


 暗い気持ちを振り払いたくて、僕はうつむいてまだ何かを描いているマルコに声をかけた。すると、彼は顔を赤くし、腕で石板を隠そうとした。


「トム兄ちゃん、マルコはね、店の看板を作ってみたんだよ!あたしも一緒に考えた!」


 単純な「あ」や「う」といった音しか発せないマルコの代わりに、ソフィーが得意げに答えてくれた。


「もう、トム兄ちゃんにも見せてよ~」


 そう言うなり、彼女は強引にマルコの石板をひったくり、僕に突き出した。


 マルコが嫌がっているんじゃなくて、ただ照れているだけだと分かっているから、僕は小さく笑いながら、その絵を見た。


「これは…コップ?でも、この真ん中の線はなんだ?」

「これは、えーっとね、麦わら!これを口にシュウワワーってして、キレイな水が飲めるのよ」

「へぇ、そんなんだ……」


 イラストには、円筒形のコップに花や葉っぱなどが描かれていて、中央には一本の細い線が長く伸びていた。

 僕はいつもコップに直接口をつけて飲むだけど……こんな細い雑草で、水って飲めるの?


 でも、看板か……

 昔の人たちは、あまり文字を知らなかったらしい。だから店を出すときは、木の板や金属でイラストを描いて、「ここはパン屋」「ここは薬屋」と、売っているものを絵で示していたそうだ。小さな町なら、お互い顔見知りだから、それで十分だったんだろう。

 けれど、遠くの町にまで名を広めようとすると、イラストだけではどうしても限界があった。そこで、ある賢い商人が看板に文字を基にしたデザインを取り入れ、工夫を凝らしたところ、新しい看板は人々の目を引き、扱っている品もいいなので、店はたちまち大繁盛した。

 だが、繁盛すれば真似をする者が出てくる。やがて、その看板を模倣した偽物が市場に溢れ、大騒ぎとなった。

 この騒動をきっかけに、領主様の管理の下、正式に<商号>という制度が生まれた。商人は領主様に対し、誠実な商売を誓い、大金を寄付することで、唯一無二の商号を授けてもらえるようになった。


 平民には家名がない。家名を名乗ることを許されるのは、貴族様だけ。

 だから、家名みたいに代々受け継げる商号を持つ商人というのは、特別な存在で、商人たちの憧れでもある。


 店の看板に商号を申請することもできるけど、普通の店はそんな無駄金を使わずに、昔からのやり方でイラストを使っている。

 ただ、一つの店ではなく、組織として運営する場合は、<商会>として立ち上げる。その時は商号の登録が必須で、その商号がそのまま商会の名前となる。

 最近じゃ商号を持つ商人も増えて、昔よりは安くなったらしいけど、それでも簡単に手が出せる額じゃない。


 シア様は……金を持っていそうだし、イラストの看板じゃなく、早々に商号を買ったのじゃないのかな。

 でも、チビたちがキラキラした目で見つめてくる前で、その努力を否定するなんて、できるわけがなかった。


「おう、これは使えるそうだな。後でシア様とドミニクさんにも見せな」

「えへへ、そうする」

「う」

「皆~、ただいま戻りました。お土産をいっぱい持ってきましたよ!」


 ちょうどそのとき、数日前に冒険者ギルドで任務を受けて外へ出ていたクロエさんが戻ってきた。大荷物を抱え、声を聞いただけで分かるくらい元気いっぱいに挨拶してきた。


「はい、トム君、これはあなたに。モモちゃん、これを~。ソフィーちゃん、はい、頼まれたものね。マルコ君、欲しいものはこれですよね?違ったら遠慮なく言ってね。カヤさん、これを!食べてください。妊婦さんにいいらしいですよ!」


 僕がお礼を言うより先に、彼女はせわしなく動き回りながら、ぱかぱかと口を開いて話し、僕たち一人一人にお土産を配ってくれた。


 僕に渡されたのは……ノート?

