第116話 愛情 Ⅱ
深々と、空を舞う。
美しい雪片が血だまりに落ちては、ゆっくりと解けていく。
その様子をうっとりと見つめながら、シンシアは息を吐く。
「……そろそろ、後始末をしないと、ね」
シンシアは立ち上がり、辺りを見回す。
(……お姫様の死体を、運ばなければ。城に騎士が残っているかしら。とりあえず、声を掛けに行きましょう……)
少女の死体を放置し、城の入口まで移動しようとした時——
ふわり、と、黒い影がシンシアの横を通り過ぎていく。
「……何?」
振り返ったシンシアは——目を見張る。
シンシアが殺した少女の傍に、見知らぬ男が立っている。
「……誰?」
シンシアは腰に差した天使武器に手を添える。
しかし、男はこちらに見向きもしない。少女の死体にそっと触れると、身体の傷を次々と癒していく。
(治癒の術……? 治癒の術を使える人間は、猊下しかいないのに……ということは)
シンシアは剣を抜き、男の首に添える。
「動くな、悪霊」
「…………」
男はシンシアに構わず、少女を治し続ける。
すっかり綺麗なった身体を確認すると、男は少女に声を掛ける。
「アリー。怪我を治してやったぞ。起きろ」
「……おい」
「アリー……?」
「……無駄なのよ。知っているでしょう。人は身体を治しただけでは生き返らない。もう、霊と魂は、天の国へ行ってしまったでしょうよ」
「…………」
男は立ち上がると、静かに口を開く。
「……お前、か?」
「何がよ?」
「お前が、アリーを殺ったのか?」
シンシアに向けられる、蒼い瞳。
絶望しそうなほどに美しく、おぞましい怒りの宿った、その瞳——
全身に身震いが走って、恐怖に支配される。
「……はあっ……はあっ……!」
呼吸ができない。
自分が普段、どのように呼吸していたのかが解らない。
何とか己を律しようと——相手の男を強く睨む。
「もう一度聞くぞ。お前が、アリーを殺ったのか?」
ドクンドクンと警告を鳴らす心臓を無視し、凛と背筋を伸ばす。
恐れを飲み込み——シンシアは答える。
「ええ、アリスさんは……私が殺したわ」
シンシアは己の天使武器を高く振り上げ、叫ぶ。
「そして、貴方のことも……ここで殺す!」
無防備な男の首へと、剣を振り下ろす。
だが、剣は空を斬り——目の前にいたはずの男が、消えている。
「なっ……!?」
シンシアが振り返ろうとすると——男の冷たい手が、ぬらり、と右腕に触れる。
瞬間——シンシアの腕は関節と逆方向に折れ曲がり、バキリ、と骨の砕ける音がする。
「ぐっ……! ああああああっ!」
握っていた天使武器を地面へと落とし、シンシアは苦悶する。
耳元で、男が呟く。
「……弱いんだな、最近の王都騎士は」
その後、腹に強い衝撃を受ける。
シンシアの意識は——そのまま、途切れた。
◇ ◆ ◇
「……アリー?」
雪の中、眠っているように横たわる肉体。
死してなお美しい少女の頬を撫で、もう一度名前を呼ぶ。
「アリー。クロとネコが、待っているぞ。エクスもきっと帰ってくる。だから、帰ろう」
返ってくることのない、返事。
世界で一番、惨めな気分になる、答え。
「ああ……そうだったな。忘れていた。人間は……脆いのだった」
だから、深く関わらないようにしていた。
興味を持って近づいて、一緒にいて面白くなってきた頃に——壊れる。
そんな人間に、もうずいぶんと昔に、愛想を尽かしたのだ。
尽かした、はずだったのに——
「シン……シア?」
アークの背後から、ぽつりと声がする。
そこには馬から降りてきた、赤い隊服を着た男が立っていて、先程倒した女騎士を見つめている。
オーロラから身体を貰った際、何やら長々と話していた男だ。名は、ロサ隊隊長のオルランド。
ぼんやりと視線を向けると——オルランドと目が合う。
「貴様……!」
黄金の瞳に怒りを宿して、オルランドが天使武器を抜く。
「……その女、まだ生きているぞ。そういう『約束』なんでな」
アークは興味なさげに言い放つ。
「……うああああっ!」
オルランドが地を蹴り、アークに斬りかかる。
剣身を素手で受け止め、己の方へと引き寄せる。
「……ぐっ!」
「……何でだ?」
金色の瞳を覗き込み、問う。
「な……何がだ!」
「何でお前は、敵わないと解っていて、俺に斬りかかった? 先程は、あんなにも冷静だったではないか。隊長という立場も忘れて。何がお前をそうさせた?」
淡々とした口調で、アークは話す。
「煩い! お前に言う必要はない!」
「この女は、ただ、自分よりも強い悪霊に敗れただけだ。仕事を全うしたのだ。お前が怒る必要がどこにある? 何故だ?」
「黙れ! 悪霊なんかに解るものか! 人が人を……思う気持ちなど!」
オルランドの瞳がわずかに潤む。それを不思議に思い、質問を続ける。
「思う? お前はこの女が好きなのか? それは友愛か? 恋愛か?」
「どちらでもいいだろう! お前にっ……人を愛する気持ちなど……解るものかっ!」
「ふふ……ははは……ああ、解るさ!」
アークは笑いながら、オルランドの頭部を殴りつける。
オルランドはその場に崩れ、動かなくなる。
「人を愛する、というのはな……」
倒れる騎士たちに背を向け、アリスの死体へと向かう。
雪を払い、冷たくなったそれを抱え——口を開いた。
「最悪な気分だ」
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