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ダクスの女神  作者: 森松一花
第6章
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第105話 愛の寓意 Ⅱ

 冷たい石の壁に囲まれ、薄暗い光が辺りを包んでいる。

 牢の中はよどんだ空気が流れ、遠く聞こえる足音だけが、耳を刺激する。


(……足音からすると、監視は一人。そして……今は、遠くにいる)


 硬いベットに腰かけていたベアトリーチェは、そろりと立ち上がる。

 己の下着の中に隠していた——鉄製の鍵を取り出す。


(アダムは、本当に詰めが甘いわね。この城の牢は、長年(わたくし)が管理していたのだから。親鍵ぐらい……持っていて当然なのにね)


 隠し持っていた鍵を使い、牢の扉を開ける。

 足音を立てないように細心の注意を払って、監視のいる方角へと足を進める。

 おあつらえ向きに通路に立て掛けてあった長剣を手に取り——背後から、背中を一突きにする。


「がはっ……!」


 血の塊を吐いて倒れる男を、動かなくなるまでじっと見つめる。やがて事切こときれたそれを足蹴にして、ベアトリーチェは溜息を吐く。


(ああ、なんて弱いのかしら。本当に、王都を守る覚悟がないものばかりで……嫌になるわ)


 かつてリリウム隊の隊長を務め、『黒髪の戦乙女』と呼ばれたベアトリーチェが相手だとしても——あまりにももろい。

 こんな状態で、他人に愛する王都を任せることなど、到底できやしない。

 大きく息を吸い、ベアトリーチェは己の使命を思い出す。



 ベアトリーチェは、エディリア士族の、一人娘として生まれた。

 父は立派なダリア隊の王都騎士であったため、幼い頃より、王都を守る『騎士』という存在に憧れていた。


 だが、憧れの父はベアトリーチェが十歳の頃に、帰らぬ人となった。魔女ウィッチとの戦いに敗れ、死体は悪霊デーモンに喰われ——何も残らなかった。


 王都を守りたい、が口癖だった父の思いを継いで、士官学校を出て、リリウム隊に入隊した。強く正しく、誰よりも美しく。己の務めを果たすベアトリーチェの評判は、瞬く間に王都中に広まった。


 そんな中——新王となったオーディンが、「是非とも王妃として迎え入れたい」と求婚してきた。

 赤みを帯びた金色の長髪に、深紅の瞳が印象的な——雄健ゆうけんだが心優しい、男だった。


 ベアトリーチェは承諾した。

 王妃となれば、今よりもっと、王都を良くするために動ける。憎き魔女ウィッチを取り締まり、悪霊デーモンどもを狩る——その権利を有することができたのだ。


 王妃となったベアトリーチェは、まず、王都騎士団や官僚かんりょうの堕落っぷりに落胆する。己の私利私欲のためだけに権力を振るい、本当にエディリアのことを思っている人物は皆無だった。


 その原因の一つに、ここ十数年以上、王家に『イヴ』の名を持つ子が生まれていないことがあった。

 イヴという存在を失い、大悪霊アークデーモンの姿も見なくなって久しい。王家の重役たちはすっかり怠けており、民からの信頼も地に落ちていた。


 このままではいけない——そう思ったベアトリーチェは、王との間に、子を成すことを決意する。しばらくして懐妊かいにんし、皆が期待を寄せるが、ベアトリーチェが『イヴ』の名を持つ子を産むことはなかった。


 イヴという力を得て、王都を支配することが叶わなかったベアトリーチェが次に考えたのは——王都の『浄化』だった。


 まず、ベアトリーチェは、ここ最近、王城に住まう人物が消えるという怪事件の調査をした。消えた人物の交友関係、趣味、動向をくまなく調べ——辿り着いた容疑者は、オーディンの弟、ロメオだった。


