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ダクスの女神  作者: 森松一花
第7章
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第126話 彼の名は

 神暦一六九三年、夏。

 もうすぐ二十一歳を迎えるエルは、いつも通り、城を抜け出して暗黒街を目指していた。


(今日は……王都に、天使が多いな)


 空を見上げると、忙しそうに飛び回る天使が一人。城を抜け出す直前にも、遠くを飛んでいるのを見かけた所だ。


 ——こうやって天使が見えるようになったのは、一年前ぐらいからだ。


 死が近づいているからなのか、術を使いすぎて人間性を失ってしまったからかなのかは不明だが——とにかく、天使は思ったよりもたくさんいて、頻繁に城の聖堂に出入りしているということ知った。


(ああ、今日は城を早く出すぎてしまった……テレサたちとの約束の時間までまだある。久しぶりに、暗黒街の店でも見て回ろうか)


 小路に入り、あまり人のいない店を、ただぼんやりと見つめる。

 すると、急に押し寄せてくる——不安感。


 今、自分の立っている場所が急に知らない場所のように思えてきて、逃げ出したい気持ちに駆られる。

 胃の辺りが重たくなってきて、だんだんと呼吸が苦しくなってくる。


「……けほっ、けほっ」


 咳が止まらなくなり、目の前がかすんでいく。


(まずい、このままだと……倒れる)


 エルは建物の隙間に隠れ、なんとか呼吸を落ち着けようと必死になる。

 だが、意識すればするほど、苦しさが増していく。


(俺の身体は……もう駄目なのだろうか。このまま、何もできずに、死んでいくだけなのだろうか)


 アダムは『必ず、ここから出してやる』と言ってくれた。けれども、それは一体、何時なのだろうか。

 待っていても、何も変わらないのではないのではないか——


(俺は……俺は、何がしたいんだろうか)


 こうやって、一時の安らぎを求めて、彷徨さまようだけでいいのだろうか?

 後先考えず、母親の仇である、ベアトリーチェを殺すべきだろうか?


(違う。そうじゃない。俺は、もっと……)


 息を静かに吐き、目を瞑った矢先——



「こんな世界、終わってしまえばいいのに」



 耳に響く、少女の嘆き。


 ——その言葉を聞いた瞬間。目の前に、光が差したように感じた。


 ああ、そうだ。

 何で思いつかなかったんだろう。


(そうだよ……終わってしまえば、いいんだ)


 エルは微笑み、ふらふらと歩み出る。

 うずくまる少女の前に立ち、声を掛けた。



 ——彼女に声を掛けたのは、ほんの、気まぐれだった。

 彼女は何で、世界の終わりを望んだのか。それを知りたかったから。

 手を取り——いろいろと、世話を焼いてみた。


 そうしたら、思ったよりも、すごく喜んでくれたから。

 正直、チョロい、と思った。

 悪い気分ではなかったから、俺の身体がまだ自由に動く、あとわずかの期間の暇つぶしになってもらおうと思った。


 一緒に子どもに踊りを教えたり、他愛のない話をしたりした。

 楽しそうな彼女を見ているうちに、可愛い、と思うようになっていた。

 彼女が喜ぶことを考えたりするのは、楽しかった。

 

 好き——と言われると、よく解らない。

 ただ、子どもなりに、俺を真っ直ぐに見つめる瞳が——強く、美しかったママの、それと重なった。

 どうしようもなくなるほど、彼女に依存する前に。

 俺は、彼女の手を——自ら離した。


 彼女と別れてから、俺はこの地を滅ぼす計画を始めた。

 俺には、心当たりがあった。

 子どもの頃に読まされた、先代イヴの手記に記載されていた内容。


 天使には、契約者の願いを叶えることが出来る能力があるということ。

 そして、神は、初代イヴが亡くなって、天上へと姿を消すにあたり、『ある権利』を人に与えたということ。


 その、『ある権利』とは——この地を、終わらせるという権利だ。


 莫大な霊素を必要とするらしいが、天使に願えば、叶えてくれないことも無いらしい。

 一人の聖女が集めるには、不可能な量の霊素。つまり、これは全ての聖女と、その長であるイヴの同意なしには成り立たないような願い。


 全てを無に還す、鉄槌てっつい


 俺はこれを使って、この地を滅ぼすことを決めた。



* * *



「これで……よし、と」


 マラキア城の聖堂の地面に陣を描き、エルは一息つく。


(これは……束縛の神道術テウルギア。ここに降り立ったものを捕らえ、動けなくする術だ。天使がひっかかってくれるかは微妙だけど……とにかく、試してみよう)


 エルは祭壇さいだんの後ろに隠れると、静かに時を待つ。


(そろそろ、正午だ。天使の行動は調査済み。必ず……現れる!)


