第112話 姫の最期
夜風が吹き、青白く光る月が地上を照らす。
震える手足を抑え込み、アリスは象牙色の剣を構える。
向かい合うシンシアは不敵に笑い、なびく黒髪がまるで自由を象徴する旗のように見える。
暫く睨み合っていると——少し浮かれた調子で、シンシアが口を開く。
「どうしたの? お姫様。剣を抜いたのなら、仕掛けて来なさいな」
どこか恍惚としたような、シンシアの黒い瞳がこちらを向く。
その姿に威圧され、アリスの額からは冷たい汗が流れる。
「……シンシア様。私、シンシア様と戦う理由がありません」
シンシアの言う、『天使のお告げ』とやらが、何なのかが解らない。王妃を殺してもいないし、訳の解らぬまま殺し合いをするなど——納得できない。
だが、シンシアはお構いなしといった様子で、アリスに向かって言い放つ。
「あら、そう。じゃあ、貴女は私に、ただ殺されるってことね……!」
シンシアが強く地面を蹴る。次の瞬間には目の前にまで迫り、アリスは咄嗟に武器を構える。
強い衝撃を受け、後ろへよろめく。慌てて体勢を整え、次々と繰り出される力強い攻撃を受け止める。
キィン、という音が響き、剣身が交差する。
「……こんなものかしら? お姫様」
囁くと同時に、シンシアの左足から鋭い蹴りが放たれる。
「ぐっ……!」
右下腹部への強い衝撃と共に、アリスは後方に吹き飛ぶ。
地面に転がり、呼吸ができずに苦しむ。すかさずシンシアから振り下ろされる剣を、上体を捻って躱す。
「はあっ……はあ……げほっ、けほっ」
何とか距離を取り、ふらふらと立ち上がる。
そんなアリスの姿を見て、シンシアは楽しそうに笑う。
「ふふ、可愛い。お姫様というよりは、子ウサギちゃんかしら。どう? 己が狩られる側だという事実は。怖いかしら?」
「……何を」
心の中に沸いた僅かな怒りを込めて、シンシアを睨む。
「……そうよ。抵抗しなさいな。ここで黙って、命を終えたくないならね……!」
再び迫るシンシアの剣を、弾くようにして受け止める。
考えているわけではないが——反射的に身体が動く。今までのエクスと共に戦ってきた経験が、アリスの中に蓄積されている。
だが、相手は百戦錬磨のリリウム隊隊長。このまま戦っていても、勝ち目はないだろう。
(……考えなきゃ。シンシア様に、私を殺すのを諦めてもらうには、どうしたらいいのか……!)
アリスは一歩踏み出し、シンシアへと斬りかかる。
斬りかかると同時に、シンシアが素早く剣を振る。再び交差する白い剣身が、月光を受けて青白く光る。
「ああ、心が踊るわ。悪霊の討伐なんかより、人を殺す方が、『私、仕事してる』って……嬉しくなるわよね!」
シンシアに押し切られ、アリスは再び地面へと転げる。
(駄目だわ。力では、勝てない。でも、勝つ必要はない。逃げる……逃げるためには、シンシア様の足を、攻撃すれば……!)
アリスは立ち上がり、シンシアへと向き直る。
気持ちで負けないように——必死で、目に力を込める。
「いいわね、その目。少しは戦う気になったのかしら……お姫様?」
「……はあああっ!」
掛け声とともに、シンシアに斬りかかる。だが、シンシアは機敏に動き、それを回避する。
負けじと攻め続けるが、アリスの剣は、シンシアに当たらない。
「んふふ……がむしゃらな姿も可愛いけれど……ちょっと、粗削りすぎるわよ。基礎からやり直してらっしゃいな!」
シンシアはアリスの剣を弾くと、真横から斬りかかる。
剣を立ててアリスが受け止めると、シンシアが身体を捻り、蹴りの体勢に入る。
(……今だ!)