 ベアトリーチェは、深夜にこっそり、ロメオの後を付けた。付けた先に——かつての部下、リリウム隊の隊員を喰らう、ロメオの姿を捉えたのだ。


 ロメオの中には、悪霊デーモンが入っていた。ベアトリーチェは、そんなロメオを始末することなく、協力を持ち掛けた。

 自分と組めば、たくさん人が殺せて、たくさんの霊が喰べられる。かくまってやるし、立場も与えてやると約束した。


 ——所詮、神に見捨てられた身だ。王都を守るためならば、悪霊デーモンの力だって使って見せようじゃないか。


 しかし、ロメオは思ったよりも扱いづらい駒だった。

 好き嫌いが激しく、美しい女しか喰わないという。魔女ウィッチや犯罪者には男も醜女しこめもいるというのに、そんなことはお構いなしだった。


 そこでベアトリーチェは、ダリア隊が生け捕りにしたという、小さな鼠の姿をした悪霊デーモンに目を付ける。

 話しかけても、キイ、と鳴くだけの、言葉を持たない下等な悪霊デーモン。彼をこっそりと地下牢に連れ出し、ロメオが喰わなかった人間を与え続けた。


 ベアトリーチェが数々の魔女ウィッチや犯罪者を裁き、王都で『賢女けんじょ様』と呼ばれる頃には——悪霊デーモンはすっかり、巨大に成長していた。

 だが、死体ばかりを与えていた為だろうか。悪霊デーモンはいつまで経っても、意志や理性を持たなかった。


 そんなある日。現王・オーディンが、ベアトリーチェの『やり方』が間違っていると詰め寄ってきた。ベアトリーチェは反論した。自分の行動原理は、王都を守るためであり、全ては愛の結果である、と。だが、オーディンは引き下がらなかった。全てを民に公表し、もうこんなことは止めるんだ、と聞かなかった。


 オーディンとベアトリーチェは揉めに揉め——ついには、ベアトリーチェはオーディンを刺し殺してしまう。


 ベアトリーチェはオーディンを悪霊デーモンに喰わせた後、医師を買収ばいしゅうして、難病にかかったことにする。


 オーディンの代わりに表舞台に立つようになったベアトリーチェは、世俗的権威せぞくてきけんいそのものになった。


 王都はより平和になり、民は王家を称えるようになった。

 その裏で、ベアトリーチェはロメオを使い、悪霊デーモンに人間という餌を与え続けた。丁度いいことに、オーディンを喰わせた後、悪霊デーモンが少しずつだが、自分の命令を聞くようになった。


 悪霊デーモンは、生前の強い思念に影響されることがあると、書物で読んだことがあった。

 優しいばかりで他人を切り離せず、王としては半人前だった夫も——少しは自分の役に立つことがあったんだなと、感じた。


 最早、自分を邪魔する者は——何処にもいない。

 そう、思っていたのに。



 監視を始末したベアトリーチェは、王族しか知らない、隠し通路の扉へと向かう。


(まだ、ひっくり返せる。生きてさえいれば……アダムから王都を取り戻すことなんて、簡単なことだわ。今ならまだ、私の方が民の支持があるんだから……!)


 未だにベアトリーチェの処罰が決まっていないところからすると、誰も真相にはたどり着けてないのだろう。

 今頃アダムは、最早何処にもいない——父の姿でも、必死に探しているのかもしれない。


 ベアトリーチェは親鍵を握り、扉の鍵穴へと差し込む。

 瞬間——背中に熱い、衝撃を感じる。


「あら? 何かしら……これ」


 自分の胸に、ギラリと光る、刃が見える。

 後ろから刺されたことに、その時、やっと気が付いた。


 剣を引き抜かれると同時に、自分の口から血が零れる。

 後ろを振り返り——ベアトリーチェは、口にする。



「何であなたが……ここ……にいるの……かしら……」



 薄れゆく意識の中。最期に思い浮かんだのは——王都を守る、と言った、父の優しい笑顔だった。


お読みいただきありがとうございます。


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