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ダクスの女神  作者: 森松一花
第6章
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第104話 愛の寓意 Ⅰ

 テーブルに置かれた手付かずのエッグスラットを横目に、アリスの胸は罪悪感で一杯だった。


 ——俺とアーク。どっちかとしか一緒にいれないってなったら、どっちを選ぶ?


 彼の真っ直ぐな言葉に、どう答えるのが正解だったのだろうか。

 どうしたら、エクスを傷つけずに済んだのだろうか。

 どうしたら、エクスともアークたちとも、一緒にいられるのだろうか。

 考えても考えても——答えは出てこない。


「あれ? アリス。天使はまだ帰ってきてないでありますか?」


 キッチンに入ってきたネコが、辺りをきょろきょろと見回す。


「うん……そうみたい」

「何かあったでありますか? アリス、昨日からずっと暗い顔してるでありますよ」


 まん丸の瞳をこちらに向けて、ネコが問いかけてくる。

 調理器具を片付けているアークとクロも、黙って聞き耳を立てている様子だ。


「実は昨日……ちょっと、エクスと喧嘩っぽくなっちゃって」

「それだけでありますか?」

「え? うん……エクスのこと、傷付けちゃったかもしれなくて」

「えー? 『消えろ』とか『出ていけ』って言ったでありますか?」

「そ、そんなことは言ってないけど」

「言ってないでありますか? なのに出ていっただなんて。ネコちゃんなんて、料理に使う生クリームを勝手に食べて、ご主人に踏み潰されても出ていかないでありますよ?」


 何故か得意げな顔をして、ネコが胸を張る。


「己の非を自慢げに語るな」


 片付けを終えたアークはネコの額をぺしんと叩くと、アリスに目線を移す。


「……あまり心配しすぎるな、アリー。あんなだが、あいつは天使だからな。迷子になったり、野盗に襲われたりすることはないさ」


 いつもより少し、無感情な印象の声のアーク。


「そうだよ。お腹が減ったら、きっと帰ってくるよ~」


 クロも元気づけようとしてくれているのか、足元に擦り寄りながら言う。


「ううん……」


 そうは言われても、心配なものは心配だ。

 エクスは強い。そして、出会った時よりもずっと強くなった。それはアリスが、一番知っていることだ。

 だが、天使が聖女セイントの協力なしで一人で戦うのには、限界がある。

 意地になって、無茶をしていないだろうか。そう思うと、居ても立っても居られなくなる。


「私、ちょっと街を、探してみる」


 キッチンの椅子から勢いよく立ち上がり、アリスは部屋へと上着を取りに向かう。


「自宅待機じゃなかったのか?」


 背後から、アークの声が響く。


「少しぐらいなら、大丈夫だと思う……行ってくる!」


 玄関の扉を押し開け、王都の大通りへと向かう。街路樹は赤や黄に色付き、鮮やかな色彩が目に入る。外の空気はすっかり冷たくなっていて、エクスが何処かで震えていないか心配になる。


(大通りは……いつも通り、賑やかだわ)


 目に映るのは、いつだって、幸せそうな人々の姿。

 美味しそうなパンを抱えて、帰宅する男女。きらびやかな武具をまじまじと見つめる、若い騎士見習い。この寒い中、薄着で走り回る、小さな子どもたち。


 エクスの姿は——そこにはない。


 こんなことなら、もっとエクスの話を聞いておくんだったと、後悔する。前々から、王都にはアリスと行きたいところが沢山あると、エクスが目を輝かせながら言っていた。あの時は、はいはい、と言って適当に流してしまった。真面目に聞いておけば、手掛かりになったかもしれないのに。


(大通りには、いなそうだわ。他を、当たってみようかしら……)


 天使が身を隠せそうな場所があるとしたら、何処だろうかと思案する。

 普通の人には見えないとはいえ、エクスの姿が見える人は、自分やセトがそうだったように——僅かながら存在する。


 そうなると、人の多い場所にはいないだろう。もし、自分がエクスだったとしたら、どんな所に隠れるだろうか。

 静かで、落ち着いていて——綺麗な所。

 ふと、頭の中に、ある場所が思い浮かぶ。


(もしかしたら、あの教会にいるかもしれない……!)


 アリスは小走りで、教会を目指す。広場から小路へと進み——白亜はくあの塔が見えてくる。息を切らしたまま、開け放たれた教会の内部へと足を踏み入れる。


「エクス……? いる?」


 名前を呼んでみたが、返事がない。

 辺りを見回しながら奥へと進むが、何処にもエクスの姿はない。

 気落ちするアリスだったが、久しぶりに来たお気に入りの教会は——相変わらず、静謐せいひつで、時が止まっているかのように感じられた。


 いつも気分が沈んだ時は、ここを訪れていた。最近は来ることを忘れるぐらい、楽しい生活を送っていたんだと——改めて気付かされる。


(前に……ここで一人で震えていたら、エクスが来てくれたことが、あったっけ)


 ミダスに襲われたのを伯母に見られて、家を飛び出した時だった。あの頃のエクスは、今よりも感情表現が乏しくて——陶器とうきで出来た作り物のように美しい顔で、不思議そうにアリスを見ていた。

