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ダクスの女神  作者: 森松一花
第1章
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幕間 不思議の街

 十二歳の頃に、両親と妹が亡くなった。


 それからアリスはずっと伯母の言いなりだったが、十四歳の夏にふとしたことから伯母と言い合いになってしまった。


 初めてのことで、悔しくて、悲しくて、何も持たずに家を飛び出した。無我夢中で走ったせいで、靴も片方失くしてしまった。

 気が付いたら、迷路のような細道にいて、自分が何処にいるのか解らなくなっていた。



「ここ……どこだろう」


 アリスは一人、呟く。


 エディリアの路地は入り組んでいる。それ故、大通りから外れると、住人でも迷うことがある。

 それに、路地は治安もよくない。母には、一人で出歩くときは、大通り以外に行ってはいけないと言われていた。


(大通りから外れちゃった……危ないからダメだって……心配する? 誰が?)


 ふと、思う。アリスを心配するような人は、もういないのではないか。


 道行く人々は、皆、楽しそうに笑っている。

 ここは選ばれし地、王都エディリア。しゅに愛され、天使がべる平和な場所。


(何処に行けば楽になるんだろう。みんな幸せそうなのに、私だけ、一人)


 建物の隙間にしゃがみ込む。ごみが散乱していたが、今は気にならない。


「ああ……あーあ! ああ!」

 

 無意味に叫ぶ。世界には、自分しかいない気がする。


 こんな世界——



「こんな世界、終わってしまえばいいのに」



 そうつぶやいた後、パキリ、と、地面に散らばる木の板が割れる音がする。

 アリスは慌てて、後ろを振り返る。


 逆光で一瞬、顔が解らなかったが、二十歳前後の、美しい青年が立っている。

 夕暮れに染まる紫の空のような瞳。瞬きをする度、長いまつげが目を隠すように揺れる。金糸を織り込んだような長髪は後ろで三つ編みにしており、神々しい美しさがある。ぶかぶかの、騎士の訓練着のような服に、黒いフード付きの外套がいとうを羽織っている。


 何も言えないで呆然ぼうぜんとしていると、青年は気まずそうに口を開く。


「あ、えーと……迷子?」


 アリスは黙って頷く。


「靴、片方どこやったの?」

「解らない……」

「お家の場所は?」

「大通りに出ないと解らない……」

「うーん……どうしよ」


 青年はアリスを見る。見知らぬ麗人れいじんに情けない姿を見られ、何だか急に恥ずかしくなる。


「とりあえず、そのままじゃ足が痛いよね」


 青年はアリスに手を差し伸べる。


「おいで」

 

 アリスが手を取ろうか迷っていると、青年がアリスを掴む。

 引っ張られるままに立ち上がって、アリスは青年の後を早歩きでついていく。


 今までに見たことのない、ごちゃごちゃとした狭い店や、変な装飾の店。とても綺麗とは言えないが、興味をそそられる。


 目に映る全てが、チカチカと輝いているようだった。


 ずっと暮らしている王都に、こんな場所があるなんてアリスは知らなかった。

 何処か別の世界の、ヘンテコな街に迷い込んでしまったのではないか——そんな気がした。



 青年に連れられ、アリスは一軒の店に入る。

 まだ開店していないのか、店内には誰もいない。掃除をしたばかりなのか、床が湿っている。


「ちょっとここで待っていて」


 青年はアリスを店の椅子に座らせる。


「どこにも行かないでね」


 優しくささやくと、青年は姿を消す。


 アリスはずっとドキドキしっぱなしである。知らない人、知らない場所。修道院学校で知られたら、教師に怒られるだろうか。


(ここ、何なんだろう)


 たくさんの椅子とテーブルがあり、真ん中には舞台のようなものがある。奥には厨房ちゅうぼうらしき場所があり、二階へと続く階段もある。


(ご飯を食べるお店かな?)


