第2話 夢裡の少女 Ⅱ
アリスは、謁見の間に案内される。
高い天井は奥に進むほど華やかな装飾が施されており、最奥の中心には王座がある。その王座を取り囲むようにして、数人の王都騎士が微動だにせずじっと立っている。全員ではないが、セトの兄王子達の姿もある。
隣に立つセトは迷い子のように落ち着かない様子で、辺りをちらちらと見る。そして、何かを確認すると、落ち込んだような表情を見せる。
まもなく、王妃が玉座の前に現れ、セトとアリスは跪く。
「アリス、よく来てくれました」
王妃の耳に心地よい声が響く。
「ベアトリーチェ王妃殿下、ご無沙汰しております」
アリスは祈るように顔を下げる。
「そんなに畏まらないでいいのよ、私たちはこれから家族になるのですから」
「お心遣い痛み入ります、王妃殿下」
顔を上げると、王妃と目が合う。王妃は切れ長の目を細めて穏やかに笑う。艶やかな黒髪に自信に満ちた風姿。元々女性にしては高めの身長だが、姿勢の良さと威厳もあって、更に大きく見える。年齢を重ねるごとに美しくなっていく、そんな佇まいである。
「ああ、アリス。今日のドレス、とてもよく似合っているわ。本当に綺麗」
「身に余るお言葉、恐悦至極にございます」
「……本当は陛下にもお見せしたかったわ。アリスも陛下に会いたかったでしょう。私一人でごめんなさいね。それにあの子も……」
王妃は辺りを見回し、嘆息する。
「滅相もございません。陛下のお身体の具合はいかがでしょうか」
「ええ、お陰様で前よりは良くなりましてよ。ただ、まだ外出は厳しいようで……」
「……こちらも、本来ならば伯母と一緒に伺うべきところを……」
そう言って、アリスは軽く奥歯を噛む。
「いいのよ、伯母様、お身体が弱いのでしょう? 何か協力できることがあったら、遠慮なく言ってくださいな」
「……はい」
体勢を低くして答えるアリスをまじまじと見つめ、王妃は満足そうに微笑む。
「ふふ、こんなに上品で美しい妃が来てくれるなんて、セトは幸せ者ねえ」
「……は」
セトは無表情のまま声を発する。無表情だと、作り物のように美しい少年だ。
「……エディリアは『天使の都』と呼ばれ、古来より、主の命を受けた天使に見守られ、千六百年もの間、平和を維持しています」
先ほどまでの気易い態度とは打って変わって、王妃は真剣な面持ちで言う。
「あなた方が王家、いや、このエディリアに、新たな繁栄と安寧をもたらしてくれることを期待しています……この地と民を、守ってくださいますか?」
「はい、王妃殿下」
セトとアリスは声を揃えて答える。
それを聞いて、王妃はにっこりと微笑む。
「猊下に代わって、あなた方に天使の御加護があらんことを——」
* * *
「はあああ……」
控室に戻ったアリスは、盛大に嘆息する。
今日、初めて一息つけた気がする。今すぐベッドに寝転がりたいところだが、綺麗に結ってもらった髪を崩すわけにはいかない。外光を取り込むため、部屋の東側にあるアーチ形の重い窓を開ける。木々の葉の匂いと、爽やかな風が入ってくる。窓枠に手を置き、その上に突っ伏す。
(学校を卒業して、王室に入ったら何をするんだろう。私にできることなんて何もないのに。この婚姻がエディリアのためになるわけがない。騎士の娘に生まれただけの無能女と、顔だけ末っ子王子の見せかけ婚だ)
エディリアの王族は、この地が『選ばれた』際に、主と交わったとされる血族。よって王権は絶対であり、王が直々に騎士団を統治することにより、民の安全を守っている。
臥せる王の代わりに王都を守る王妃はとても立派だと思う。アリスなら、自分があと百人いたとしても到底無理である。
