第1話 あの日から Ⅱ
翌日。遅く起きたセトは軽めの朝食を終え、外に出る支度をしていた。
「セト様」
相変わらず無愛想な、パーシヴァルの声がする。
「何だ?」
「今日は、どちらまで行かれるのですか」
「今日は、オルランドとシンシアと会う予定がある。その後は……」
「その後は?」
「な、何だっていいだろう。もう子どもじゃないんだから、一から十まで言う必要はないだろ!」
セトは上着を羽織り、足早に玄関へと移動する。
「……いつまで、アリス殿を探すおつもりですか」
一瞬、ドキリとして足を止めるが——直ぐに頭を振り、セトは言う。
「別に探してなんてない! 行ってくる!」
玄関の扉を開け、セトは街へ出る。
春の暖かい風が肌に触れて、心地よい。
花の香りのする大通りを抜け、オルランドたちと待ち合わせている茶店へと向かう。
通りから見える、白を基調としたテラス席。既に二人の姿がそこにあった。
「オルランド!」
「ああ、セト様。こんにちは」
いつも通り、きっちりした身なりのオルランドが手を振り、応える。
「シンシアも、久しぶり」
「ええ。セト様も元気そうね」
優雅に紅茶の入ったティーカップを掲げ、シンシアが微笑む。
「セト様、何か飲みますか」
「俺も紅茶で」
「解りました。店員さん、お願いします」
若い店員が注文を取るのを見送り、オルランドとシンシアの向かいの席に座る。
「……で? セト様。また店をクビになったんですか?」
切り出されるオルランドの言葉にぐう、と声を出した後、セトは溜息を吐く。
「……何で解るんだ」
「だって。会った瞬間から、疲れた顔をしてましたから」
「そ、そうか……」
他人にも解るほど、自分は酷い顔をしているのか——と、少し恥ずかしい気持ちになる。
「いいじゃない。セト様はパーシヴァル殿に永久就職すれば」
シンシアが、長い黒髪をかき上げながら口にする。
「え、永久就職……?」
「こら、セト様をからかうな。シンシア、君はもっと真面目に生きろ。セト様より酷いじゃないか。働こうとすらしていない」
「だって……自由って最高なんですもの」
自信満々に口にするシンシアに、オルランドはやれやれ、と下を向く。
「しかし、僕たちも変わったものだ。二年前までは、王子様と騎士だったのにな……」
「いいじゃない。人は変わるものよ。最も、オルランドは王都騎士団ロサ隊隊長から自警団団長になっただけで、そこまで変化はなさそうだけれど」
「そうだな……政治にあまり口を出さなくて良くなったことは嬉しいな。そっち方面は、首相であるエノク様がやってくれているし。街の平和のために尽くすことができる……今の仕事の方が、僕には合っている気がするよ」
「すごいな……オルランドは」
セトは素直に感心し、オルランドの瞳を見つめる。
「自分にできることをやっているだけです。自警団ができたばかりの頃は、てんてこまいでしたし。皆の助けあってこそです」
紅茶を一口飲み、オルランドはぽつりと呟く。
「……僕がこんなに忙しくしているのに、あの駄目王子は何処で、何をやっているのでしょうかね」
「…………」
場が、沈黙に支配される。
「……ちょっと。アダムの話はよしなさい。セト様が落ち込んじゃうでしょう」
シンシアが怪訝な顔をしてオルランドを肘で突く。
「ああ、すまない。僕としたことが……」
「いや、いいんだ。俺のことは気にしないでくれ」
セトは顔を上げ、明るい表情を作る。
「きっと、兄様とイヴ兄様は、どこか遠くの国で、仲良くやっていると思うから」
「……そうですね」
オルランドは眉を下げたまま、優しく微笑んだ。
* * *
「では、セト様。また」
「ああ、またな」
シンシアとオルランドと別れ、セトは一人、空を見渡す。
(まだ、日が落ちるまで、時間があるな。とりあえず、今日はあいつの昔の家の近くを歩いてみよう)
セトは大通りを歩き、広場まで出る。