アリスはくるりと回転し、軸足となっているシンシアの足首を狙って斬り付ける。
シンシアの足に剣先が触れる——が、剣の方が先に、ぐにゃりと折れ曲がる。
「なっ……何で!?」
アリスは咄嗟に後ろに引き、手にした天使武器を確認する。
触ってみると、たしかに硬い。何故、シンシアの身体に触れた瞬間、折れ曲がったのだろうか——
「……あら。もしかして、天使武器の使い方を知らないのかしら?」
シンシアが薄ら笑いを浮かべながら、口にする。
「不思議な武器よね。天使武器は……使用者の意志を受けて、硬くもなるし、柔らかくもなる。使用者が人を殺したいと思えばそれに応え、殺したくないと思えばそれに応えてくれるの。つまり、貴女は私のことを、無意識で傷つけたくないって思ったってこと。残念……これじゃあ、殺し合いにならないわね。ちょっとだけ、楽しくなっていたのに……」
シンシアは自分の剣をうっとりと眺めると、続ける。
「せっかくだから、天使武器の真の力を見せてあげましょうか?」
「……真の、力?」
アリスは眉をひそめ、聞き返す。
シンシアは剣身をなぞると、落ち着いた口調で話し始める。
「貴女も聞いたことがあるでしょう。天使は、手入らずの清白な人の歌を受けて強化される……そして天使武器も、それは同じなの」
シンシアは小さく息を吸うと、歌い始める。
透き通るような、美しい旋律。
心が震え、一瞬、我を忘れる。
瞬間——シンシアの剣が光り輝く。細く長い、剣の形だったシンシアの武器が、槍のような形状へと変化する。
「剣が……槍になった……?」
天使武器も、エクスがそうであったように——使用者の思いによって、形を変えることができるとは。
目を見張ると、シンシアがくすくすと笑う。
「こうやってね、天使武器は使用者である乙女の願いを叶えるため、最適な形に変わってくれるの。素敵でしょう? これで貴女を……心置きなく、殺せるわね」
くるくると頭の上で槍を回し、シンシアが構える。
その姿は、正に伝説の戦乙女といった感じがして——とてもじゃないが、勝てる気がしない。
「さあ、足掻いてみせなさいな、お姫様!」
槍の切っ先が、アリスへと迫る。
胸に突き刺さりそうになるところを、既の所で避ける。
(……っ! 槍と剣じゃ、どうしたって不利だわ!)
後ろに跳び、距離を取るが、シンシアは攻撃の手を緩めない。
一発でも当たったら、致命傷になるだろう。神経を研ぎ澄まし、槍の動きを見切る。
間合いのぎりぎりで攻撃を避け、シンシアの武器の柄を掴む。
(捕らえたっ!)
アリスがシンシアの懐まで飛び込もうとした瞬間——再び、シンシアが旋律を口ずさむ。
槍の形状をしていた天使武器は剣へと姿を戻し、アリスの攻撃を防ぐ。
正に、変幻自在の戦い方といったところか。相手の方が、一枚も二枚も上手である。
「くそっ……!」
アリスが後退すると、すかさずシンシアが迫る。
重い剣撃を、反射だけで受け止め続けるアリス。
「……そろそろ、終わりにしましょうか」
シンシアが地面を蹴り上げ、頭上から剣が振り下ろされる。
「くっ……!」
間一髪でそれを避け、僅かにシンシアに生まれた隙を狙って、斬りかかる。
(今度こそ、ちゃんと斬るんだ、シンシア様を……!)
アリスは強く念じながら、シンシアの足元へと振りかぶる。
「……甘いわ」
瞬間——右手に握られているシンシアの剣が、うねる。剣身が意志を持ったように伸び、アリスの左脇腹に突き当たる。
「がっ……!」
衝撃で身体は吹き飛び、そのままの勢いで花壇に突っ込む。
——痛い。
痛い、熱い。
脇腹を押さえている手を見ると、血がべっとりと付いている。
途端に感じる死の恐怖で、頭が真っ白になる。
これまで、沢山の悪霊と戦ってきた。だが、未だかつて、こんなに血を流したことはなかった。
ずっと、エクスに守られていたのだと。そんなことに、今更になって気が付く。
(痛い、怖い。やっぱり、私一人で戦うなんて、無理だったんだ……)
痛みと失血により——だんだんと、視界がぼやけてくる。
(ああ、まだ、死にたくないな……)
そんなことを思う自分が、何だか不思議に感じれられる。ついこの間まで、死ねるのならどれだけ楽だろうと思っていたのに——
(いつからだろう。存在したい、生きていたいと、思うようになったのは……)
——なあ、アリス。お前の願いって、何だ?