 エルは息を止め、聖堂の中心を見つめる。

 瞬間——空間にぽつりと水滴が落ち、湧き出るように広がっていく。

 水は人の形を作り、長い白髪に、白い肌の、美しい天使が姿を現す。


(……来た!)


降り立った天使にエルの神道術テウルギアが作動し——光の鎖が、天使の手足に巻き付く。


「…………!」


 天使は一瞬、驚いたように目を見開くが、すぐに落ち着いた様子で、抵抗することも無くその場に立つ。


「……初めまして、天使サマ」


 エルは悪人のような笑顔を浮かべ、天使に歩み寄る。


「……何か御用ですか、無雑な子よ」


 天使の、感情の読み取れない静かな声が響く。


「お前が、大天使……天使の長だな? 見た目の特徴が、先代イヴの手記に書いてあるのと同じだ」

「…………」


 エルは大天使の顔を掴み、こちらに向かせる。


「俺の願いは、お前と契約して、鉄槌てっついを実行すること。できる?」

「できません」

「どうしたら、できる?」

「貴方はイヴではないので、契約できません。大天使が契約するのは、イヴのみです」

「俺が偽物のイヴをやっていることについては、どう思ってるんだ?」

「何とも思いません」

「それに対して、お前は何かしようとは思わないワケ?」

「思いません。しゅから、人の子がイヴを詐称さしょうした場合に罰せよ、という命は受けていませんので」

「ふーん、そう。そうなんだ」


 エルは諦めたように口にすると、大天使の心臓部に手を当てる。


「お前が契約してくれないならさ、俺は契約してくれる天使を探すまでだ」

「…………」

「それまで、その心臓。俺が預かっておくな」


 エルは大天使の身体に右手をねじ込み——心臓を掴む。

 そのまま引き抜き、脈動し、光る臓器を見つめる。


「……さあ、計画を始めようか」



 ——それから俺は、禁術で聖堂の門を閉じ、大天使の異変に気付いてやって来る天使たちを、一匹ずつおびき出しては、殺した。


 天使は、心臓を破壊すると、簡単に死ぬ。

 対悪霊デーモン用に鍛えられたその身体は、人間に牙をかれることは想定していなかったらしい。


 神道術テウルギアを使えば簡単に捕らえられたし、簡単に殺すことが出来た。

 殺した天使の霊素は、大天使の心臓へと溜まっていく。

 これを繰り返せば、きっと、鉄槌を実行できるぐらいに霊素が溜まるだろう。


 そして、たどり着いた、最後の天使。

 これでようやく、俺の悲願は達成される——と思ったのだが。



* * *



「お前、誰なんだよ! イヴじゃないだろ! 俺に何する気だ! この鎖、解けよ! 他の天使は全部お前がやったのか? 悪い奴!」


 聖堂で捕らえた最後の天使は、低く唸りながら、こちらを睨んでくる。

 随分と子どもっぽく、そして、人間味がある。

 他の天使はもっと無機質で、感情が感じられなかったというのに。


「まあまあ、天使サマ。俺はね、君と契約したいんだ。契約して、鉄槌を実行してもらおうと思ってね」


 子どもをなだめるような口調で、エルは告げる。


「鉄槌……? 鉄槌は、大天使ぐらい霊素がないとできないんだぞ! 馬鹿!」

「そう。その大天使の心臓は、ここにある」


 エルは美しい鳥籠の中から大天使の心臓を取り出し、天使に見せる。


「……嘘だろ?」


 天使は唖然あぜんとし、畏怖いふの目をエルへと向ける。


「これを壊せば、最後の天使である、お前にすべての霊素が移る。そして、お前が俺と契約して、鉄槌を実行する……これで、終わりだ!」


 手にした心臓を、強く握りつぶす。

 瞬間——光の塊が壊れた心臓の中から現れ、目の前の天使の中へと入っていく。


「嘘だ……嫌だ! 助けてくれ! アリス! アーク!」


 目に涙を溜め、抵抗するように暴れる天使。


「つくづく変わった天使だなあ……他のやつは命乞いも、何もしなかったのに」


 エルは天使の前に屈み、視線を合わせる。


「さあ、天使サマ。俺と契約して。そして……鉄槌を」

「できない!」

「できないって……どういうこと?」

「俺はアリスの契約者だ! あと、鉄槌を実行するには、もう少しだけ、霊素が足りない!」

「……そう」


 天使は、人間に対して嘘は付けない——先代イヴたちの手記に、そう記されていた。

 つまり、この天使の言っていることは、嘘ではない。


(既に天使に契約者がいる場合、新たな契約はできないのか。そして、全ての天使の霊素をかき集めても、まだ足りないと……)