オルランドとシンシアとの時間が楽しかった反動で、今一人でいることがものすごく寂しく感じる。
(兄様……)
そんな時、必ず脳内に浮かんでくるのは、兄の顔。
——二年前の天変地異の後、兄であるアダムとイヴは、二人揃って姿を消した。
死体も見つかっていないことから、どさくさに紛れて二人で逃げてしまったのではないか、というのがオルランドや他の兄王子たちの見解だ。
だが、セトには解る。オルランドやシンシアには黙っているが、アダムはもう、この世界にはいない。
何故、解るかと言われると、答えることはできない。
だが、セトにはたしかに、己の半身を失ったような切なさがあった。
そして、あの日以来——姿を消したのは兄だけではない。
セトの婚約者であった少女、アリス。彼女が、何処を探しても見つからないのだ。
天変地異のほとぼりが冷めた頃、セトはまず、アリスの家へと向かった。
だが、アリスの家が建っていた場所は、元々そこに何もなかったかのように、空き地となっていた。
その後、士官学校でアリスと仲が良かったクロエに、彼女について聞きに行った。
だが、驚くことに——クロエは、アリスについての記憶を失っていた。
他の生徒に聞いても、そんな生徒はいなかった、と、口をそろえて言うのだ。
もう一人、彼女と親しかったオーロラも、出自不明かつ行方不明。
彼女を探して、二年が経つ。
姿はおろか、有力な情報さえ掴めないでいる。
(アリス、お前は一体、どこへ行ってしまったんだ……?)
急に別れを切り出した理由も、名前を偽っていた理由も——聞けないまま。
こんな終わり方、納得ができない。
もし、再び会うことができたのなら。今度こそ、腹を割って話がしたいのに——
広場のベンチに座り、嘆息するセト。
目の前には、せわしなく通り過ぎていく、人々の姿。
(兄様たちがいなくたって、こうして世界は、普通に回っていくんだ……)
じわりと滲む涙を堪えるように目を閉じ、そして開く。
すると、広場の中央——
白い髪をした、ひと際美しい人物が通り過ぎていくのが目に入る。
「エクス……君?」
セトには、見覚えがあった。
白い髪に白い服。当時は十二歳と聞いていたが、とても大人びた端整な容姿。
アリスの母方の遠い親戚だという、男の子。
(あんな綺麗な子が、そう何人もいるわけない! あれはアリスの家の……エクス君だ!)
セトは急いで立ち上がり、エクスの後を付ける。
(こんな真似をして申し訳ないが……彼を追跡すれば、アリスに会えるかもしれない!)
人波を掻き分け、一定の距離を保って——彼を観察する。
すると、エクスはバス停の前に立ち止まり、大きく伸びをする。
気付かれないようにセトもバスを待ち、やがて到着したバスへと一緒に乗り込む。
バスはエディリアを出て、ノウスサンクタ方面へと向かっていく。
景色が変わり、途中で停留所に留まり、次々と人が降りていく。
最後にバスに残されたのは——エクスとセト、二人だけ。
席が離れているため、彼がこちらに気が付くことはなかったが、セトの心臓はずっとドキドキと鳴り止まないでいる。
「終点、終点です」
運転手が声を上げると同時に、エクスは席を立ち、バスを降りていく。
セトも慌ててバスを降り、道なりに進んでいく。
そこに広がっていた風景に——セトは驚愕する。
(アリスの……家だ……)
かつてアリスが住んでいた家が、丸々移動してきたように、そこにある。
緑の広がるのどかな場所に、ぽつんと佇んでいる、一軒の家。
唖然としていると、エクスはすたすたと家の扉の前へと向かい、鍵を開けて家に入っていく。
セトは意を決し、家の表玄関へと近づく。
(アリス、俺は、お前に会いに来たぞ……!)
震える手を握り締め——セトは玄関の扉を叩いた。
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