第19話 死の王
——身体が、痛い。
重い瞼を開けると、そこに広がっていた光景。マラキア城の聖堂によく似た、白く、だだっ広い部屋で、セトは意識を取り戻す。
「ここは……何処だ?」
セトは部屋の最奥の中心。豪奢な金色の細工が施された椅子に、黒い触手のようなもので縛り付けられている。天井は暗く、先が見えない。左側の壁には厳かな大きな扉があるのが見えるが、ここが何なのか全く解らない。
「……目を覚ましたか、姫よ」
部屋の奥。暗闇から人の声がする。
「だ……誰だ?」
恐る恐る口にすると、声の主が姿を現す。
灰色の皮膚に、白く、波打つ長髪。長身で、均整のとれた身体。人間でいうと二十代後半ぐらいの、寂しげな黒い瞳をした、美しい男。
「これ……お前がやったのか? 俺は何でここに連れてこられた?」
セトは問うが、男は黙って目を伏せている。
「お前が……死の王、ってやつなのか?」
その言葉を聞くと、男は口元を歪める。
「ああ、そう呼ばれているよ」
黒い瞳がセトを見据える。深く、冷たいその視線に、背筋が凍りつく。
「俺を、どうするつもりなんだ?」
震える唇から、声を絞り出す。
暫く沈黙が続いたが、死の王は深く嘆息すると、口を開く。
「奴は今、何処にいるのだと思う?」
「……は?」
「エディリアは変わった。天使も失われた。だが、奴は何もしない。姿も現さない。どうしてだと思う?」
「あの、何の話だか解らないんだが……」
「しかし、だ。こうして私の前に、姫が現れた。私が姫の魂を手に入れれば、奴から私に会いに来るのではないか。そう思っているのだよ」
死の王はセトの近くに寄り、セトの頬を指でなぞる。
「美しいな。奴が気に入るわけだ」
セトの姿を、うっとりと眺める死の王。
——正直、状況が全く読めない。
「お前……本当に、死の王なのか?」
「何故、そう聞く?」
「なんかお前……あまり、悪い人に見えな——」
セトが言い掛けると、部屋がぐらりと揺れる。
「こ、今度は何だ!?」
「……ああ、邪魔が入ったな。少し待っていろ、姫」
死の王はセトから離れ、部屋の中央に立つ。
部屋は揺れ続け、天井からはぱらぱらと破片が落ちてくる。
大きな音と共に、天井から何かが降り注いでくる。
「うわあああああ!?」
それは声を上げ、ズドン、と、死の王とセトの間に落ちる。
「ど、何処に出たの? ここは何処?」
「痛い! オーロラ、俺の上に乗ってる!」
「ああ、ごめんね! エッちゃん!」
「大丈夫か? イヴ?」
「俺は大丈夫だけど……あれ? 誰かいる?」
「どうやら……成功のようだぞ、皆」
落ちてきた人物と目が合い、セトは目を瞬かせる。
瓦礫と一緒に騒がしく落ちてきたのは——兄と、リリスたちだった。
「兄様……? 兄様たちだ!」
セトは瞳を輝かせ、現れた救世主たちを見つめる。
だが、それも束の間。死の王が、静かにリリスたちを見ているのが目に入り——急に恐ろしくなる。
「やあ、久しぶりだな。死の王」
己の服をぱんぱんと叩きながら、アークが口にする。
「……黄昏、か」
死の王が、静かにアークを睨み付ける。
「俺、今はアークって呼ばれてるんだ。可愛いだろ?」
あくまでも気さくな雰囲気で、アークは言葉を放つ。
「……お前が来たことは解っていた。何しにここへ来た?」
「まあ、ちょっとした事故だ。そこにいる姫を返してくれ」
「自ら私の地に来ておいて……返すと思うか?」
死の王の瞳が暗い色を帯びる。どうやら、怒っているらしい。
「じゃあ、あの扉。あの扉は、地上に繋がっているな?」
「……答えると思うか?」
「そうだな……なら、強引に行くとしようか」
