第106話 啓示 Ⅰ
時計の針が時を刻む音を聞きながら、ベッドに寝転び、天井を見つめる。
ベッドの他には、ソファーや机などの調度品と、鍛錬用具だけが配置された、殺風景な自室。
もう何日間、こうしているだろうか。アダムはベアトリーチェによる王城での悪霊騒ぎの後、軟禁状態にあった。
アダムは、今回の事件の渦中にある人物。下手に表に出て発言するよりも、しばらく大人しくしていた方がいいだろう——という、オルランドの指示だ。
(オルランドたちは、ちゃんと上手くやれているだろうか。ベアトリーチェが悪霊を使い、王都の人間を秘密裏に消していたことを、ちゃんと自白させられたのだろうか……)
ベアトリーチェが、思ったよりも素直に捕まったことが、気になっていた。このまま大人しく裁かれるような女じゃない。何か、企んでいることがあるのではないか。
(父上についても、気掛かりだ。事件の後、王城を探し回ったが何処にも姿がなかった……ベアトリーチェから、情報が聞き出せていればいいのだが)
ふう、と息を吐き、上体を起こす。
じっとしていると、どうにも落ち着かない。何より、暫くイヴの所に行けていないのが、不安で仕方がない。
身体を伸ばそうと立ち上がった瞬間——部屋の扉が、コンコン、と叩かれる。
扉に向かい、押し開けると、ダリア隊の赤い隊服を着た、オルランドの姿があった。
「オルランドか……どうだ? 何か進展はあったか?」
声を掛けるが、オルランドは下を向いたまま、黙っている。
「……オルランド?」
不思議に思って顔を覗くと、オルランドは静かに、口を開く。
「アダム……隊服を着て、一緒に来てくれ」
「……? ああ……」
言われるがままに、ダリア隊の隊服に着替えて、部屋を出る。
黙ったままのオルランドの後に付いて、長い廊下を進んでいく。
「なあ、オルランド。俺はいつまで、自分の部屋にいればいいんだ?」
「…………」
「俺とベアトリーチェ、双方の言葉を聞いた上で判断する必要があるのは解るが、そろそろ身体が訛りそうなんだが……」
「……そうか」
「今から何処へ行くんだ? イヴにずっと会えてないんだ。少しだけ、時間を貰えないか?」
「アダム」
オルランドが、立ち止まる。
「……どうした? 何か、忘れ物か?」
軽い気持ちで問うと、オルランドはアダムに向き直り、真剣な目をして口にする。
「君は、王都が好きか?」
「は……? まあ、好きだが」
「……王都の平和の為なら、何でもしてくれるか?」
「ああ、まあ。俺も一応、王都騎士だしな……何でそんなこと、聞くんだ?」
「いや。戦ってくれるなら……それでいいんだ」
そう言うと、オルランドはアダムと目を合わせずに踵を返し、再び歩き出す。
何だか様子のおかしいオルランドに疑問を抱きつつ——後を付いていく。
「……ここだ」
辿り着いたのは、大会議室の扉の前。オルランドは一呼吸おいて、扉の取っ手を引く。
広々とした空間は、壁一面に本棚や絵画が配置されており、中心にある大きなテーブルの周りに、革張りの椅子が並べられている。
部屋の中にいたのは、王都騎士団の隊長と副隊長、数人の王子や官僚に、王直属の親衛隊。
審問会の時にも顔を合わせた面々が——静かに、着席していた。
「これは……何の集まりだ?」
アダムが口にすると、オルランドが会議室の中央へと移動する。
「アダム……まず、聞いてくれ。先日のことだ。その……」
オルランドは少し言い淀んだ後、意を決したように告げる。
「ベアトリーチェ王妃殿下が……何者かによって、殺された」
「……何、だと?」
「牢の監視役が何者かに殺され、ベアトリーチェ王妃殿下が牢にいないことに気が付いたのが三日前。一昨日、第三王子のノア殿下が、隠し通路前で倒れているベアトリーチェ王妃殿下を発見した。身体には、何度も何度も、刺したような跡が見つかっている。恐らく、強い恨みを持っていた者の犯行だろう。念のため聞くが……君では、ないな?」
「…………」
頭の中が真っ白になって、言葉が出てこない。
ベアトリーチェが、殺された。
一体、誰が? 自分以外に、ベアトリーチェに恨みを持っていた者とは? 被疑者である彼女を、今の頃合いで殺す意味は?
