第17話 黒の祭礼 Ⅰ
静かな朝の光が差し込むマラキア城内。
セトは一人、廊下の突き当たりでその場を行ったり来たりしている。
耳を澄ませると、複数人の足音がだんだん近づいてくる。
出ていくならば、今だ——
「お久しぶりです! 兄さ……」
そこにいたのは、会議に参加していた王都騎士団の面々。その中で、二十代後半ぐらいの男が、セトに気が付いて立ち止まる。
「セト殿下?」
「オルランド……」
オルランドと呼ばれた男の腕には、王都騎士団ロサ隊隊長の証である腕章が付けられている。身長はセトよりも高く、姿勢が良い。短く切られた銀色の髪は襟足だけ長く、黒い飾り紐で束ねられている。セトを見る金色の瞳は優しげだが、どこか神経質そうな雰囲気が漂う。金属製の飾りをあしらった、典雅で洗練された深紅の隊服の似合う、騎士然とした男だ。
「大きくなりましたな~!」
そう言って、笑顔になったオルランドはセトの頭をわしゃわしゃと撫でる。
「いや、最後に会ったのそんなに前じゃないだろ。オルランドいつもそれ言う」
乱れた髪を直しながら、少し恥ずかしそうにするセト。
「すみません。どうしても第一王子殿下の後ろをちょこちょこついていってる印象しかなくて」
「いつの話だ」
セトは辺りを見回す。目があった騎士たちは気まずそうに一礼をして去っていく。
「兄様……は、いないのか?」
「先程まではいたのですが。会議が終わったらすぐに猊下のところへ行きましたよ」
「そう……か。猊下の容体は、そんなによくないのか……?」
「私も詳しくは存じておりません……が。特に最近は付きっ切りですね」
セトは落胆する。今日こそは兄に会えると思って来たのだが。
「セト様」
後ろから、長身の騎士が声を掛けてくる。
服の上からでも鍛え上げられた筋肉が解る。片目に傷のある、いかにも歴戦の猛者といった風貌の男だ。
「パーシヴァル!」
セトはパーシヴァルという男から隠れるように、オルランドの後ろへと回る。
「そろそろ士官学校のお時間では? また出席しないおつもりですか?」
「行く! 今から!」
兄に会えないのならここにいる意味はない。セトは舌打ちし、踵を返す。
ちらりと振り返ると、パーシヴァルは黙ってセトの背中を見ており、オルランドは手を振っている。
「……兄様」
大きく嘆息し、セトはその場を去った。
セトが士官学校へ到着すると、教室内はいつもよりざわついていた。
教壇の横には、先ほど間近で見たばかりの、王都騎士団の隊服が並べられている。セトにとっては馴染みの隊服だが、この学校の生徒たちにとっては憧れの衣装である。
「来歳になりましたら、皆さんも王都騎士団の各隊に分かれて演習に参加することになります」
教師が説明する。
「王都騎士団はロサ・ダリア・リリウムの三つの隊があります。政治や軍の指揮を執るのがロサ、前線で罪人の確保や悪霊の討伐を行うのがダリア、戦闘の補佐や傷病者の救護、民への慈善活動を行うのがリリウムです。女生徒はリリウム隊、男子生徒はロサ隊かダリア隊か希望を取ります。今から準備しておいてくださいね」
もうそんな時期か、と思う。
他の生徒は成績次第では王都騎士にはなれないが、セトには関係がない。出来が良かろうが悪かろうが、王子であるセトの卒業後の進路は既に決まっている。
アリスと結婚して、兄が隊長を務めるダリア隊に入るのだ。
「いいなあリリウム。早くなりたいなあ」
「隊服かっこいい~」
女子たちのはしゃぐ声が聞こえてくる。
「他に、王都騎士団について何か聞きたいことがある人はいますか?」
教師が全体に目を向けると、一人の女生徒が手を挙げる。
「はい、アリスさん」
意外な人物が挙手していたことに、セトは驚く。
(質問なんかあるのか? アリスは士官学校を卒業しても騎士にはならないのに……)
アリスの質問は、更にセトを混乱させる。
「王都騎士団の隊服ってこんなのでしたっけ……?」
「はい……? 王都騎士団の隊服は、百五十年前に一新されてから現在までこの形ですね」
「……紋章入りの黒い外套じゃなかったですか?」
「それは、百五十年以上前ですね。肖像画の騎士が着用しているのを見たことがある人もいるでしょう」
「……ありがとうございます」
席に着き、アリスは黙る。そして、何か難しいことを考えているような顔をする。
(……? 何の質問だ? 今の……)
不審に思い、アリスを観察していると、今度は何か閃いたように、顔を上げる。
(何か思いついたのか?)