そう言い終わるや否や、アークが手刀で、死の王の身体を半分に裂く。
死の王の身体はそのままどさりと地面に落ち、動かなくなる。
「ふっ、不意打ち! 不意打ちだわ!」
「卑怯だぞ、アーク!」
目の前の急展開に付いていけてないのか、何やらエクスとリリスが騒いでいる。
「煩い。こんな簡単に片付いてくれる相手ではない……」
瞬間——死の王の身体が黒い液体へと変わる。天井からもぼたぼたと黒い液体が降り注いできて、瞬く間に巨大な黒い液溜まりができる。
「何? 何これ! 黄昏のせいでヤバいことになってない?」
「イヴ、俺から離れるな!」
アダムが剣を抜き、構える。
黒い液溜まりは形を作り、高くそびえ立つ。次に見た時には、黒い鱗に覆われ、鋭い牙と爪を持つ、巨大な翼を生やした——絵本の挿絵でしか見たことがないような、竜に似た姿の、異形となっていた。
「何だこれ! カッコいいな!」
エクスがキラキラとした目を向ける。
「そ、そんなこと言っている場合じゃないでしょ! これが死の王の本当の姿なの!?」
「まあ、そんなところだ。あくまで邪魔をする気だな……」
アークは不敵に笑い、竜の姿となった死の王を見据える。
「黄昏、やるのか?」
アダムが剣を握り締める。
「ああ。俺と王子で、こいつの相手をする。エクスとオーロラは俺たちの補佐。リリーとサマエルは姫を助けて……扉を開けてこい」
「よ、よく解らないけど……やるしかないのね?」
「そういうことだ。気をつけろよ、リリー!」
フシャアアアアアアアアア!
竜が咆哮し、黒い炎を吐く。
「おお、危ないな。王子、あの炎に当たるんじゃないぞ。魂がなくなるからな」
「はは、それは怖いな……!」
竜の攻撃をひらりと避けながら、アダムとアークは斬りかかる。竜もすかさず爪を立てて応戦し、激しい戦いが繰り広げられる。
「兄様! 兄様が危ない……!」
セトも何とか皆の力になろうと、身体を動かしてみる。だが、黒い触手が腕と足にしっかりと絡み付いていて、身動きが取れない。
(くそ……! どうして俺はいつもいつも、迷惑しかかけられないんだ!)
血が滲むほどに手を動かし、逃れようともがいていると——
「……セト!」
リリスとサマエルが竜の攻撃の合間を縫い、こちらに近付いてくる。
「リリス! イヴ兄様!」
「やあ、セト。お前が呑気に囚われのお姫様やってる間、こっちは大変だったんだから。こんな所、とっとと逃げるよ……って言いたいところなんだけど……」
サマエルがセトに絡み付く触手を引っ張り、怪訝な顔をする。
「これ、どうやったら切れるの?」
「わ、解りません……先程から、解こうとしているのですが」
「引っぱれば、ちぎれないかなあ」
サマエルが力を込めるが、触手はびくともしない。
「エル、私にやらせて」
「えー、俺が切れないなら、リリーにも切れないと思……」
「はあああっ!」
リリスが触手に手を掛け、そして力を込める。
すると、触手がぶちん、と音を立て、はらりと地面に落ちる。
「……力あるんだね、リリー」
少し落ち込んだ様子のサマエル。
触手が切れたことによってセトの拘束は解け、自由になった手足を動かす。
「あ、ありがとうございます。イヴ兄様……と、リリス」
「セト、大丈夫?」
「ああ……大丈夫だ。それより、俺も……兄様たちを、助けなきゃ!」
アダムとアークの元へ駆けようとするセトを、サマエルの腕が静止する。
「馬鹿。あんなヤバいモノ相手にどうやって非力な俺たちが戦うのさ。そんなことよりも、俺たちにできることをやらなきゃ」
「俺たちに、できること……?」
