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ダクスの女神  作者: 森松一花
第7章
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第120話 夜の少女

 その日は、ひどく雨が降っていた。

 三人で夕食を食べ終え、もうそろそろ寝床に入ろうと思っていた時だった。


 家の玄関のドアが、叩かれる。

 母が上着を羽織って出ていくと、身体の大きな騎士が立っているのが見える。

 母と騎士は何やら難しい話をしていたが、一つだけ、聞き取れた言葉がある。


 ——危篤きとく


 この間、修道院学校で読んだ、本に出てきた。

 死が近い、という意味だということを、リリスは知っていた。



 騎士と話し終えたローゼンロートが、アリスとリリスに向かい、口を開く。


「アリス、リリス。お父さんの病気がね~、ちょっと悪くなっちゃったみたいなの。お母さんは今から騎士様の馬車で、一緒に病院に行ってくるわ。もう夜だからね、アリスとリリスは、お利口さんに寝ていてね。大丈夫、大丈夫だからね~」


 大丈夫——という母の声は、震えていた。

 母は寝間着から平服に着替え、支度を始める。


「ねえ、リリス。お父さん、大丈夫なの……?」


 アリスが不安な顔をして、リリスの手を握る。


「危篤だって、聞こえた」

「きとく、って何?」

「そろそろ死んじゃうってことだって」

「……お父さん、死んじゃうの?」

「たぶん……そう」

「私たち、もうお父さんに会えないの? 嫌だよ、リリス。そんなの……」


 泣き出しそうな顔をするアリスの手を、ぎゅっと強く握る。

 母は忙しくしていて、こちらを見ていない。


 行くならば、今だ——


「ねえ、アリス。ついて行こうよ。病院」

「え? でも、子どもは夜に外に出たら、悪霊デーモンが来るから、駄目だって」

「大丈夫だよ。悪霊デーモンなんて、怖くないよ。それよりも、お父さんにもう会えないかもしれないんだよ、いいの?」

「……嫌だ」

「アリス、行こう。お母さんが気付かないうちに。荷台に乗るの」

「……でも」

「ほら、アリス!」


 アリスの手を引き、開け放たれた玄関へと促す。


「……うん、行く!」


 深く頷いたアリスと共に——寝間着のまま、リリスは馬車の荷台に隠れた。



 ——この時の『私』は、アークとの日々を過ごしていたことによって、夜と、悪霊デーモンに対しての、恐怖心が薄くなっていた。

 父と会えるのが、最期かもしれない。そう思ったら、居ても立ってもいられなかった。

 だけれども、これが間違いだった。

 

