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ダクスの女神  作者: 森松一花
第6章
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第102話 天使の言い分 Ⅰ

「うーん! 今日のお昼ご飯も、美味しかったわ」


 アリスは空になった皿に手を合わせる。心もお腹も満たされて、とても気分が良い。

 居間からはエクスとクロとネコの騒ぎ声が聞こえる——いつも通りの昼時だ。


「お気に召したようで」


 キッチンで包丁をぐアークが、アリスに声を掛ける。


「魚介のパエリア? 気に入ったわ。九十八点ってとこね」

「その、足りない二点は何なんだ」

「アークの愛情が足りてない」

「よく解らないことを言うな」

「ふふん」


 得意げな顔をして、流し台へと皿を運ぶ。アークの隣に立って、ふと、感じたことを口にする。


「ねえ、アーク。そろそろ冬が来るわ」

「そうだな」

「冬の準備をしなくちゃ。王都でも、長期休みに入る店が出てくるわ」

「ぼちぼち、買いだめをしておかなければな」

「アーク、また夜市に連れて行ってよ」

「いいだろう」

「やったわ」


 うきうきして、その場でくるりと回る。こちらに目線を向けないで黙々と作業をするアークの、横顔を見る。

 精悍せいかんで、とても綺麗な顔。

 アリスの好みとは少し違うが、それでも、見飽きることはない。

 だが、何故だろう。普段とは違う、真剣な目つきのせいか——いわれのない不安が、頭をよぎる。


「アーク、あのさ」

「ん? 今日はよく喋るな?」

「春になったら、何をしよう」

「……まだ冬になってないだろう。気が早いな」


 真剣な顔から、少し笑顔になるアーク。


 ——先の話をするのは、確証が欲しいからだ。


 アークやクロやネコ、それにエクスも。

 彼らは、いつまで——傍にいてくれるのだろうか。


 天使と悪霊デーモンとの共同生活は普通じゃない。この幸せは、当たり前にあるものじゃない。そう思うと、押しつぶされそうな感覚に襲われる。


「アークは春になっても、この家にいるわよね?」


 ぽつりと呟いた、自分の声が不気味に響く。

 少しの間、沈黙が流れる。ざらりとした不安を覚え、アリスが何かを口にしようとした瞬間——


「それは、アリー次第だな。春までに俺を殺せたら、俺はいないだろうよ」

「…………」


 考えないようにしていたことを言われてしまい、視界がにじむ。今の生活が全て許されないことのように思えてきて、どうしようもなくなる。


「……アリー?」


 気が付いたら、アークの背に抱きついていた。

 普通の人間よりも低い、ひんやりとした悪霊デーモンの体温。彼がたしかにそこに『居る』という証のようで、少しだけ安心する。


「どうした? 今日は甘えん坊だな」

「……そんなんじゃない」

「どうせなら、正面からハグしてやろうか?」

「……いらない」


 アークの背から離れると、蒼玉そうぎょくのような瞳がこちらを向く。そのまま吸い込まれてしまいそうで、自然と鼓動が速くなる。


「仕方ないから、私が殺すまでは、ここで暮らしてもいいわよ? アークも、ネコちゃんも、クロも」


 口から出てきたのは、筋の通らない、希望。


「いいのか? 俺らはお前の敵で、悪霊デーモンだぞ?」


 アークは少し邪悪に笑って、こちらを見る。


「でも、人を殺したり、喰べたりしないじゃない」

「今日はしなくても、明日は解らないぞ?」

「嫌。約束して。私と暮らしている間は、誰も殺したり、喰べたりしないって」

「なかなか束縛の激しい奴だな」

「ねえ、だからこの先も……」


 一緒にいて——


 それが言えずに、詰まる。


 黙って下を向いていると、アークがぽん、と、頭に手を乗せてくる。


「……まあ、アリー。先のことなんて心配するだけ無駄だ。お前は、目先のことだけ考えていればいいさ」


 父が娘を励ますような口調で告げると、アークはキッチンから出ていく。

 一人残されたアリスは、大きな溜息を吐く。


 アークにとって自分は、どんな存在なのだろうか。ただの、弱く小さな子どもに見えるのだろうか。アークはこの生活を、何とも思っていないのだろうか。途方もなく長い彼の時間の、ほんの少しの戯れなのだろうか——


