第130話 女神
——俺の名前は、レオ・エバンス。
体力だけが自慢の、二十八歳。世界中を巡るバックパッカーだ。
俺が今いるのは、エディリア公国。
元は、『神の地』と言われていて、外部との関わりを持たない閉ざされた土地だった。
近付くものは何人たりとも許されず、殺される。そんな怖い噂のある場所だから、どんな馬鹿だって近づかなかった。
だが、一年前の天変地異で街に大きな被害が出て、民の話し合いの結果、外の国に救援を求め、国を開くことを決めたらしい。
元々、太陽と水に恵まれた、美しい場所だったからね。今は観光地として大人気って訳だ。
そんなエディリア公国には、不思議な言い伝えがある。
それは——夜になると、悪霊が現れる、というものだ。
かつて悪霊は、夜になるとエディリアの人々を襲い、恐れられる存在だった。
だが、最近は、人を襲うことはないらしい。
なんでも、悪霊の親玉が人間と結ばれて、他の悪霊を取り締まる様になったとか。
だから、俺たちが夜に彷徨いたとしても、悪霊と鉢合わせることはないようだ。
まあ、迷信だろうけどね。
「お、到着だな」
シエニアを抜け、ノウスサンクタから続く門へと差し掛かる。
レオは手続きを済ませ、いざエディリアの首都へ足を踏み入れる。
「わあ……!」
そこに広がっていたのは、御伽話の世界のように、美しい街。
花びらの舞う大通り、迷路のような小路、笑い合う人々の姿。
「凄いな! 凄いぞ!」
大はしゃぎで辺りを見渡していると、前から来る人とぶつかってしまう。
「あっ、すみません!」
振り返ると、白髪に赤い瞳の、とても美しい青年と目が合う。
「ああ、悪いな、おっさん!」
「おっさん……」
おっさんと言われたことに少し衝撃を受けつつ、この土地の人の容姿の美しさに唖然とする。
「じゃ、俺、急いでるから!」
青年は手を振り、遠ざかっていく。
(すごいなあ。さっきの青年。まるで絵本に出てくる、天使みたいだった……ああ、いけない。ぼんやりしていたら勿体ないぞ。とりあえず、腹が空いたな。何か食べようか)
レオは大通りを歩き、飲食店を探す。
「お兄さん~、お肉いかかですか~? 今なら、生ハムが安いですよ~!」
肉屋と思われる店の前で、娘が呼び込みをしている。平凡な容姿だが胸が大きく、なかなかタイプである。
(生ハムは魅力的だな、後で、お土産にでも買って帰ろう)
レオは軽い足取りで、更に進む。
「よ! アークの旦那! 今日はリンゴが安いよ!」
「ああ、エクスが喜ぶからな。多めに買ってジャムにするか」
「まいど!」
果物屋の店主の生きのいい声が聞こえてくる。
活気があり、本当にいい街だ、としみじみ感じる。
「お、よさ気な店だ」
白い壁に、淡い黄色の模様が描かれている可愛らしい茶店。
入店し、テラス席にと案内され、一息つく。
「シンシア、いい加減、そろそろ働いたらどうなんだ? 騎士時代の貯金も無限ではないだろうに」
「解っているわよ……でも、ルキが私を離してくれないのよ……」
隣で、背の高い黒髪の女と、銀髪の真面目そうな男がパンケーキを食べている。
とても美味しそうに見えるので、同じものを注文しよう。
「ウエイターさん、いいですか」
「は、はい!」
手を挙げると、これまた信じられないぐらいに見目麗しいウエイターがこちらに寄って来る。
肩ぐらいに切り揃えた金色の髪に、空色の瞳。新人なのか、あたふたとしていて落ち着きがない。
「パンケーキと、紅茶を」
「は、はい。パンケーキと、紅茶ですね」
ぱたぱたと走っていくウエイターを見送り、街へと視線を移す。
——ああ、なんて綺麗な街だろう。
レオは胸一杯に空気を吸い込み。街行く人々をうっとりと見送った。
* * *
「はあ、美味かった」
店から出たレオは地図を広げ、予約していた宿屋を目指す。
(あれ? ここは何処だ? 道を一本間違えてしまったかなあ……?)
エディリアの街は、入り組んでいて、よそ者には解りづらい。
とりあえず何か目印になるものはないかと、歩みを進めていく。
古びた家屋に、小さな商店。すると、目の先に、ひときわ目立つ白亜の塔がある。
(お。何だか気になるし、とりあえずあそこに行ってみよう。近くに人がいたら、道を聞けるかもしれないしな)
レオは塔を目指し、そして一つの、小さな教会を見つける。
(おお、雰囲気があっていいな……)
そっと扉をくぐり、中に入っていく。
薄暗いが、とても美しい。壁には金色の髪の麗人と、その上空に白髪の人物が描かれており、圧倒される。
「……綺麗ですよね。その絵」
後ろから声を掛けられ、ドキリとする。
振り向くと、銀色の髪に、星空色の瞳の——美しい少女が立っている。
「はい、綺麗ですね。お嬢さんは、ここの教会の人ですか」
「まあ、そんなところです」
「この絵は、誰を描いたものなんですか」
「かつてこの地を治めたイヴという存在と、天使の絵です」
「へえ。素敵な言い伝えですね」
「……はい」
少女は微笑み、壁の絵を見つめる。
「この地には昔……天使や悪霊がいたっていうのは、本当なんですか?」
何となしに聞くと、少女はすこし驚いたような表情をする。だが、直ぐに笑顔になり、口にする。
「ええ。今も、いますよ」
「ははは、お嬢さんは、見たことがあるんですか?」
「あります」
「じゃあ、この噂も本当なんですかね。かつての神と天使に代わって、悪霊と結ばれた人間の女神さまが、この地を統べているって」
「どうでしょうね……」
「もしかして、その女神さまって、お嬢さんだったり……なーんて」
「ふふ……」
少女は背を向け、遠ざかっていく。
振り返り、唇に人差し指を当て——微笑んだ。
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この後、番外編が少しだけ続きますので、よろしければお付き合いくださると幸いです。