この地は平和だ。皆が天使のお告げの通りに生きているから犯罪も少なく、侵略者が来るわけでもない。それでも統治するのは相当な苦労を要するはずだ。
何故なら、この国には、夜があるのだから——
心配しなくても、王位継承権が無いも同然なセトとアリスに、そんな大役は回ってこないが。
(私の存在意義ってなんなんだろうな……)
アリスは窓から城の外を眺める。高台にある城からは、エディリアの街が一望できる。
(王室の人間になったら、もう家には帰れないんだな)
家。アリスは家族の顔を思い浮かべる。父、母、妹、そして伯母——腸が煮え返るような思いがする。
(もう、あそこは私の家ではない)
心に浮かんだ、ドロドロとした感情を打ち消すよう目を瞑る。
深呼吸をし、心を落ち着けてから目を開く。その刹那——
窓の下から、手が出てくる。
「ひいいいっ!」
思わず叫んで、アリスは飛び退く。
「何、なに? 手?」
外に誰かいるのか? アリスのいるところは三階だ。十メートル以上はある。いや、もしかしたら城の掃除人はこんなところまで登って掃除をするのかもしれない。
そう思ってアリスは外側から窓枠を掴む手の下を覗いてみようと、少しだけ窓に近づく。
すると、もう片方の手が出てくる。何やら力を込めるように動いている。登ってこようとしているのだろうか。
アリスは後ずさり、謎の手の正体を突き止めようと、凝視する。
「よいしょ」
窓から何かが入ってくる。
一見したところ、年の頃十八ぐらいの、アリスと同じか少し上くらいの青年だ。
——綺麗だ、とアリスは思う。
白い肌に白い髪、着ている服もまた白かった。その中で爛々と輝く赤い瞳が際立つ。セトも絶世の美男だが、彼とは違う、もっと、生きていないのではないかと感じる、冷たい美。
耳が隠れるぐらいの長さの髪をふわりと揺らし、アリスの方を向く。
瞬間、ばちっと目が合う。
「あ! ここの城の人?」
「………?」
話しかけられたという事実を受け止められず、アリスは無言で謎の青年を見つめる。
「お前」
白髪の青年は指でアリスを差す。アリスはつられて自分自身を指で差す。
「そう、お前」
そう言って青年はじりじり近づいてくる。アリスはこの場からどうやって逃げ出そうか考える。
「あのさ」
青年はそう言って今度は部屋の右側を差す。
「あっちに聖堂があるだろ? 俺は聖堂の中にいる長に会いにきたんだ。なのに扉が開かない。何らかの術がかかってるみたいで……何か知らない?」
アリスは勇気を振り絞って叫ぶ。
「衛兵さ——むぐっ!」
叫び終わる前に青年に片手で顔を掴まれ、口を塞がれる。
「じゃあ『イヴ』はどこにいる?『イヴ』なら長に会えるだろ?」
もがもがと口を動かすアリス。アリスが口を塞がれて喋れないことに気が付き、青年は手を放す。解放されたアリスは荒い呼吸を整える。
「わっ私……この城の者じゃない……」
「んえ? お客さんってこと?」
壊れた人形のようにこくこくと頷くアリス。
「えー、せっかく俺のこと見えるヤツを見つけたと思ったのに」
青年は落胆していたが、アリスには状況がわからない。見える、とは何なのだろう。この青年は幻影か何かなのだろうか。にしては、さっき掴まれたし、普通に痛かったのだが。
「仕方ない、他を当たるか」
くるり、と背中を向け、青年は窓の方へと戻っていく。そのまま窓枠に登り、身を乗り出す。
「じゃな」
そう言って、青年は窓の外へと飛び降りる。
「死んっ——」
アリスは慌てて窓に駆け寄り、下をのぞき込む。ただ、鬱蒼とした森があるだけで、青年の姿は上にも横にも、どこにもない。
「………?」
取り残されたアリスは、ただ呆然と立ち尽くした。
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