 え、なんで僕がノートを欲しがっているって知ってたんだ?クロエさんが出掛ける前、僕、そんなこと一言も言ってないのに。

 やっぱり、クロエさんは不思議な人だ。


 でも、嬉しいな、親以外の人からプレゼントを貰えるなんて。


 お礼を言いそびれたと思ってクロエさんを探すと、彼女は案の定、カヤさんのお腹に釘付けだった。

 クロエさんはなぜかいつもカヤさんのお腹を興味津々に見つめている。出かける前も、離れ難い様子で、離れている間に赤ちゃんが生まれてしまうのではないかと心配しているようだ。五ヶ月の子はまだまだ先だと伝えても、どうにも信じてくれないらしい。


「人間って本当に面白いですね。子供がお母さんのお腹から生まれるなんてね。いつ生まれるかな、楽しみです!」


 『人間』なんて言葉、獣人族みたいな他種族か、<中二病>って呼ばれる変わった変人しか使わないと思っていた。

 クロエさんはどう見ても人にしか見えないから、他種族じゃないなら後者かな?

 でも、なんだかそれもピンとこない気がして。


 いや、ダメだ、こんな考え方。


 母さんがいつも言っていた。

「人を枠にはめて決めつけるのはダメだよ」


 隣のソフィーは頭で僕を軽く突き、石板を持っている手を掲げて、小声で尋ねてきた。


「トム兄ちゃん、これをクロエ姐ちゃんに見せてもいいかな?」

「そうだな。クロエさんがいいって言ってくれたら、ドミニクさんも考えてくれるかもしれないぞ」


 あの人は妹に甘いようだからな。



 ***

「ルナが救済院にいる」と教えられたとき、心の中で築いていた薄い紙の壁が、ペン先で裂かれたような気がした。


 薄々気づいた。

 僕は要らない子だと。


 父さんと母さんはいつも褒めてくれた。だから、自分は役に立つ人だと、そう思い込もうとしていた。

 でも違った。僕は他の人とは違う。

 外へ出るたびに、いつも誰かが僕の足をじろじろと見て、わざと聞こえるようなひそひそ声で、僕と僕の大切な家族の悪口を言う。僕が何かをしようとすると、周りの人たちは奇異な目を向けてきた。


 健康に生まれた妹を見て、嫉妬したことが一度もないと言えば、きっと嘘になる。

 ルナが初めて歩いたとき、僕はすげー嬉しかった。這い這いしていた可愛い妹がついに立ち上がったのだから。

 でも、たどたどしく数歩しか歩けなかった頃から、みるみる上手に歩けるようになるのを見て、気づきたくない何かが心に芽生え始めた……


 僕はずっと家族から愛されている。

 だから、彼らに心配をかけないように、笑顔を作るのが上手になった。



 ***

 鉄柵で守られた救済院の裏庭の外に、私はシア様の従者ライラさんに教えられた時間通りにやってきた。

 あの大きくて硬い鉄柵は、僕を拒むように冷たく立ちはだかっている。


「ニニ~、ニニ~」


 少し待っていると、久しぶりに見た妹の泣きじゃくる顔を見て、思わず目元が熱くなり、僕も泣き出してしまった。


 鉄柵越しに伸ばされた小さな手を握るだけで、何もかもどうでもいいとすら思えた。

 生まれてからずっとそばにいた妹。こんなに長く離れ離れになったことはなかった。父さんと母さんはもういない。僕たちにとって、お互いが唯一頼れる家族なのだ。


 父さんがいつも言っていた。

「俺たち親子はな、野郎として、どんなことがあろうと、母さんとルナを守るんだ」


 だから、親がいなくなったとき、誓ったのだ。僕がルナを守るって。


 それなのに、それなのに……もうそれすら出来なくなった。その資格が無くなった。


 白い洋服を着たルナは、まるでどこかの大商会の娘のようだ。

 それに比べて、首の後ろに刻まれた奴隷の烙印は髪で隠されているが、時々存在感を主張するかのように痛みを発し、僕が奴隷であることをしきりに突きつけてくる。


 なぜあの場所に、僕たちのような障害者が集められていたのか、分からない。

 シア様はおかしな人だ。僕たちのような不良品を買うなんて。


 でも、同時に、シア様とトミニクさんはいい人だ。寝所と食事を与えられている。店の開店にも僕の意見も聞いてくれて、仕入先の訪問に僕のような子供を連れて行き、自由に使えるお金までくれた。


