第12話 黄金の御手 Ⅲ
自分の部屋へと向かうアリスに、キッチンにいた人物が声をかけてくる。
「やあ、アリスちゃん」
伯母の彼氏、ミダス。椅子に腰かけ、我が家のように寛いでいる。
「あ……どうも……」
「体調悪そうだね? ゆっくり休みなよ。伯母さんも心配していると思うから」
そんなはずはない。と思いつつ、会話もしたくないので軽く頷いて部屋へと急ぐ。
「アリスちゃん」
いつもの熱っぽい視線を向けられて、アリスは身震いする。
「前にも行ったけど、おじさんはアリスちゃんの味方だから。何かあったら相談に乗るからね——」
* * *
二階の自室のベッドに横になる。
何か悪い病気にでも罹ってしまったのだろうか。身体が痛くて、手足が千切れそうな感じがする。
いっその事、このままバラバラにでもなってしまえばいいのに、と思う。そうすれば、伯母の彼氏にいやらしい目を向けられることもなくなるし、伯母にも、セトにも、感情を殺して接しなくていいのに。
(逃げてしまいたい。誰でもいいから、ここから連れ出して欲しい)
アリスは、いつでもそう思っていた。
昨日の夜に会った黒騎士は、今となっては夢か現か解らない。結婚しようだなんて、明らかにおかしいのに。少しだけ、手を取ってしまおうかと思ってしまった。
だが、アリスにはそれができない。アリスが逃げたら、誰がリリスの魂を救ってあげられるのか。
(戦わなきゃ。戦わなきゃ……)
一人で——
朦朧とする意識の中、アリスは天に手を伸ばす。
昔、一人だけ、この手を取ってくれた人がいた。金色の髪に、夕暮れに染まる紫の空の瞳をした——あの人。
ふと、誰かに手を握られている感覚がして、我に返る。
「あ? アリス起きた?」
ベッドの隅に腰かけてこちらを見るエクスと目が合う。見ると、右手をエクスに握られている。
「なんかうなされてたぞ?」
「エ……クス」
アリスは上体を起こす。全身に激しい痛みが走る。
「痛っ……」
「あんまり無理しない方がいいぞ? 昨日は狂悪霊と戦ったからな」
「え……? この痛み、悪霊と関係があるの……?」
アリスは戦慄した。悪霊と戦うと、身体が蝕まれるのだろうか。考えてみれば当たり前だ。大きな願いを叶える力に、代償がないわけがない。きっと恐ろしい何かがあるに違いない。
恐る恐るエクスに問う。
「ねえ、エクス。悪霊と戦うと……私の身体、どうにかなっちゃうの……?」
ちらりとアリスの方を見るエクス。硝子玉のような赤い瞳の奥は冷たく、まるで人形のような印象を受ける。
「それはな……」
天使は妖艶に笑う。アリスは息を呑む。
紅く、薄く整った唇を開いて、エクスは口にする。
「……ものすごい筋肉痛ってやつだ」
「……は?」
「昨日、アリスの身体を俺が無理やり動かしただろ? お前、踊りができるっていっても、毎日練習してたわけじゃないみたいだし。アリス、顔がいいのと太ってないのをいいことに、自分磨きっていうの? 身体とか鍛えたことないだろ。姿勢悪いし。歩き方かっこ悪いし」
好き放題言うエクスに、アリスは呆気にとられる。
「もっと強くなるために筋肉を鍛えような!」
バシバシ、と背中を叩かれる。
アリスは硬直する。そして本気で恐怖した自分を哀れに思い、言葉にならない気持ちを発する。
「もおおおおお! もう!」
「うん? 何かの鳴き真似?」
相変わらず、この天使のことはよく解らない。
だが、少しだけ。一人ではない——そんな気がした。
◇ ◆ ◇
トレイド大聖堂に一番近い広場から路地に入ると、歴史を感じさせる石造りの建物がある。テラスには白いテーブルと椅子が並び、夜になると情緒的な雰囲気を醸し出している。
ここは、ミダス行きつけの酒場だ。
店内には木製のカウンターがあり、ボトルやグラスが綺麗に並べられている。それほど広くはないが、暖かな照明が灯され、演奏家の奏でる音楽が聞こえる。客席はエディリアに住まう大人たちで満席となっており、各々が美味しい料理とお酒を楽しんでいる。
「もう一本貰える?」
ミダスは空になったワイン瓶を片手に、店員に声をかける。
「ミダス、最近羽振りよくねえか? 何があったんだ?」
ミダスの友人と思われる、店の中だというのに帽子を深くかぶった男が問う。
「俺は普通に生きているだけで金に恵まれるんだよ」
「なんだそれ。羨ましいねえ」
帽子をかぶった男は甘いワインを一口飲み、言葉を続ける。
「そういえば、前にお前がここで出会って仲良くなったって言ってた女とはどうなったんだ?」
「ああ、ヘロディアス? 正直、束縛が激しくてめんどくせえな。ババアのくせに彼女面してくるから、マジで笑うわ」
「でも、関係続けてるのか?」
「まあな……」
ミダスはワインを注ぎながら、少年のような瞳をして語る。
「そいつの姪がな、超かわいいんだよ」
「ハハハ、少女愛かよ」
「いや、恥ずかしがってあまり話はしてくれないんだけどさ。いつもこっちを見てくるんだ」
店内に流れる陽気な音楽と同じぐらい、ミダスは心を浮わつかせながら。
「あれは、完全に俺に気がある」
「マジかよ。お前の妄想じゃねえの?」
「妄想でも何でもいいんだよ」
ミダスは己の手を見つめながら、自信満々に告げる。
「俺には願いを叶える力があるからな」
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