サマエルが、左側の壁にある扉を指し示す。
「あくまでも黄昏の予想だけど……あの扉は、地上に繋がっているんじゃないかって話だ。あそこを調べて、リリーとセトは、先に地上に戻った方がいい。元天使と黄昏なら大丈夫でしょ。足手まといがいなきゃ上手くやれるハズだ」
「そんな……兄様たちは、どうするのですか?」
「俺たち? 俺たちは肉体がないから、地上には帰れない。何とかして死の王から逃げて、ヘルムに帰るよ」
「兄様たちと、ここで、お別れなんですか!?」
「はあ? 何をあたり前の事言ってんのさ? 死んでるんだよ、俺たち」
「そ、そんな……」
セトの目に、じわりと涙が浮かぶ。
頭では解ってはいたけれど、認めたくなかった。地上に戻ったら、もう二度と、兄たちには会うことが出来ないということが。
このまま、ちゃんとしたお別れも言えないまま、また、兄と別れなくてはいけないのだろうか——
「セト! エル! こっちに来て! 扉が重くて、全然開かないの!」
いつの間にか扉の前まで移動していたリリスが声を上げる。
「ほら、セト。急げ、ぼさっとしない!」
サマエルに背を押され、前へと進むセト。
後ろ髪を引かれる思いで扉の前に立ち、リリスとサマエルと共に力を込める。
だが——扉はびくともしない。
「駄目だわ、皆で押しても開かないなんて!」
「これ、俺たちが非力なの? それとも特別な術でもかかってるの?」
「解らないわ、どうしたらいいの!」
「くそっ……一体、どうすれば……」
セトが言いかけた瞬間——背後からぞくり、と、冷たい視線を感じる。
「逃がさぬぞ……姫」
後ろに、死の王が立っている。
アダムたちが今まさに竜と戦っているというのに、白髪の美丈夫の姿の死の王が、そこにいる。
「こいつ……分裂できるのか!?」
サマエルが叫び、セトとを庇うように抱きしめる。
「い、イヴ兄様!」
「どけ、姫をこちらに渡せ」
死の王は腕を刃物のように変形させ、サマエルに構える。
「……嫌だって言ったら?」
「そうか……ならば、消えてもらう」
死の王が腕を後ろに引く。セトはサマエルにしがみつき、目を瞑る。
グシャリ、と、肉に刃物が突き刺さる音が耳に入る。
恐る恐る目を開けると、サマエルと死の王の間——死の王の腕が脇腹に突き刺さった状態で、アダムが立ち塞がっていた。
「兄様!」
悲痛な叫びを上げるセト。
「イヴには……指一本触れさせない……!」
苦痛に顔を歪めながら剣を振り、アダムが死の王の身体を切り裂く。死の王の身体は再び黒い液体へと変わり、地面に溶けていく。
「ぐっ……!」
血のようなものを吐き、倒れるアダム。
「兄様! イヴ兄様! 兄様が!」
セトは泣きながら、倒れる兄の傍へと寄る。
「まずいな……ここまで魂が傷つくと、人間の形を保てなくなるかもしれない……!」
「そうなると、どうなるんですか!?」
「このままだと兄上は……壊人になる」
「そんな! 兄様を助けてください! 兄様!」
「うるさいなあ! 俺だって嫌だよ! 兄上が壊人になるなんて!」
サマエルの声が震えている。セトもどうしたらいいのか解らず、涙が溢れてくる。
「オーロラ! こっちに来て! アダム殿下が!」
リリスが叫ぶと、オーロラがこちらに気が付いて寄って来る。
「大変……魂が損傷してる。早くおばあちゃんのところに連れて行かないと!」
オーロラはアダムの傷口を抑え、焦る様に口にする。
「オーロラ、オーロラは兄様を治せるのか?」