考えてみても——心当たりがない。
「……意地悪なことを聞いたな。君が犯人でないことは、解っているんだ」
オルランドは静かに口にすると、懐から白い書状を取り出す。
「……それは?」
「天使の、お告げだ」
「……いや、おかしくないか? 天使のお告げは、ベアトリーチェが出していたのだろう? ベアトリーチェが捕えられて……殺された今、一体誰が……」
そこまで言って、アダムははっと息を呑む。
「まさか、イヴが起きたのか!?」
詰め寄ると、オルランドはゆっくりと頷く。
「そのようだ。今朝、猊下の様子を見に行った、医師が発見したものだ。発見したときには……再び、猊下は眠りについていたようだが」
「イヴに、イヴに会いに行かせてくれ……!」
「アダム。それよりも、だ。これを、読んでくれ」
「え……?」
オルランドが書状を、アダムに手渡す。
震える指先で乱暴に書状を開き、机の上に広げる。
『我、無垢なる原罪——イヴの名において、忠実なる汝ら都民に、以下のことを知らせる。
先日、王都の平和を乱した、王城の悪霊事件の元謀は、王妃ベアトリーチェである。
王妃ベアトリーチェは、度重なる失踪事件に関わっており、王城の地下に捕えた悪霊を使って、多くの民の命を奪った。
天使の名を詐称した数々の行いは、決して許されることではないが、それは同君が悲惨な最期を遂げる理由にはならないだろう。
よって、王妃ベアトリーチェを殺害し、王都の平和に亀裂を入れようとせしものの名を記す。
魔女 ライラ
元王都騎士団ダリア隊 故・アーサーが娘 アリス
彼女等を速やかに排除することを、ここに命じる。
また、魔女ライラが匿っている、王都に隠れ住む魔女たちの排除も、同時に行うこと。
今こそ、王都に巣くう闇を、取り払わん。
あらゆる手段を尽くして、過ちのないように心がけよ——』
「何なんだ……? これ」
アダムの声が、静寂に包まれた会議室に響く。
「ライラって、何で今、この名前が出てくるんだ? 何故こいつが、ベアトリーチェを殺害して、しかもアリス殿が協力者って……そんなことあるわけないのに。王都に隠れ住んでいる魔女についても、あれほど慎重に動いていたのに……全て排除しろって。疑わしきは殺せってことか? こんなこと、天使が指示するはずないだろう……?」
この、『天使のお告げ』は、何だかおかしい——
ここにいる誰もが、そう思っているはずだ。
「誰だ? 誰が黒幕なんだ……? イヴの名を使って、誰がこんなことをやらせようとしてるんだ!?」
「落ち着け、アダム」
オルランドの低い声が、取り乱しそうになるアダムを静止する。
「君や僕が、見間違えるはずがないだろう……それは確かに、猊下の、筆跡だ」
「…………!」
「皆、確かに見たな。これは、紛れもなく……猊下を通して天使から告げられた、命令だ」
「オルランド!」
「聞け、アダム。ベアトリーチェ王妃殿下が亡くなって、陛下も行方不明。次の王が決まるまでの間、王都騎士団への全指揮権を持っているのは……ロサ隊隊長である、僕だ」
何処か、感情が抜け落ちたような顔をして——オルランドが告げる。
「これから、王都に緊急事態宣言を出す。明日の夜から——王都内の、魔女の討伐を行う。ロサ隊、ダリア隊、リリウム隊は討伐の準備を。官僚各位は、自分の自治体への避難指示を。王子殿下は、暫く城外には出ないでください……以上、準備に当たれ!」
「はっ!」
シンシアやパーシヴァルが、黙って会議室を後にする。
まだ状況が飲み込めず——アダムは一人、立ち尽くす。
「アダム……」
オルランドが傍に寄り、アダムの肩に手を乗せる。アダムにだけ聞こえるようにと、耳元で囁く。
「当てがあるんだ……明日、ライラの根城には、僕が行く。どんな戦いになるか解らない。君にも来て欲しいが……無理強いはしない」
「…………」
「そんな顔で、戦場に立たれるのは迷惑だからな。猊下が、己が命を振り絞って、僕たちに伝えた内容だ。使命を全うする……その覚悟ができたなら、来てくれ」
バタン、と扉が鳴り、広い会議室の中、アダムだけが取り残される。
「……イヴ? 本当に、お前が……?」
静寂の中——己の声だけが、いつまでも耳に残った。
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