 昔、店のカウンターで、僕はいつも未来の夢に想いを馳せていた。

 いつか、ウチの雑貨屋を継ぎ、店を大きくして、店員を雇う必要があるくらい、店が忙しくて、大儲けした後に、商号を買って、別の場所にも店を開いて、それから、それから……すべてが叶わない夢になった。


 ルナはまだ僕の存在を大切に思ってくれている。

 今の彼女の年齢なら、いずれ父さんと母さんの顔を忘れてしまうかもしれない。もし……今、僕が彼女の手を離してしまったら、彼女は……。

 僕と関わらないほうが、ルナは幸せになれる。僕のような人と関わるべきではない。


 ううっ、この小さな手を離したくないよう……。

 どうして僕は妹の手を離さなければならない。どうしていつもの日常が壊れてしまった。どうして僕たちは家族なのに、一緒に暮らせないの……。


 なぁ、もう少し、ほんの少しだけでいいから、僕の妹にいてくれないか?


 そんな欲望が浮かんだとき、呪文のように、何度も繰り返される言葉が、洗脳されたかのように頭に響く。

 『奴隷には自分の物などない。全ては主人の物だ』


 あぁ、やっぱりダメだな。欲張りしてはいけない……


 僕は袖で自分の涙を拭い、ルナの涙もそっと拭った。彼女がふっと綻ばせた小さな笑顔を見て、僕も笑みを返した。

 彼女の今の生活について尋ね、そして……父さんと母さんが今まで僕に教えてくれた言葉を、彼女にも伝える。

 もう、これで最後だから。


「ルナ、公爵令嬢がお戻りのようだよ。早く集合場所に行かないと、先生に怒られるわ」

「イヤー、ニニといっしょ、のいい」


 夢のような時間は、あっという間に終わった。


 向こうからやって来る、僕と同年代の茶髪の女の子は、さっきルナをここに連れてきてくれた子だ。まだ彼女にお礼を言えていない。


「もう、目が赤いじゃない。後で先生に転んだって言いなさいよ」

「あの、ルナと会わせてくれてありがとう、ございます。これからルナをよろしく頼みます」


 ルナに向ける温かい目とは違い、彼女は淡々とした視線を僕に投げた。


「あなた、また来るよね」

「えッ、でも、僕は……」


 頭が少しカッとなった。

 彼女は何を言っているんだ。さっき、僕はどんな気持ちでルナと別れを告げたと思っているんだ。


「またルナに会いに来るのよね!」

「むっ」


 反応するより先に、彼女が突然近づいてきて、僕の襟首を掴んだ。

 強い力で引き寄せられ、顔が鉄柵にぶつかり、少し痛い。


「ニーナ、ニニとケンカしちゃ、ダメだよ」


 驚きのあまり、ルナは泣き止んだ。


「ルナは黙って、喧嘩なんかしてないわよ」


 彼女はぶっきらぼうに怒鳴った。


「とにかく、もし来なかったら、許さないから」


 吸い込まれるような茶色の瞳に、怒り以外の感情が揺らめいて見え、その迫力に押され、僕は思わず頷いてしまった。


 

悠月:

 なんか、他人視点が多すぎないか……。

 でも、新しいキャラクターを考えると、この設定を加えると面白そうかもと思って、もっと掘り下げたくて書いてみました。

 それに、今頭の中にある設定を文字にしないと、将来忘れてしまうかもしれないので、フリージア視点だけではその設定が出てくるのがずっと先の話になるんですよね。だから、やはりとりあえず他人視点で。

 23/100が他人視点か……、うん、多いですね。(ちなみに、次話はライラ視点です、一話で終わるかな)

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