そう思った矢先、アリスは再び首を傾げる。
(アリスの様子がおかしい……!)
◇ ◆ ◇
本日の講義内容は、王都騎士団についてだ。
騎士になる予定のないアリスには、正直必要のない知識である。そんなアリスの頭の中は、講義以外のことで一杯だった。
教壇の横に並べられた王都騎士団の隊服。
ロサ隊は赤、ダリア隊は紫、リリウム隊は白を基調としている。
どれも、あの夜——アリスの首飾りを拾ってくれて、後に意味不明な求婚をしてきた騎士が着ていたものではない。
(黒の外套は百五十年前? どういうこと? あの人は百五十年前の隊服を着てウロウロしてる変態だったってこと?)
変わり者なのか、本物の騎士ではなかったのか。考えれば考えるほど解らない。
(……そもそも、私の幻覚だったり?)
アリスが物思いに耽っていると、アリスの横を丸めた紙が通る。
(ん……? これ何だろう……)
振り向くと、斜め後ろから三人組の女生徒が、アリスの前の席に座る女生徒に向けて紙屑を投げている。
「当たった! 私の勝ち!」
「え~? もう一回やろ?」
クスクスと笑い合う女生徒達。紙屑を投げられている本人は、黙って前を向いている。
(幼稚……)
いい気分ではなかったが、こんな時に『やめろ』と出ていくような正義感は持ち合わせていない。
アリスは、退屈そうに肘をついて、講義が終わるのを待った。
* * *
講義が終わって、アリスは立ち上がる。通路に出ようとした瞬間——
「うわあっ!?」
後ろから来た生徒とぶつかってしまう。本を沢山抱えていたようで、その全てが床に散らばる。
「ごごごごごごめんなさい!」
動揺する女生徒——先ほど、標的にされていた子だ。
朝焼けのような橙色の癖毛。その髪を肩上ぐらいで切り揃えており、前髪だけは切りすぎたかのように短い。褐色の瞳に垂れ目の平凡な容姿だが、アリスより少しだけ身長は高く、アリスよりだいぶ胸が大きい。
「大丈夫よ。本が……」
アリスが本を拾おうとすると、女生徒はぎょっとして言う。
「いっ!? いいです! 自分でできますからどうぞ行ってください!」
顔を見ると、女生徒は視線を逸らす。そんなに怖がらなくても食べはしないのに、と思う。アリスも人のことが言えるほど、堂々とした人間ではないが。
女生徒の本を一冊拾うと、その本の間に挟まっていたチラシがひらりと床に落ちる。アリスはそれを拾い上げる。
ふと、目に飛び込んできた内容に驚愕する。
「魔宴……魔女による、死者蘇生の禁術……」
魔女。つまり、悪霊の契約者——それが集合する、宴があるのか?
アリスは女生徒に確認する。
「ねえ、このチラシどこで……」
言い掛けて、女生徒にガシッと手を握られる。
「興味あるの?」
先程までとは打って変わって、食い気味にアリスを見つめる女生徒。その瞳は、キラキラと輝いている。
「私ね! 王都の廃墟で極秘に行われている、魔宴の情報を入手したの!」
興奮気味に女生徒は話し続ける。
「すごいのよ! 死者蘇生の禁術の研究をしていらっしゃる魔女が来るの! きっと他にも色々な術を知っているわ! きっと私をいじめる奴らに復讐できるものも……あ」
「…………」
アリスは目をぱちくりさせる。
「ご……ごめんなさい……こんなんだからキモイとかブスとか乳だけ女とか言われるんだ……私……」
「いや、いいの。ちょっと興味あったから」
「本当!?」
「これ、貰っていいかな」
「いいよ! 一緒に行きたくなったら、声かけてね!」
「う、うん……」
にこにこと手を振る女生徒に、軽く微笑んでその場を離れる。
手にしたチラシを、そっと鞄の中にしまった。
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