 そう思うと、寂しい。

 もっと、アークにとっても、特別な『何か』でありたい。そんな風に思うのは、間違っているのだろうか。


「……はあ」


 ドキドキと煩い心臓を落ち着けようと深呼吸をすると、キッチンの入口付近に——何者かの視線を感じる。

 何も言わず、静かに。深紅の瞳が、こちらをにらんでいる。


「……エクス?」


 呼んでも返事がない。エクスは不機嫌な顔のまま、黙ってこちらを見ている。


「何してるの? あ、お茶飲みに来たの? 何がいい?」


 アリスが棚へと目を向けると、のっそりとエクスがキッチンへと入ってくる。


「また、アリス。アークとイチャついてた」


 尖った口調で、エクスが言う。


「いちゃ……?」


 イチャつく、とは、何のことを言っているのだろうか。しばし考えこんで、アリスは顔を赤くする。

 先程、アークに抱きついていたのを、エクスは見ていたのだろうか。そう思うと、急に恥ずかしさがこみ上げてくる。


「い、イチャついてなんかいないわよ!」

「嘘だ。最近、アークとアリス、隙あらばイチャイチャしてる」

「そんなんじゃないってば!」

「なあ、アリス。アリスはアークと俺、どっちが好き?」

「は……? 何で?」


 エクスの意味不明な問いかけに、アリスは少し苛立つ。


「俺とアーク。どっちかとしか一緒にいれないってなったら、どっちを選ぶ?」

「何でそんなこと聞くの?」

「大事なことなんだよ、アリス」


 真剣な顔をしたエクスに、ぐい、と右手を掴まれる。


「何よ……改まって。どうしたの?」


 下手な笑顔を作り、エクスを諭すように話す。


「俺さ、ずっと言わなくちゃって思ってた。俺自身も、よくなかった。アークのご飯好きだし、クロとネコは一緒に遊んでくれるし。俺、この生活、嫌いじゃなかったから。でも……このままじゃ、駄目なんだ」

「駄目って、何がよ?」

「アリスも解っているんだろう? あいつら、『悪霊デーモン』なんだよ」

「…………」

「俺らはあいつらのこと、倒さなくちゃいけないんだ。仲良くなりすぎちゃ駄目なんだよ、アリス」

「そんなこと解ってるわよ。アークのこと倒すために、一緒に生活してるんじゃない」

「嘘だ」


 いつになく静かな声で、エクスが続ける。



「アリス、あいつの事、本気で好きだろ」



「……そういうのじゃ、ない」

「ちゃんと俺の目を見て言えよ」

「なあに? どうしたの? エクス。お腹空いて機嫌でも悪いの?」

「アリス、もう一度言うぞ。俺とアーク、お前はどっちを選ぶんだ?」

「……そんなの選べないよ」

「真面目に考えろよ! アークが今までに、何人の天使や聖女セイントを殺したか、教えたよな? クロとネコだって、今は弱くて大人しかもしれないけど、急に気が変わって、お前のことを喰おうとするかもしれないんだぞ?」

「エクス……」

「アリスは俺を選ぶよな? 何があっても、離れたりしないよな? だって、あいつらは——」

「エクス!」


 叫ぶように名を呼ぶと、エクスはびくりとし、こちらを見る。


「アークと、ネコちゃんとクロを……あまり悪く言わないでよ」


 精一杯の笑顔を作るが、声が震えている。

 気持ちが伝わったのか伝わってないのかは解らないが——酷く傷ついたような顔をして、エクスが口にする。


「……アリスは、そんなに、アークたちが好き?」

「そりゃあ、うん。好きだよ」

「……解った。じゃあ、もういい」

「待って、エクス。エクスのことも好きだよ。私」


 その場を去ろうとするエクスの左腕を掴むが——乱暴に振り払われる。



「俺だけのアリスじゃないなら、いらない」


 

 そう言い残し、エクスは玄関の扉を開けて、出ていく。


「エク……ス?」

 

 初めての——エクスの強い拒絶。

 その衝撃が受け止められず、しばらく動くことが出来なかった。

お読みいただきありがとうございます。


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