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ダクスの女神  作者: 森松一花
第7章
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第122話 告白

「……んう」


 アダムとイヴの唇が離れ、長い接吻が終わる。

 目の前で、何が起こっているのか、理解ができない——

 セトは硬直し、ただ、二人の兄の姿を交互に見つめる。


「さてと……」


 イヴが一仕事終えたように伸びをして、こちらに身体を向ける。


「ここからが本番だよ、セト」


 紫色の目を細めて、イヴが笑う。

 その不気味さに、セトはぞっとする。


「ぐっ……!」


 瞬間——アダムが膝をつき、苦しみ始める。


「にっ、兄様!? 兄様、どうしたんですか!?」


 セトはアダムに寄り、背中を擦る。

 アダムは左目を抑え、苦悶の表情を浮かべている。


「兄さ——」


 暫くして、アダムの動きが、ぴたりと止まる。


 手を離し、セトを見つめたアダムの左目が——黒く染まっている。


 アダムの左半身が黒い靄に包まれ、みるみるうちに、姿が変わっていく。


「なっ!? 何を……兄様に、何をしたんだ!?」


 セトは後退し、涙ながらに叫ぶ。


「ちょっとね……兄上の魂を、半分壊した。人間性を半分失う代わりに……浮遊霊による、力を得る。どう? かっこ良くなったでしょう?」


 立ち上がったアダムの左腕は、悪霊デーモンのように黒く、硬く変形している。手の先には獣のような鋭い爪が付いていて、とても人間のものとは思えない。


「何で……何で……こんなことを! 何で!」


 頭の中が、絶望に支配される。

 目の前の光景が受け入れられずに——ただ、無様に叫ぶ。


「兄上、やっちゃって」

「…………!」


 アダムの左腕が、セトの首を掴む。

 そのまま高く持ち上げられ、ぎりぎりと首が絞められる。


「か……はっ……!」


 息が、できない。

 必死にアダムの腕を引っ掻くが、びくともしない。


 ——俺は、ここで死ぬのだろうか。


 変わり果てた、愛する兄の手によって。

 本当に、何もできないまま、終わってしまうのだろうか。


 涙が溢れ、視界が滲んでいく。

 意識がだんだん遠のいていくのを感じていると——不自然に明るいイヴの声が、室内に響く。


「やっぱり、殺すのはやめよう。兄上」


 声を聞き、アダムが手を離す。


「……! げほっ、げほっ……!」


 解放され、床に転がるセト。

 イヴが近くに寄り、顔をのぞき込んで微笑む。


「やっぱりさ、セトには、この地が終わる瞬間を見て欲しいと思ってね。だから殺すのはやめた。俺、優しいでしょう?」


 背を向け、部屋に一つだけある、大きな窓の方へと向かうイヴ。

 両手で窓を開けると、部屋に新鮮な風が吹き込んでくる。

 いつの間にか雪は止み、窓の外に見える空は——暗闇から徐々に、紫色へと変化している。


「何もできない自分に、絶望しながら……死んでね」


 そう告げると、アダムに抱き抱えられ、窓の外へと姿を消す。

 取り残されたセトは、ただ、己の無力さに——涙を流した。



◇ ◆ ◇



 空が紫色に染まり、明るさを放ち始める。

 夜明けが、近い。

 リリスは急く思いで——家までひたすら走っていた。


「うえ~ん、そろそろ日が出るでありますよ~!」

「急げ、急げ。はやくお家に入らないと」


 横を走るネコとクロが、日の光を嫌うように手庇てびさしをする。


「アークは、今、魔窟まくつにいるの?」


 大通りを駆け抜けながら、リリスはネコに問う。


「あい。恐らく魔窟に引きこもっているであります!」

「そう……急がないと。まもなく『鉄槌てっつい』が始まってしまうわ」

「てっつい、って、何でありますか?」

「私もよく解らないけど……この地を、終わらせる何か、らしいわ」

「何だそれ!? やばいやつでありますよ~!」


 ネコは悲鳴を上げながら、走る速度を上げる。


