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ダクスの女神  作者: 森松一花
番外編
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第20話 世界へ

 目の前で、リリスが死の王の軍団を斬り捨てていく。

 踊る様に軽やかに、そして美しく。


「リリス……」


 戦うリリスの姿を横目に、セトはぽつりとつぶやく。


(ああ、リリスは本当に、俺と違う世界を生きているんだ……)


 もう、あの頃のリリスは何処にもいない。控えめで、いつも一人で、可哀想だったリリスは、何処にもいない。


「だ、か、ら~! 集中しろ!」


 ぼんやりとリリスの方を見ていると、サマエルに首を掴まれ、アダムの方を向かせ

られる。


「す、すみません! イヴ兄様!」


 念じながらも、考える。

 リリスが、エクスとオーロラと共に、戦ってくれている。このまま時間を稼ぎ、アークが門を開けてくれれば、地上に帰れる。


 このまま地上に帰って——果たして、自分はどうするのだろう。


「う……ん……」


 目の前のアダムが、小さくうめく。


「兄様! 大丈夫ですか! 兄様!」

「ああ……セト、お前が治してくれたのか……?」


 アダムは目を開けると、セトとサマエルを交互に見る。


「兄上!」

「よかった、兄様……」


 先程まで真っ青だったアダムの顔色も、元に戻っている。

 ほっとして、じわりと涙が滲んでくる。


「アーク! まだ!?」


 リリスが死の王を斬りながら叫ぶ。


「もう少しだ!」

「急いで! こいつ、倒しても倒してもキリがないの!」

「……あと三分だ!」


 そう言って、アークは扉の前で集中状態に入る。


「セト、もういい。後は大丈夫だ。お前も扉の前へ行け」


 アダムがセトの手に手を重ねる。


「そんな……兄様。まだ傷が全て塞がってません」

「ここまで治してもらえば、あとは自然に治るさ。セトにとっては災難だっただろうけど……俺は、セトにもう一度会えて、本当によかったと思っている。こういう時、なんて言ったらいいんだろうな……気の利いたことは言えないけれど……」


 アダムは困ったように笑い、そして告げる。


「元気でな」



「……っ嫌です!」



 セトは首を振り、アダムの傷を治そうと再び念じる。


「セト、もういい。傷は大丈夫だ」

「俺は、ここにいます! 兄様たちと一緒に、ここに残ります!」


 涙を流しながら、うつむくセト。


「おい、馬鹿なこと言ってんなよ。迷惑なんだよ。帰れ」

「嫌です! 絶対に嫌です!」


 サマエルに肩を掴まれるのを振り払い、叫ぶように言葉を続ける。


「俺、兄様がいなくなって、どうしていいか解らなくて……この二年間、ずっと、死んでるみたいに過ごして……辛くて悲しくて、何も出来なくて! 元の場所に帰ったって、俺の居場所はないんです! 兄様、一緒にいてください! セトを置いて行かないでください! 俺、兄様がいないと——」


「セト!」


 アダムの強い声に、セトはびくりと跳ねる。

 瞬間——アダムに右手を強く握られる。


「……兄様?」


 手の平に、何かを握らされた感覚がある。

 セトが戸惑っていると、アダムが耳元に寄り、セトにだけ聞こえるように呟く。



「ありがとう……お前をずっと、愛している」



 そのままアダムはセトの身体を掴み、思いっきり扉の方へと投げ飛ばす。

 転がる様にしてアークの足元に追いやられるセト。


「兄様! 兄様!」


 兄の方に戻ろうとすると、アークにえり首を掴まれる。


「……開いたぞ!」


 アークの目の前、巨大な扉が開かれる。扉の向こう側は強い光に満ちていて、その先に何があるのかは解らない。


「リリー! エクス! 走れ!」

「アーク!」


 剣を持ったまま、リリスが駆け出す。


「オーロラ、ありがとう! またいつか……絶対に会いましょう!」

「うん! バイバイ、リリス! 大好き!」


 瞳に涙を溜めながら、笑顔でリリスたちを見送るオーロラ。


「エル! アダム殿下! ありがとう!」

「じゃあね、リリー。しばらくというか……おばあちゃんになるまで、ここには来ちゃ駄目だからね。はやく行きな! 死の王が追ってくるよ!」

「皆、本当にありがとう! さようなら!」


 光の中に、リリスが吸い込まれていく。


「兄様……兄様!」

「ほら、行くぞ! 姫!」


 泣き叫ぶセトをアークが担ぎ、そのまま扉の中へと入っていく。

 