 これは、『私』の罪。

 消えることのない、深い、罪。



 冷たい雨が、降り注いでいる。

 荷台には布がかけられていたが、じっとりと濡れて、中まで漏れてきている。視界は暗く、雨が打ち付ける音と、車輪のガタガタいう音が耳に響く。


「リリス、怖いよ……」


 馬車に揺られながら、アリスがリリスに抱きつく。


「大丈夫、少しの、辛抱だから」


 リリスはアリスの背をさすり、唇をきつく結ぶ。


「騎士様、もう少し速くなりませんか?」


 前に乗るローゼンロートが、声を出す。


「すみません、これでも急いでいるのですが……」


 馬を操る騎士が、申し訳なさそうに口にする。


「ごめんなさいね、無理を言って……」

「いえ、心中お察しします」


 馬車が街道を抜け、山へと差し掛かる。

 先程よりも振動が強くなり、アリスとリリスは強く抱き合う。


「んん……何だ?」

「どうかしましたか?」


 母と騎士の会話が、耳に入ってくる。


「なんか……目の前。大きな黒い、岩? のようなものが……」


 騎士が、呟いたと同時だった。

 ガタン——と、大きく車体が揺れる。


「なっ何!?」

「きゃああああああ!」


 目の前が、ぐるぐると回る。

 地面を削るような、ものすごい音が鳴り響く。


 何が起きているのか、解らない——

 アリスとリリスは、叫び声を上げる。


 暫くして——動きが止まる。

 荷台の中で、自分たちがひっくり返っていることに、初めて気が付く。


「いてて……アリス、大丈夫?」

「う、うん……何とか……」


 荷台に積んであった衣類が緩衝材かんしょうざいとなって、大事には至らなかった。

 恐らく、馬車が、崖から落ちたんだ——

 リリスは四つん這いになり、何とか外に這い出す。

 手の土を払い、馬車の前側を見る。


「お母さん……?」


 馬車の前側が、潰れている。

 瓦礫の下から、母の腕のようなものが、だらり、と出ているのが見える。


「嫌あっ! お母さん! お母さん!」


 腕を引っ張るが、母の身体が出てこない。


「アリス! 来て! お母さんが下敷きに!」


 必死で叫びながら、母の腕をぐいぐいと引っ張る。

 頭が真っ白になり、涙が滲んでくる。

 リリスは泣きながら、母の腕を引っ張り続ける。


「リリス……」


 魂の抜けたようなアリスの声が、耳に入る。


「どうしたの? アリス。アリスも手伝って……!」


 振り返り、アリスの姿を見ると——アリスはある一点を見つめ、固まっている。

 不思議に思って、アリスの見つめる先を確認する。


 そこに居たのは、黒い岩のような——異形の存在。


 四つん這いの、巨大な蛙のような形で、背中に黒い、臓物を固めたみたいなものを乗せている。顔の部分には大きな口と赤い目があり、アリスを見つめ、涎を垂らしている。

 身の毛がよだつ、醜悪な物体に——リリスは腰を抜かす。


 これが、悪霊デーモンだ。


 何が、悪霊デーモンなんて怖くない、だ。すべての悪霊デーモンが、アークみたいな訳がないのに。


 土砂降りの中、地べたに座り込み——動くことが出来ない。


「リリス……逃げて」


 悪霊デーモンから目を逸らさずに、アリスが口にする。


 助けなければ。動かなければ。

 二人とも、食べられてしまう。


「逃げて!」


 アリスが叫んだ瞬間——

 悪霊デーモンは大きな口を開け、アリスを丸呑みにする。


 骨が砕かれるような、パキパキという、嫌な音が聞こえてくる。

 あっという間に悪霊デーモンはアリスを平らげ、満足そうに湿った息を吐く。



「うう……ああああ、ああああああああああ!」



 リリスは叫び、耳を塞ぐ。


 私のせいだ。

 私のせいで、お母さんも、アリスも、死んでしまった。


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」


 祈る様に呟きながら、リリスは後退る。

 悪霊デーモンはリリスの方を向くと、じりじりと近寄って来る。


 目の前まで、悪霊デーモンが迫る。

 リリスは死を覚悟し、目を瞑る。


 だが、次の瞬間——


 悪霊デーモンはぶるぶると震え出し、ギャアギャアと喚いたかと思うと、逃げるようにその場からいなくなる。


「何、で……?」


 取り残されたリリスは一人、呆然ぼうぜんとする。

 チェーンで首から下げた、アークに貰った婚約指輪が、キラリと光っている。


「もしかして……これを見て……?」


 喰われなかったことに安堵あんどしたのも束の間——激しい悲しみが、リリスを襲う。


「お母さん……アリス……」


 雨が、強くなっていく。

 リリスはただ、泣き叫ぶことしか、できなかった。



 ——『私』は、耐えられなかった。

 彼女を失った、悲しみに。

 彼女を死なせてしまったという、重圧に。

 どうせ死ぬなら、『私』の方であるべきだった。

 明るくて、優しくて、何でもできて、人気者な彼女が、死ぬべきではない。


 だから、そう。

 彼女の死を——受け入れなかった。



 一夜明け——通りすがりの騎士に、少女は保護された。

 馬車が事故に遭ったのに、かすり傷程度で済んでよかったと、医者は言っていた。

 病院に駆けつけたのは、ローゼンロートの姉であり、伯母の、ヘロディアス。

 心が抜け落ちたような顔をした少女に——ヘロディアスは向き合う。


「ああ……一体、何が起きたの? 大丈夫? えっと……」


 ヘロディアスは言い淀む。


「貴女は……アリスの方、かしら?」

「……うん」



 ——その瞬間。

 『私』はアリスとなったのだった。



「思い……出した」


 リリスは闇の中、アリスと見つめ合う。


「思い出してくれた? リリス」


 アリスはにこりと微笑むと、言葉を続ける。


「私……アリスは、あの時、悪霊デーモンに喰われて死んでしまった……でも、貴女がアリスを名乗ってくれたお陰で、死の国へ行くはずだった私の魂は、貴女の身体の中に残り続けたの。思い合う双子だから成せた、奇跡なんだよ。貴女の身体には、アリスとリリス、両方の魂が入っていたの。そして、私を喰べた悪霊デーモンは後に消滅し……私の霊は、貴女の中へ戻った。だからね、リリス。私はこれから、正しく死ぬことが出来るの。今、ここで死ぬのは、私一人でいい。だから、貴女は、戻るべきよ」

「嫌、アリス。行かないで……」


 徐々に薄くなっていくアリスの身体を——リリスは強く、抱きしめる。


「私……アリスのいない世界で、生きていくことなんてできない」

「そんなことない。貴女は、私がいなくなった後も、ちゃんとやれてた」

「アリス、私には、貴女が必要なの! 私、明るくないし、優しくないし、不器用だし、死ぬなら……私であるべき!」

「リリス、私は本来なら、もう死んでいるの。だから……これは、必然」

「嫌よ……アリス、アリス……!」

「大丈夫。リリス。貴女なら、きっと何でもできる」

「お願い! アリス、一人にしないで! ねえ!」

「馬鹿ね、リリス」


 アリスはリリスの耳元に近付き、そっと囁く。


「リリスはもう……一人じゃないでしょう?」



「アリス!!」

「ぎぃやあああああああああああ!」


 目を開け、上体を起こすと——リリスは土にまみれていた。

 深く掘られた穴の中にいて、何が何だか解らず、目をぱちくりさせる。


「あ……あああああ……アリスの死体が、悪霊デーモンに乗っ取られたでありまあああす!」


 穴の向こうで、ネコとクロが抱き合い、身体をがたがたと震わせている。


「ネコちゃんと……クロ?」


 リリスが目を見開いて口にすると、クロが身を乗り出して、問う。


「あれ……? 待って、もしかして、本物のアリスなの?」

「ううん、私、アリスじゃないの」

「あああああああ! やっぱり乗っ取られたでありますよおおお!!」


 ネコがクロを掴み、ぐわんぐわんと揺する。


「ねえ、ネコちゃん。今、どのくらい?」

「えっと……あと一時間ちょっとで、日の出でありますよ」

「私が死んでから、そんなに経ってないわね?」

「あ、あい……」

「急がなきゃ! 私、エクスを探しに行かなきゃ!」


 リリスは穴から這い出し、身体の土を取り払う。


「あの、やっぱり、アリスなの……? アリス、生き返ったの……?

 恐々と口にするクロの頭を撫で、リリスは言う。


「全部終わったら、説明する。とにかく、私、家に帰らなきゃ」

「家に帰って、何をするでありますか?」

「取りに行きたいものがあるの……あとは……」


 息を吸い——リリスは毅然きぜんと、前を向く。



「アークに……会いに行く!」

お読みいただきありがとうございます。


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