「……ん? 何だろう、あそこ。何か、人がいるよ」


 クロが、広場近くの役所を指で示す。


「え……? 何かしら?」


 リリスはクロが示した役所を見る。

 すると——門の前。二人の騎士と、見知った顔がそこにある。


「ごめん、ネコちゃん、クロ! 先にお家に帰ってて!」

「あい? アリ……じゃなくて、リリス? はどうするでありますか?」

「ちょっとだけ……すぐに、私も家に帰るから!」


 ネコとクロと別れて、リリスは役所の方へと向かう。



「だから! 城で、たくさん騎士が死んでて……イヴ兄様が、兄様を連れていなくなったんだ!」

「お、落ち着いてください、セト殿下。話が解りかねます」



 涙声で騎士に詰め寄る、セトの姿。

 リリスは傍に寄り、声を掛ける。


「セト!」

「あ……アリス!? お前、どうして外に!?」


 セトは驚き、リリスへと向き直る。


「何やってるんだ? 危険だから、早く家に——」


 リリスを掴むセトの手を、強く引っ張り返す。


「アリ、ス……?」


 普段、取らないような行動を不思議に思ったのか、セトが怪訝けげんな顔をする。


「セト、手短に話すね。私、貴方にずっと隠していたことがあるの」

「おい、今、それどころじゃなくて……」



「私……アリスじゃないの」



「……何で、今、それを?」


 セトは困惑したような表情を浮かべ、リリスを見る。


「私さ、セトの事……ずっと、好きじゃなかった」


 真っ直ぐにセトを見つめ、リリスは続ける。


「貴方、私に、馬鹿ってたくさん言うし、何もできないとか言うし。貴方といると、どんどん自分が駄目なやつなんだって思えて……苦しかった。でも、本当は、貴方は私に、不器用なりにずっと向き合おうとしてくれていた……それは、解ってた。貴方がずっと、一人で寂しい思いをしていたのも、気付いていた。でも、私はそんなに、大人じゃなくて。貴方を受け止められるのは……私じゃなかった」

「…………」

「この世界には、きっと、貴方の優しさを……解ってくれる人がいる。だから、セトは、もっと色んな所に行って、色んなことを知って……きっと、幸せになってね。それが私の、最後のお願い」

「お前、何処に……!」



「さようなら。ずっと一緒にいてくれて、ありがとう」



 繋いでいた、セトの手を離す。

 セトが何やら叫んでいるのを振り切り、走り出す。



 ——本当は、もっと早くに、別れるべきだった。

 私は弱くて、貴方といることで得られる安心感を、手放したくなかった。

 

 私と貴方は、一緒にいることで、お互いに駄目になっていた。

 でも、少しだけ考える。

 もっと素直に貴方に接していたのなら、何かが変わっていたのだろうか。

 今みたいに、目を見てちゃんと話せていたのなら。二人で一緒に、小さな幸せを育む未来があったのだろうか。


 けれども、私は、選んだ。

 たとえ人として、間違っていてもいい。

 それが私の——求めた幸せなのだから。



 家に付く頃には——空は、金色に染まっていた。

 まるで聖堂に描かれているような、非現実的な空。

 今までに見たことが無いようなその有様に不安を覚えつつ——リリスは家の扉を開く。


「リリス! リリスが帰ってきたであります!」


 ネコとクロが無事を喜び、慌ただしく出迎えてくれる。


「ネコちゃん、クロ。お願いがあるの!」

「何? 何でも言って~」



「ご飯の準備を……していて欲しいの!」



「……あい?」


 不思議そうな顔する二人を見て、リリスは微笑む。


「約束する。私はこれから、アークを引き摺り出して、エクスを止めに行く! そして、三人でこのお家に帰ってくる! そうしたら……」

「そうしたら?」



「皆で揃って、ご飯を食べましょう!」



 ぽかんと口を開ける二人を置いて、リリスは二階の自室へと急ぐ。

 長い間、使われていなかった机の引き出しを探り、薄紅色の宝石箱を開く。


 大事そうにそこに仕舞われていた銀の指輪を手に取り——左手の薬指にはめる。


(偉いわ、アーク。ちゃんとぴったりに作ってあるじゃない……!)