「ううん、僕には治せない。僕たち死の国の人たちは、肉体があるわけじゃないから縫うわけにもいかない。おばあちゃんのところにいけば、魂の増強薬があるから壊人になるのを食い止められるかもしれないけれど……魂そのものを修復することはできない。魂ごと修復する……そんな奇跡みたいな術を使える人なんて、いたとしてもイヴだけだよ!」
「イヴ……? イヴならできるかもって……?」
サマエルがセトを見る。
「え、でも、俺、治癒の神道術なんて使ったことなくて……」
セトは焦り、口ごもる。
「一か八かやってみるしかないんじゃない? ほら、急ぐ! 俺がコツを教えるから! その通りにやれ!」
「は、はい!」
オーロラと代わり、セトはアダムの傷口に手を添える。
「いい? 余計なことは考えなくていい。ただ、兄上のことを考えて、人差し指の先に自分の体温の全てを集めるように念じて!」
「はい!」
セトは深呼吸する。目を閉じ、そして念じる。
セトの手元が薄く光り、アダムの傷口が少しずつ塞がっていく。
「できる! 俺、できます!」
「何も言わなくていい! 集中しろ!」
「す、すみません!」
セトとサマエルのやり取りを横目で見つつ、リリスは立ち上がる。
「アーク! アダム殿下はセトが何とかするわ! それよりも門が開かないの! どうすればいい!?」
「……死の王め、厄介な術をかけているようだな……」
アークは舌打ちし、そして叫ぶ。
「エクス!」
「ふぇっ? 何だ!」
「俺を投げろ!」
「投げろって……? どういうことだ……?」
するとアークは地面を蹴り、空中で黒猫の姿に変化する。そのまま宙で一回転すると、エクスの肩の上にすとんと着地する。
「おお……お前、猫になれるんだな!」
愛らしい姿になったアークに、エクスが目をぱちくりとさせる。
「俺を、奴の頭の上まで投げろ」
「わかった! 行くぞ!」
エクスは猫の姿になったアークを両手で持ち、天井目掛けて放り投げる。竜の頭上で人の姿に変わったアークは、そのまま下に向かって構える。
「さあ、遊びは終わりだ。死の王よ、吹き飛べ!」
アークの手刀が、竜の頭を真っ二つに割る。
竜は断末魔の声を上げ、ドロドロとした黒い液体へと姿を変える。
「リリー!」
竜を片付けたアークが、扉の前まで駆けてくる。
「見て、アーク。この扉、開く?」
アークが扉に手を添え、そして唸る。
「開かないことはないが……少々、時間がかかるな」
「時間? どのくらい?」
「頑張れば、十分ぐらいかな……だが……」
瞬間——背後で黒い液体が動く。
複数の液だまりが盛り上がり、そこから死の王が姿を現す。
「逃がさぬ……姫の魂は、私のものだ……」
五十体ほどに分裂した死の王が、ゆらりとこちらに迫って来る。
「アーク、私が戦うわ」
リリスは一歩前に出て、死の王たちを見据える。
「私が時間を稼いている間に、アークは扉を開けて」
「……できるのか?」
「やってみるわ。エクス、力を貸してくれる?」
リリスはエクスに右手を差し出す。エクスはキラキラと瞳を輝かせて、リリスの手を取る。
「もちろんだ! 俺はリリスのものだからな!」
瞬間——エクスが剣へと姿を変える。
リリスはエクスを手にし、一回、二回、頭上で振り回す。
「あと、オーロラ。私とエクスの為に歌ってくれる?」
「え? 僕?」
きょとんとするオーロラ。リリスは微笑み、オーロラを見つめ返す。
「嬉しい! 僕もリリスの力になれるなんて! 聴いて、超頑張る!」
オーロラは息を吸い、そして歌い始める。歌を受け、エクスの剣が鋭く、大きくなる。
「さあ、かかってきなさい、死の王!」
リリスは叫び、死の王へと振りかぶった。
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