薄れゆく意識の中、エクスの声を思い起こす。
「なあ、アリス」
「……え? 何?」
場所は、昼時のキッチン。向かい側の席に座ったエクスが、不思議そうにこちらを見ている。
「アリス、ぼーっとしてないか? 大丈夫か?」
「ええ、大丈夫よ。それで、えっと……何の話だっけ」
「アリスの願いの話だ。昔と比べると、俺の霊素は結構溜まったけど……アリスの願いは、妹を生き返らせたい、から、変わった?」
「う、ううん。変わらないわ」
「ふーん、そう」
エクスはテーブルに置かれたミルクを一口飲むと、話を続ける。
「アリスはさ、妹を生き返らせて、何がしたいの?」
「何がしたいって……ただ、悪霊によって不当に命を奪われた妹を、取り戻したいだけ」
「それは、妹のため? アリスのため?」
「え……何で、そんなことを聞くの?」
「いや、なんとなくだけどさ。アリスって、いつも受け身だから。もっと、自分のやりたいこととか、叶えたい夢とか、ないのか?」
「ないわけじゃ……ないと思うけど」
エクスに言われてみて、考える。
リリスを生き返らせたい理由。十二歳で命を終えた、彼女が哀れだから?
否、それは建前だ。
彼女が生きていたならば、きっと、惨めな自分を救ってくれると思ったからだ。彼女なら、自分の手を掴んで、離さないでいてくれると思ったからだ。
けれど、それはあくまでも、自分の考え。生き返ったリリスが、自分の為に生きてくれる——そんな保証は、どこにもない。
「ほら、アリー、エクス。プリンができたぞ」
キッチンで何やらずっと作業をしていたアークが、声を掛けてくる。
チェリーとクリームが乗った可愛らしいプリンが、目の前に運ばれてくる。
「やったー! プリンだ!」
エクスが飛び跳ね、椅子をガタガタと動かす。
「ほら、真っすぐ座って食え。ネコ、クロ。はやく来ないとエクスが全部食うぞ」
「やーん! ネコちゃんもプリン、食べるでありますー!」
「おれも、おれも」
クロとネコも現れ、賑やかになるキッチン。
そんな何でもないような時間が——愛おしかった。
——ねえ、エクス。
いつまでもみんなで一緒にいたい、と願ったら、叶えてくれるの?
だって、そう。
私はもう、過去じゃなくて——君たちといる、『未来』が、欲しいのだから。
「……もう立ち上がらないのかしら? お姫様」
シンシアの声が、近づいてくる。
お姫様——なんて、強烈な皮肉だろう。
自分はずっと、彼女が言うように、『お姫様』だったのだ。
逃げ出したいくせに、何も変えたくなかった。
自分を大切にしてくれる誰かさえいれば、全てが解決すると思っていた。
幸せはいつだって、誰かに与えられるもので。ずっとずっと、待ち続けてれば、手に入れられるって信じていた。
エクスやアークに出会ってからだって、ただ、彼らに流された。
自分の意志で動いているような顔をして、彼らに助けられ、守られていたんだ。
青空の下で自由に飛び回る、君を。
闇夜の中で華麗に微笑む、君を。
二人の姿に、憧れていた。愛していた、といってもいいかもしれない。
そんな二人を愛することによって、大嫌いだった世界を、自分自身を——愛することができそうな、気がしたんだ。
彼らに並び立てるような、人になりたい。
眠れる姫のままでいるのは——
今日で、終わりにしよう。
「……まだ、です」
剣を支えにして、何とか立ち上がる。
腹部からはぼたぼたと血が流れているが、不思議と、身体は動く。シンシアの前へと歩み出て、己の意志をぶつけるように——睨む。
「……あら。思ったよりも、良い顔ができるじゃない。ようやく、お姫様から……騎士の顔になったわね……」
笑うシンシアに向かって、アリスは剣を構える。
「私は、貴女を倒して……大切な人に、会いに行きます!」
「うふふ……やってみなさいな。自分の主張を通したければ、強さを示しなさい。弱いままでは……何も手に入れられなくてよ……!」
「はあああああっ!」
最後の力を振り絞り——アリスはシンシアへと振りかぶった。
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