 ——ああ、本当に、これでお別れなんだろうか。


 兄様と、やっと通じ合えたのに。イヴ兄様と、改めて話ができたのに。 

 これで——全部、終わりだなんて。



「終わりじゃないだろ、馬鹿。お前の人生は、これから始まるんだよ」



 最後に聞こえた、兄の声。

 その言葉は今でも、耳に残って、離れない。



「あのー、お兄さん? 大丈夫ですかー?」



「……うん?」


 誰かに声を掛けられて、セトは目を覚ます。

 人通りの少ない、木陰のベンチ。セトはその上で横になっていて、二十代ぐらいの青年が不思議そうにセトを見つめている。


「あれ……? ここ、何処だ?」


 セトは辺りを見渡す。目に入るのは緑の広がるのどかな風景と、すっかり日が落ち、星のきらめく夜空だけ。


「ノウスサンクタの外れですよ。お兄さん、大丈夫ですか? 病院行きますか?」

「いや……大丈夫だ。そうだ、俺、バスに乗って、リリスの家に行って……それで……」

「家? 何言ってるんですか、お兄さん」


 青年は笑いながら、両手を広げる。


「ここら一帯に、家なんて一つも建ってませんよ?」


 確かに、エクスを追って、先程までリリスの家があったはずの場所。そこには、白い花畑が広がっているだけだ。


「嘘だろ……? 全部、夢だったのか……?」


 セトは立ち上がり、唖然あぜんと花畑を見つめる。

 ふと、自身の右手に何かを握っていることに気が付く。


「これは……!」



* * *



 通りすがりの親切な青年に途中まで車を出してもらい、何とかその日のうちに王都へと帰ることが出来た。


 溜息を吐き、二年間暮らしている、小さな家の前へと立つセト。

 静かに扉を開き、そろりとキッチンへと入る。明かりはついていたが、人の気配はない。パーシヴァルはもう寝てしまったのだろうか。


 キッチンの机には、セトの分と思われる夕食——ペンネグラタンとリンゴのゼリーが置いてある。


 セトは手を洗い、服を着替え、夕食に手を付ける。

 すっかり冷めてしまってはいるが、チーズと野菜の甘さは失われていない。夢中で食べ終える頃には、すっかり涙で前が見えなくなっていた。


 ——ずっと、気が付かなかった。

 俺の今、この瞬間は、誰かによって与えられていたものだと。


 使用人、騎士、商人、学友、兄。

 初めて感じた、命のありがたみ。


 俺は、世界の人々に生かされていた。

 そんな皆に、俺は何を返せるのだろうか——


 すると、背後から、ガタン、と音がする。

 二階から姿を現したのは、相変わらず不愛想な顔をした、パーシヴァル。


「……俺さ」


 セトは鼻をすすり、涙を拭い、続ける。


「俺さ、子どもの頃。誰にも愛されてないって思ってた。兄様はイヴ兄様しか見ていないし、パーシヴァルはいつも怖いし。本当に一人だと、そう思ってた。でも、それは違ったんだ。兄様は俺のことをずっと考えてくれていたし、パーシヴァル、お前も……ずっと俺は、いろんな人に守られてたんだ」

「…………」


 パーシヴァルは無言のまま、視線はセトに向けて、聞いている。


「俺さ、子どもの頃。よく体調を崩してたよな。そんな時、誰も傍にいてくれないから……正直心細かった。でも、目を覚ますとさ、いつもリンゴのゼリーが置いてあったんだ。俺、ずっと、これは兄様が置いてくれてたのかと思ってたんだけどさ、よく考えたら兄様は、そんな気遣いができる人じゃないんだ。兄様だったら、多分、早く元気になれって、鳥の丸焼きとか置いてく感じだろうなって。お前だったんだろ? パーシヴァル」

「……昔のことなので、忘れました」

「そうか……それでもいい。嬉しかった。それだけで……救われてたんだ、俺は」


 セトは顔を上げ、パーシヴァルの前に立つ。


「なあ、パーシヴァル。俺な、エディリアを出ようと思う」

「……はい」

「俺さ、もっと、いろんな世界を見てみたいんだ。兄様たちが命を賭けて壊した、この地の古い慣習から離れて、色々な体験をしてみたい。本当にやりたいことはまだ見つからないし、俺に何ができるか解らないけれど、それも探していけたらいいなって思う。俺が皆に大切にされてたように、俺も誰かを大切にしたい。兄様みたいに、何かを守れる人に、俺もなりたいんだ」


 淡い空色の瞳を輝かせ、セトは続ける。


「でもさ、俺、弱いから。外の世界に行っても、すぐに嫌になっちゃうかもしれない。すぐに怖くなるかもしれない。そうしたら、必ずここへ帰ってくるから。お前はここで……俺を待っていてくれるか?」


 真剣な目を、パーシヴァルに向ける。パーシヴァルは、はあ、と息を吐くと、口元を緩める。


「当たり前です。セト様の帰る場所が、俺の居場所ですから。そしてセト様の居場所は……この世界の、全てです」

「ありがとう! パーシヴァル!」


 嬉しくなって、そのままパーシヴァルに抱きつく。

 パーシヴァルは少し困ったように固まっていたが、暫くすると抱きしめ返してくれた。



* * *



 あれから数カ月後、早朝。


 良く晴れた空に、穏やかな海風が吹く。

 少ない荷物を抱え、エディリアから出向する船に乗り込む。セトは甲板に立ち、ポケットの中から一枚の紙を取り出し、それを愛おしげに見つめる。


 すると、海鳥が近くに寄ってきて、セトの隣に留まり、クウ、と鳴く。


「え? これからどうするって? 決めてないなあ。今更、イヴと名乗るつもりもないしな」


 セトが深呼吸をすると同時に、船の汽笛が音を立てる。

 生まれ育ったエディリアの地が離れていくのを、ゆっくりと見送りながらセトは口を開く。


「さあ、これから何が待ち受けてるんだろうな。まあ、何があっても、もう驚かないけど。死の国よりおかしなところなんて、この世界にはないだろうからな?」


 海鳥はもう一度鳴くと、セトの傍から飛び立つ。

 セトはくすりと笑い、手にした紙を見る。


 兄から受け取った、一枚の、白い紙。

 そこに書かれていた文字——



 『Eveイヴ

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