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ダクスの女神  作者: 森松一花
番外編
153/158

第15話 罪の底 Ⅱ

「悪いな、シンシア。城まで来てもらって」


 士官学校で知り合った女生徒、医学研究者の娘のシンシアを招き、中庭で茶を飲むアダムたち。


「ええ、大丈夫……でも」


 シンシアはアダムの隣に座る、オルランドの顔を見る。


「……二人きりじゃないのね」


 誰にも聞こえないような声で、シンシアがつぶやく。


「シンシア。俺は君の父親が、医学研究者だって聞いて、是非、知り合いになりたいと思ったんだ。医学研究者っていうのは……その、毒について、詳しいのだろうか?」

「毒? そうね……毒と薬は紙一重って言うし、それなりに詳しいと思うわよ」

「そうか……今度、シンシアの御父上に会わせてもらいたい。いいだろうか?」

「それは、構わないのだけれど……」


 シンシアは不審な目をアダムに向け、続ける。


「どうして王子様が、毒のことを知りたいの?」

「えっ? ああ。毒、というか。弟の体調不良を少しでも軽減するような薬が作れればいいなって思って……」

「弟って、猊下げいか?」

「ああ、そうだ。だから、君に会えて本当に良かった」


 アダムはシンシアに微笑む。シンシアは少し残念そうにして、顔を背ける。


「よし。後は、王妃の弱みを見つけたいのだが……これが上手くいかないんだ。我が母親ながら、隙がなさすぎる。どうしたものか……」


 アダムの言葉を聞き、オルランドが眉をひそめる。


「それ、君、前も言っていたが、実の母親の弱みを握って、何になるのだ?」

「今は、秘密だ」

「またそれか。全く……」


 オルランドが溜息を吐くと、シンシアが口を挟む。


「王妃殿下の黒い噂なら……一つだけ知っているわ」

「それは何だ!?」


 ものすごい勢いで聞き返すと、シンシアが目を丸くする。


「いや、詳しくは知らないのだけれど。数年前、王妃殿下が暗黒街の取り締まりを行ったっていうじゃない」

「アンコクガイ?」


 オルランドが首を傾げる。


「坊ちゃんや王子様には馴染みはないでしょうけどね。王都には暗黒街と呼ばれる、悪事や犯罪などが多い、無秩序な区域があるの。そこをベアトリーチェ王妃殿下が取り締まるようになって、随分と平和になったそうよ」

「良い事じゃないか。何故、それが黒い噂になるんだ?」

「その方法がね……暗黒街に元々住んでいた人々を一人残らず惨殺して、新しい住民に入れ替えたって噂よ」

「何だと!? そんな大事件なら、僕たちが知らない訳ないだろう!」

「だから、噂だっていっているでしょう……」


 シンシアが言い終わると、場に沈黙が流れる。


(……暗黒街の事件、か。調べてみる価値はありそうだな……王妃が噂通り、人道に外れるようなことをしているのなら、失脚しっきゃくさせるネタにはなりそうだ)


 アダムが思案していると、中庭に一人の女が入ってくる。


「あの……ご歓談中、申し訳ありません。アダム殿下、早急にお耳に入れたいことがありまして……」


 姿を現したのは、セトの乳母である、ツィラ。動揺しているのか、声が震えている。


「ああ、解った。オルランド、シンシア。ちょっと席を外すな」


 ツィラと共に中庭を出て、人気のない、会議室へと移動する。


「……で? どうしたんだ? ツィラ」


 アダムが問うと、ツィラは恐る恐る口を開く。



「セト様……セト様は、『イヴ』なのでしょうか?」



「……は?」


 ドクン、と心臓が高鳴る。

 ツィラはおどおどしながら、言葉を続ける。


「今日、庭でセト様と遊んでいたのです。私の不注意で、花の棘で手を切ってしまいまして。そうしたら、セト様が、治癒の術を使って……私の手を、治してくださったのです!」

「……それは、誰かに言ったか?」

「いえ、殿下が初めてです」

「……解った。ありがとう」

「殿下! やはりセト様は……イヴなのでしょうか?」

「セトがイヴ? そんなわけないだろう……ツィラ、君は疲れているんだ」

「ですが……」

「休んだ方がいい。上には、俺が掛け合っておく」


 そう言って、ツィラの肩を叩く。

 ツィラは何か言いたそうにしていたが、それ以上は喋らなかった。



 ——イヴだけが使うことが出来るとされる、癒しの神道術テウルギア。セトは五歳にして、それを使用できるようになってしまった。

 だから俺は、ツィラと、セトに付き添っていた他の使用人全てを、秘密裏に解雇した。


 全ては、セトがイヴであることを隠すため。

 セトが寂しい思いをするのは目に見えていたが、それも、狙いだった。


 前に読んだ、先代イヴの手記に記載されていたのだ。癒しの神道術テウルギアは、人を思いやる気持ちと、健やかな精神と、繊細な霊を操る力があって、初めて発動できるものだと。