 けれども、来てくれたことで、たしかに救われた。

 エクスが今、あの時のアリスと同じように一人でいるなら、早く見つけてあげたい——そう思わずにはいられなかった。



「……どうしたんですか、学生さん」



 どこか懐かしい、耳に心地良い声色。

 はっとして振り返ると、教会の入口から一人の男が姿を現す。

 赤い髪に、優しい笑顔をたたえた——この教会の近くの孤児院で暮らす神父——という名目の、オーロラだ。


「……ちょっとだけ、久しぶりね、オーロラ。今日、学校は? 行かなかったの?」

「はい。今日は神父業があったので『オーロラ』はお休みを頂きました。学生さんこそ、最近学校に来ないじゃないですか。王族の行事があるって先生から聞いてますけど……美少女に会えない寂しさで、危うく死ぬところでした!」

「今日はその、ずっと神父キャラなわけ?」

「はい!」

「ああ、そう……」


 嬉しそうに答えるオーロラに、アリスは溜息を吐く。教会内の長椅子に腰かけると、神父姿のオーロラが隣へと座る。


「で? 実際。学生さんは最近、何をしてるんですか?」


 眼鏡の奥の、黄金色の瞳が怪しく光る。

 オーロラ相手には、隠す必要もないだろう——アリスは一呼吸おいて、静かに話し出す。


「ちょっとね。王家のごたごたに巻き込まれたのよ。王城で、悪霊デーモンと戦った。それが複数の人に目撃されちゃって、ほとぼりが冷めるまで家から出るなって、アダム殿下に言われてるの」

「家から出るなって言われてるのに、何で出て来ちゃったんですか? もしかして、私に会いに来たんですか!?」

「それは……エクスが、昨日から家に帰ってないの。だから、探しに」

「エッちゃんがですか?」

「うん。オーロラ、エクスを見てない?」

「見てませんねえ。あと、オーロラじゃなくて、この姿の時は『神父さま』でお願いします!」

「ええ……」


 面倒くさいな、とは思いつつ、別に抵抗するほどのことでもないだろう。仕方ないので、オーロラに合わせて会話をする。


「……神父さま。昨日、エクスと喧嘩みたいになっちゃって。今までだって言い合いになることはあったけど、エクスが家を飛び出して行っちゃうなんて初めてで。今も何処にいるのか解らないの。私、どうしたらいいのか……」


 暗い顔のアリスを見て、神父は目を丸くする。


「学生さんは、ご家族や友人と、喧嘩したことがないのですか?」

「えっ? 無いわけじゃないと思うけど……はっきり、覚えてないわ」

「はっきり覚えてないぐらい、自然と仲直りできたってことでしょう?」

「そ、そうだったかしら……?」


 過去のことを思い出そうとすると、いつも頭の中に霧がかかったようにぼんやりとしてしまう。自分が『どっち』だったのか——それが解らなくなってしまうのだ。


 昔、たしかにリリスと喧嘩をしたことがある。だが、リリスに自分が隠しごとをしていたのか、リリスが自分に隠しごとをしていたのか、はっきり思い出せない。とにかく、教えたくない、教えてくれないと、そんな感じで揉めた二人は、しばらく口をきかなくなった。無言で夕食を食べ、無言でベッドに入った。だが、次の日になったら、すっかり元通りになっていた——気がする。


「でも、家族とエクスは、やはりちょっと違うっていうか……そもそも、私とエクスって、何なのかしら」

「何って?」

「関係性というのかしら……家族ではないし、恋人でもないもの」

「何だっていいんじゃないですかね。そこに愛があれば」

「愛って……」


 恥ずかしげもなく『愛』という言葉を使う神父に、少し動揺する。

 エクスと自分は、天使と聖女セイント。契約で結ばれた、それだけの関係。

 そう思っていたのに。いつの間にか、なくてはならない存在になってしまったのだろうか。


 相手を必要とし、その存在が、幸せであることを気に掛ける——

 それを、愛している、と言ってもいいのだろうか。


「エッちゃんは、たった一度の喧嘩ぐらいで、学生さんのことを嫌いになったりしないと思いますよ」

「……何で、神父さまがそんなこと、解るの?」

「そりゃあ、同じ女性を愛する者同士ですから!」


 神父姿のオーロラはにこりと笑い、長椅子から立ち上がる。


「だから、学生さんは、エッちゃんが帰ってきたときに、笑顔で迎えてあげる。それだけで、いいんですよ」


 そう言って、聖堂の壁画を背景にたたずむ神父は、本物の——神の使いのように見えた。


「そうだよね……うん。そうする」


 アリスはぎゅっと拳を握り、エクスの顔を思い浮かべる。


 ——好きだと言ってくれて、嬉しかった。

 死ぬまで一緒と言ってくれて、心強かった。

 当たり前に君が傍にいることに、甘えていた。

 いつでも強く美しい君は、まだ生まれて三年の——小さな子どもに等しいのに。

 

 帰ってきたら、『ごめんね』と伝えよう。

 そして、思い切り、抱きしめよう。


 美しきイヴの絵画が、日の光を浴びてキラキラと輝いている。

 アリスは神父に別れを告げ、家へと帰った。

お読みいただきありがとうございます。


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