 指に馴染む指輪を見つめ、少しだけ悦に浸る。

 部屋を出て、階段を駆け下り、玄関の扉の前に立つ。



「アーク、今行くわ!」



 リリスは決戦に向かう騎士のごとき覚悟で——魔窟への扉を開いた。



◇ ◆ ◇



 目の前に広がる、闇、闇、闇。

 心地良いはずのその闇が——今はわずらわしくて、仕方がない。


「我ながら……未練がましくて嫌になるな……」


 魔窟まくつのベッドで寝返りを打ちながら、アークは一人、呟く。

 目を閉じると思い浮かぶのは、眩いばかりに笑う、少女と天使の姿ばかり。


(お陰で、寝ることも敵わん。どうしてくれるんだ、本当に……)


 何も考えられないし、考えたくない。

 ただ、虚構を見つめ、記憶が風化していくのを待つだけ。


 ぼんやりとした己が視界に——ふわり、と、銀色の髪が映り込む。


(ああ、滑稽こっけいだ。アリーの幻影まで見えてきた……本当に、俺はもう駄目なようだ)


 目をつむり、暫くして、もう一度開く。

 すると、先程よりも鮮明に、少女の姿が映る。


「あ……?」


 慌てて起き上がり、目を擦る。

 そこには確かに、銀色の髪に、星空色の瞳をした少女が立っている。


「アリー……?」


 少女と目が合うと、少女は少し気まずそうな顔をして、目を背ける。

 組まれた左手に——銀色の指輪が光っている。


「ア……リ、リリー……? ん?」


 アークが混乱していると、少女は下を向いたまま、口を開く。


「えっと……何から説明していいのか解らないけど、時間がないので、簡潔に言うわ」


 決心したように顔を上げると、少女は続ける。


「ずっと、忘れててごめんなさい……貴方はちゃんと、私を迎えに来てくれたのに。私はリリス、貴方の婚約者。そして、私は今から、貴方に『勝負』を挑むわ」

「勝負……?」


 まだ状況が飲み込めないでいるアークを、リリスは強く睨み付ける。


「私、今から、貴方に愛の告白をする。それを聞いて、貴方が私を好きだと思ってくれたら……私の言うことを聞いて、一緒にエクスを止めて欲しいの。もし、好きだと思わなかったら……私は一人で、エクスを止めに行くから。どう? この勝負、受けてくれるかしら……?」


 リリスの、星空色の瞳が光る。


 ——その時、気付いた。

 少女の名が、どちらかなんて、最早どうでも良かった。

 その瞳。たとえ双子だとしても、その輝きは、ただ一人——


「駄目だ」

「ええっ!?」


 きっぱりと答えるアークに、リリスが声を上げる。


「ちょ、ちょっと待って。まだ何も言ってないじゃない。せめて聞いてから……」


 あたふたするリリスを引き寄せ——アークは笑う。



「聞く前から、俺が負けているではないか」



 顔を近づけ、そのまま口付けをする。

 これは、願いの成立の証であり——愛の証。


 唇を離すと、少し驚いたような、照れたような、何とも面白い表情のリリスと目が合う。

 思わず吹き出すと、リリスに肩を引っ叩かれる。


「ちょっと。何よ、何で笑うのよ」

「いや……何でもない」

「で? どうなのよ。私の勝ちってことでいいのね?」

「ああ、それでいい」

「やったわ」


 リリスは安堵あんどしたような顔を浮かべ、小さく拳を握り締める。

 そんな、何でもない仕草さえ——愛おしいと感じる。



 ——もう、二度と、失わせない。

 お前と、お前の愛する全ての為に。

 俺は——この身を、捧げよう。



「さあ、お前の敵は……何だ?」


リリスの瞳に映る自分の姿を見て、アークは不敵に笑った。

お読みいただきありがとうございます。


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