 エルは考え、そして口にする。


「わかった。じゃあ、君の契約者と……この地の魔女ウィッチを、全て狩ろう」



 ——そこから、俺は行動した。

 まず、夜にベアトリーチェの元に行き、速やかに殺害する。

 それを天使の契約者とオルランドが追っていた魔女ウィッチのせいにして、『天使のお告げ』を出し、王都騎士団を使って始末させる。


 王都騎士団の使う天使武器は、元は大天使の力だ。

 倒した悪霊デーモンの霊素は、この地でたった一人の天使へと集まっていく。


 そして——時は来た。



* * *



「ほら、天使サマ。とても綺麗だと思わない?」


 城の屋根に上り、美しい空と王都を見つめるエル。


「…………」


 拘束され、アダムに押さえつけられている天使。歯を食いしばり、黙ってこちらを見つめている。


「君の契約者……アリスは、亡くなったようだね」

「……嘘だ」

魔女ウィッチの討伐も、もうそろそろ終わりだ」

「嘘だ! アリスが死んだなんて嘘だ! 嘘だ!」


 泣き喚きながら、天使が首を振る。


「さあ、天使サマ。契約して」

「嫌だ!」

「だーめ。君に拒否権はない」

「俺はっ……アリスとしか、契約しない!」


 エルは天使に寄り、ささやくように告げる。


「さあ、最後の天使。誓いの口付けを」


 強引に身体を引き寄せ——顔を近付ける。


「天使サマ、契約だ。さあ、聞いて。俺の名は——」



「サマエル」



 耳に心地よく響く——少女の声。

 城の屋根に腰かけて王都を見ていたサマエルは、声のする方へと振り返る。


「……やあ、リリー。久しぶりだね」


 姿を現した少女は、かつてと同じように、手を振り、笑っている。

 昔より伸びた銀色の髪に、昔と同じ星空色の瞳。


「エルも、久しぶり」


 数年ぶりに会ったというのに、昨日会ったばかりのような——気の置けない、雰囲気。


「名前、憶えててくれたんだ」

「……忘れるわけないよ」

「リリー、死んだんじゃなかったの? 何で生きてるの?」

「まあ、色々あってね」

「そっか……そうなんだ」

「私、ずっと、貴方に嘘つかれたんだと思っていた。本当はイヴって名前なのに、嘘の名前を教えられた、って」

「俺も。君がセトの婚約者のアリスだって聞かされて、うわあ、リリーじゃないじゃんって、思った」

「私たち、どちらも最初から、嘘なんてついてなかったのね。サマエル」

「そうだね、リリス」


 微笑み合う二人の間に、一陣の風が吹く。


「……エクスは何処?」


 リリスは静かに、口を開く。


「あの天使。そんな名前だったんだ。もう、ここにはいない。魔女の討伐とうばつが終わり、君の友達も死んだ。必要な霊素は溜まったからね……今頃、この世界を滅ぼす準備中だ」

「……どうしたら、止められるの?」

「そうだなあ……鉄槌が行われるより先に、契約者である俺を殺すしかないんじゃない?」

「そうなんだ。じゃあ、そうするね」


 リリスは美しく微笑みを浮かべたまま——こちらを見つめる。


「ふふ……いいね、それ」


 立ち上がり、彼女の方に視線を向けると、リリスの後ろから一人の男が現れる。


「…………」


 漆黒の髪に、青く光る双眸そうぼう


「ああ、初めましてだね、黄昏ダクス。きっと邪魔しに来るんじゃないかって、思っていた。黄昏ダクスは、この地を愛している……そう、思っていたからね」


 サマエルは小さく息を吸い、声を張り上げる。


「兄上」


 瞬間——サマエルの背後に黒い靄が現れ、アダムが姿を現す。


「アダム……殿下……」


 様変わりしたアダムを見て、リリスが声を上げる。

 アダムは悪霊デーモンのように変形した左腕でサマエルを包み、黒い瞳でリリスとアークを睨む。


黄昏ダクスの為に、用意したんだ。人間になった悪霊デーモンと……悪霊デーモンになった人間。どちらが強いのか気になったしね……」


 サマエルの合図でアダムは天使武器を抜き、リリスとアークに構える。


「来るわよ。いい? アーク!」

「ああ」


 リリスは息を吸い、声高に言う。


「二人を倒して——エクスを、止める!」

お読みいただきありがとうございます。


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