「お待たせ」

「ひゃい!」


 声の主は先ほどの青年だ。女の子用の、ボロボロの靴を持っている。


「こんなのしかなかったけど、ないよりはいいかなって」


 青年はよいしょ、と言い、アリスの前にひざまずく。持ってきた靴をアリスに履かせる。

 綺麗な男性に靴を履かせてもらうという、絵本のお姫様のような状況——アリスはそれだけで、顔が真っ赤になってしまう。


「大きさは大丈夫そうだね。今日はこのまま帰って、捨てちゃっていいから」

「あ……あり……痛っ」


 お礼を言おうと思ったのだが、手の指に走った痛みで途切れてしまう。木の椅子の角が尖っていて、手を切ってしまった。


「あ、大丈夫?」



 外の水道の水で傷口を洗ってもらう。

 洗うぐらいなら一人で大丈夫なのだが、青年が手を放してくれない。そろそろアリスは、ドキドキするのにも疲れてきた。


「痛い?」

「ちょっとだけですけど……」


 青年はアリスの手を持ち上げて、傷口に手を添える。


「痛いの痛いの……」


 青年は幼い子どもにやる『おまじない』をやり始める。アリスはもう十四歳なので正直に言うとかなり恥ずかしい。


「どこかにいっちゃえ」


 青年が手を離す。


「……え? 嘘。本当に痛くなくなった……?」


 アリスの指から痛みが消えた。驚いて青年を見上げる。


「術師さんなんですか……?」

「あはは、そんな立派なものじゃないよ。まあ、簡単な神動術テウルギアではあるけど。一時的に痛みを和らげたんだ。昔……母がよくやってくれた」


 青年の表情が少しだけ暗くなった気がして、アリスは少し不思議に思う。


「さて、大通りまで送っていこうか」


 青年はそう言ってアリスの手を掴んだが、それを拒否する。


「……帰りたくないんです」

「……家族と喧嘩でもしちゃった?」

「私の家族……もういないんです……」


 自分でもびっくりするほど、急に涙がこぼれる。


「お父さんは病気で、お母さんと妹は……えっと……事故で……」


 こんなことを初対面の人に言っても困らせるだけだと解っているのに。


「私だけが生き残ってしまった……」


 ぽろぽろと涙を流す。青年に迷惑をかけている。申し訳ない気持ちで一杯になった

が、止まらなかった。



「そっか……俺と同じだね」



 アリスは思わず顔を上げる。見上げた青年の顔は、平然としている。


「お兄さん……も?」


 青年はアリスに微笑むと、店の前に置いてあるたるに腰かける。


「じゃあ、きみがお家に帰る勇気が出るまで、お話ししようか」


 そう言って隣の木の箱をトントンと叩き、アリスに座るようにうながす。


「俺は……えっと……うーん」


 しばらく悩んでから、青年はパッと笑顔になる。


「エルって呼んで欲しいな。君の名前は?」

「私は……」


 自分の名前を言おうとして、我に返る。


(こんなところで本名を明かして、後で伯母様や先生に知られたらどうしよう……)


 アリスは考える。


「リ……リリーです……」


 何も思いつかなくて、妹の愛称を言ってしまう。


「リリー」


 エルはアリスをリリーと呼ぶ。


「は、はい」


 違和感はあるが仕方がない。アリスは答える。


「リリーの好きな食べ物は?」

「生ハム……」

「マジ? ここの店で出してる生ハム、めっちゃ美味しいよ」


 そう言ってエルは店の看板を指す。


「ここは食堂なの?」

「正しくは酒場だね。美味しいご飯を食べてお酒を飲んで、踊り子を見て、踊り子とイチャイチャするところ」

「いちゃ……?」

「あはははは! 深く考えなくていいよ」


 どういう意味だろうと気になったが、エルは次の話を切り出す。


「リリーは普段何をしているの? 何が好き?」

「本を読むのが好き……エルは?」

「俺? 俺かあ……外に出るのが好きだな。こうやって空の下にいるのが好き」


 どちらかというとアリスは家にいる方が好きだったが、そう言っているエルはとても楽しそうに見える。


「本当は、もっと、遠くの空の下に行きたいけどね」

「遠くの空? 王都から離れた村?」

「いや、もっと遠く」


 エルは無表情になり、呟くように。


「この地の外へ」

「…………?」


 この地の外、とは何処を指すのだろうか。不安になり、エルの顔色をうかがう。

 エルは無表情から笑顔になり、アリスに言う。


「なんてね! 俺たちは生まれたら死ぬまで、ずっとここの地にいるのが普通で、それが幸せだからね!」

「うん……?」



 エルとの時間はあっという間に過ぎ、西の空が赤みを帯び始める。


「さあ、そろそろ帰らないとね。怖い悪霊デーモンが出てしまうから」


 アリスは、不思議そうに辺りを見回す。ここに来た時よりも、賑わい始めている。


「……夜になるのに、人が増えてきた?」

「ああ、この辺は夜になってからが本番だからね。大人になったら来てみるといいよ」


 エルに手を引かれ、大通りへと向かう。素敵な夢から醒めてしまうような気がして、名残惜しい。


「あの……」

「なあに?」

「エルはいつもここにいるの?」

「いつもはいないよ」

「いつ来れば会えるの?」

「……安息日なら」

「また来てもいい?」


 エルは少し困ったような顔を見せてから、口にする。


「……いいよ」


 夜が迫っているのに、目の前が明るくなった気がした。


 ()()()()()が、初めて出会った日が、終わる。


お読みいただきありがとうございます。


続きが気になる、と思っていただけた方は、ブックマークや、↓の⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎評価等、応援よろしくお願いします。

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