 セトの心を、寂しさで歪めること。術よりも剣の訓練に集中させ、歌うことも禁止させた。


 だから、俺は、セトに許されるべきではない。

 セトの心を壊したのは、他でもない、俺なのだから。



* * *



 月日は経ち、俺は士官学校を卒業。本来はロサ隊に配属される所を、無理をいってダリア隊に配属してもらう。

 ダリア隊に入りたかった理由は、ダリア隊が所持している、過去の事件や悪霊デーモンについての情報が欲しかったからだ。


 俺は、暗黒街と王妃の関わりを徹底的に調べ上げ、一つの疑惑に辿り着いていた。

 王妃は、暗黒街の人々を、悪霊デーモンの力を使って消したのではないか、というものだ。


 確固たる証拠は得られていないが、恐らく間違いはないだろう。

 俺は寝る間も惜しんで、証拠を探し続けた。


 そんなある日のこと。いつも通りイヴの部屋に行ったら、イヴにナイフを突きつけられた。


 イヴは全て知っていた。暗黒街の事件のことも、母親が生きていないことも。セトがイヴであることも、自身に毒が盛られていたことも。


 何もできない自分に、腹が立った。

 いっその事、イヴの手で殺して欲しかった。

 俺は、ひどく疲弊していた。

 そしてセトを——拒絶してしまったんだ。



* * *



 城の裏に広がる森。ざわざわと鳴る木々の音を聞きながら、一人、目を閉じる。



「あ、こんなところにいたんですね」



 愛らしい、鈴を転がすような声が響く。

 はっとして振り返ると、そこには十二歳になったばかりの、セトの姿がある。


(年々、マリアに似てくるな——)


 ズキリと痛む胸を無視して、目の前の美少年に向かって笑顔を作る。


「セトか。どうしたんだ? こんなところまで来て」

「兄様を探していました。兄様に会いたかったんです」

「何か話したいことでもあったのか?」

「いいえ、そうではありませんが……あの、用がなければ兄様に会いに来てはいけませんか? セトは迷惑ですか?」

「いや、そんなことはない」

「は、はい」


 セトは嬉しそうな顔をして、大樹の下に座るアダムの隣へと腰を下ろす。


「兄様……最近ずいぶん、お疲れのようです」

「そうか? そう見えるかな」

「騎士団は、そんなに忙しいのですか?」

「まあ……そんなところだ」


 暗い顔のまま下を向くアダム。セトは心配そうな顔を見せた後、手をもぞもぞと動かし、口を開く。


「セトは……猊下、イヴ兄様が、羨ましいです」

「……は?」

「だって、イヴ兄様は、天使のお告げを聞くことが出来て、兄様たちと力を合わせて、王都の平和のために動けるじゃないですか。兄様の力になれますし……兄様ともたくさん一緒にいられますし……」


 セトは目を伏せ、言葉を続ける。

 


「セトが、イヴに生まれていればよかったな、って」



 純粋な気持ちから放たれる、残酷な言葉。

 沸き上がってきたのは——とてつもない、怒り。


「何も知らないくせに……」


 ぽつりと出た、冷たい声。


「えっ?」

「セトは、イヴのことを何も知らないじゃないか。イヴがどれだけ苦しい思いをして生きているか……何も知らないじゃないか」

「す、すみません……兄様。セトは、そんなつもりじゃ……」

「イヴが、俺が、どれだけの思いで、今まで生きてきたか……! そんなことは、誰も、誰にも……!」

「に、兄様?」


 様子のおかしいアダムに、セトが怯える。

 だが、止められない。



「俺たちの苦しみなど……解らないよな」

 


 吐き捨てるように言い、その場を離れる。


「ま、待ってください! 兄様! ごめんなさい! 兄様! 兄様!」


 セトが泣きながら、アダムを呼ぶ。

 アダムは最後まで、振り返ることはできなかった。



 ——その後も、何度も、何度も、セトは俺に謝りに来た。

 俺の部屋の扉を叩き、泣きながら、ごめんなさい、ごめんなさい、と。


 俺は、答えることが出来なかった。

 本気でセトを疎んでしまうのが、怖かった。


 それからというもの、セトは、少しだけ、変わってしまった。

 いつも真面目に受けていた授業をサボるようになったり、使用人に冷たく当たったりするようになった。


 セトなりの、俺の気を引くための行動だったのだと思う。

 だけど、俺にはどうすることもできなかった。



 セト。可愛い、俺の弟。

 俺は、お前を守れない。

 俺はどうしようもなく弱いから。イヴ一人すら、守れない。

 どうか、俺の後なんか追わないで。

 何も知らず、俺のいない所で、幸せになって欲しい。


 それが、俺の願い。

 兄と名乗る資格のない、俺の願い。

お読みいただきありがとうございます。


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