第13話 幼き日々 Ⅱ
煌びやかな装飾が施された、王妃の部屋。豪奢なソファーに腰かけたベアトリーチェは、いつになく上機嫌な顔をしている。
「アダム、久しぶりね。少し、大きくなったかしら」
「興味のあるフリをして頂かなくても結構です。何用でしょうか、母上」
「ふふ……話が早くて助かるわ」
ベアトリーチェは立ち上がり、アダムの前に立つ。そのまま屈むと、アダムの瞳を真っ直ぐに見つめる。
「アダム。貴方にね、新しい弟ができたの」
「……弟なら、既に五人ほどいるでしょう。何を改まって……」
「第三王子ノアと、第四王子イサクの間にね、今まで公にしていなかったけれど、もう一人王子がいるの。だから、今日からイサクは、第五王子になるわ」
「……公にしていなかった弟?」
ベアトリーチェの黒い瞳に映る自分を見ながら、アダムは疑問を浮かべる。
「そう。その弟こそが、『イヴ』。貴方が生涯を賭けて守るべき、相手」
「……は?」
頭から水を浴びたような、衝撃が走る。突然そんなことを言われても、理解が追い付かない。
「イヴって……? そんな、何で、急に?」
「イヴはね、生まれた時から身体があまりにも弱くて……長く生きられる保障がなかったの。皆をぬか喜びさせるわけにはいかないでしょう? だから、体調が安定するまで、存在を隠していたの。今年で五歳になるわ。とても可愛い子よ」
意気揚々と語るベアトリーチェを不審に思い、アダムは口を開く。
「そんなの……信じられると思いますか? イヴが生まれていたのなら、天使から名を貰った時に大騒ぎになるハズでは?」
「アダム」
ベアトリーチェの強い口調に、アダムはびくりとする。
「信じる、信じないじゃないの。貴方は、イヴを守る。それだけでいいのよ。詮索はいらないわ……少しは私の役に立ちなさい、解るわね?」
「……はい」
アダムが答えると、ベアトリーチェは満面の笑みを見せた。
* * *
(おかしい……絶対におかしい。イヴが生まれている? そんなことあるか?)
長い廊下を歩きながら、アダムは思案する。
(急に、五番目の弟がいて、それがイヴだなんて。民に存在を隠すことはあるかもしれないけれど、王家のものにまで存在を隠すなんてことあるのか?)
アダムは歩みを止め、重厚な扉を目の前にする。
ここは、代々イヴが使用している、特別な部屋。
ベアトリーチェに言われてやってきてはみたものの、アダムの心の中は不信感で一杯だ。
(まあいい。ベアトリーチェの言う、『イヴ』とやらを、一度見ておこう。本物かどうかは……きっと、俺が見れば、解る)
己はイヴとして生まれてくることはできなかったが、アダムにも一つだけ、特別な力がある。イヴを守るためだけに備わったその力——ベアトリーチェが知らないはずがないのだが。
アダムは息を深く吸い、扉を叩く。
「……はーい?」
姿を現したのは、小さな太陽みたいな、子ども。
先祖代々のイヴと同じように、繊細に輝く金色の長い髪。だが、零れ落ちそうなほど大きな瞳は——死を連想させる、紫色。
一目見て、解った。彼は、『イヴ』ではない。彼はベアトリーチェによって仕立て上げられた、偽物の『イヴ』だ。
それなのに、何故だろう。心の中に沸き上がる、この嬉しさは。
今日からこの子が、自分の弟になる。この美しい子どもが、自分の『イヴ』になってくれる。
イヴとして生まれてこれなかった無意味な人生が、この子どもによって、意味のあるものに変わる——
踊り出したいぐらいに弾む心を制し、アダムは静かに口にする。
「……初めまして、だな」
——そうして、俺と、『イヴ』は出会った。
イヴは暗黒街で育っただけあって、自由奔放で、本当に何も知らない子どもだった。
可愛かった。
俺を慕い、いつも部屋に行くと嬉しそうにしてくれた。
イヴの笑顔は、寂しさで捻くれた俺の心を、溶かしていった。
満たされる庇護欲と、自尊心。
偽物だとか、本物だとか、そんなことは最早どうでも良くなった。
イヴを守りたい。
イヴの目に映るものを、美しいもので満たしてやりたい。嘘でも何でもいいから、輝く王都を、穢れなき目で見ていて欲しい。
そのためだけに存在していると言われても、本望だと思った。
俺は、イヴと、この地を守る。
そう、心に誓った。
* * *
「兄上~、これから、何処に行くの?」
不安そうにこちらを見上げるイヴの手を引き、廊下を歩く。
「中庭だ。俺の友達に会わせたいんだ」
「嫌だ、怖い。お部屋に帰りたい……」
「兄上の友達だぞ? 怖くないさ」
尻込みするイヴの背を軽く叩き、中庭に入る。
「オルランド」
声を掛けると、ベンチに座っていた銀色の頭がこちらを向く。
「アダム! と……その子は? 可愛い子だな、弟か?」
オルランドがイヴへと視線を移す。イヴは恥ずかしそうにして、アダムの後ろに隠れる。
「ああ。俺の弟の、イヴだ」
「イヴ……げ、猊下!?」
目の前の子どもがイヴであったことに、オルランドは目を瞬く。
「も、申し訳ありません。可愛い子だな、とか言って……」
オルランドが畏まると、イヴは首を横に振る。
「イヴ、オルランドはな、修道院学校に通ってるんだ」
「学校……?」
興味を持ったのか、イヴがオルランドの顔を見上げる。
「ああ、そうです。綺麗な学校ですよ。花がたくさん咲いてて、本がたくさんあります」
「本当? どんな本があるの?」
「どんな本でもありますよ。絵本もあります」
「いいな! 学校、行ってみたい!」
「行くのは無理かもしれませんが……今度、猊下のために本を借りて来ましょうか?」
オルランドの言葉に、イヴは目を輝かせる。そんな姿を見て、アダムは胸をなでおろす。
「殿下たち~! おやつの用意ができましたよ~!」
中庭に、軽やかな女の声が響く。
「マリア、待ってたぞ。ほら、イヴ。お茶にしよう」
「お菓子?」
「そうだ、お菓子だ」
中庭のテーブルに、マリアが菓子を広げる。イヴはそれを見て、わあ、と、嬉しそうな声を上げる。
「はちみつのクッキー、ある?」
「はい、ありますよ。たくさん食べてくださいね。オルランド様もどうぞ!」
「僕もいいのか? 悪いな、マリア」
「皆で食べると美味しいですから。ね、アダム殿下!」
「ああ、そうだな」
——イヴがいて、オルランドがいて、マリアがいる。
鬱々としていたはずの俺の日常は、いつの間にか、たくさんの幸せで溢れていた。
俺は、孤独ではなくなった。
毎日が楽しくなって、まるで、イヴが幸せを運んできてくれたみたいだ、と思った。
だが、そんな幸せはいつまでも続かない。
とある朝、訓練場に足を運ぶと、いつもの険しい顔を、更に険しくさせたパーシヴァルがいた。
そして、パーシヴァルの口から語られたのは——マリアの、訃報だった。
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