第99話 狂気の主
夜の王都。暗黒街の巡回中——パーシヴァルは一人、深い溜息を吐く。
(まさか、アダム様が、王都で指名手配になる日が来るなんて……)
パーシヴァルにとってアダムは、ダリア隊の上司であり、信頼しあう仲間。それだけでなく、個人的にもっと深い思い入れもある。
パーシヴァルは、セトの剣術の師をする前は、アダムの剣術の師であった。
アダムは、幼い頃より身体も大きく、丈夫で、筋が良かった。あっという間に自分よりも強くなって、手を離れて行ってしまったが——それでも、我が子のように可愛がったものだ。
(アダム様が、王妃殿下を憎んでいることも、その理由も知っている。だが、こんな思い切った行動に出るとは思わなかった)
よほど、追い詰められていたのだろうか。相談してくれれば、助言もできただろうに。アダムはいつも一人で抱え込み、そして一人で行動してしまうのだ。
正直な話、パーシヴァルにとっては、王妃よりもアダムの方が大切だ。彼の力になってやりたいと、今だってそう思っている。ロサ隊隊長のオルランドと協調し、何とかアダムが罪に問われないように動くつもりだったのだが——
(一体、何処へ行ってしまわれたのです……?)
やがて細道が終わると、目の前に広場が現れる。こんな見晴らしの良い場所に、身を潜めているとは考えづらい。
パーシヴァルは別の道を探ろうと、周囲を見渡す。
すると、広場の花壇近くのベンチの上。人が、寝転んでいるのが視界の端に映る。
(……? 酔っぱらいか? 声を掛けて、自宅に帰るように促しておくか)
パーシヴァルは、ベンチへと近づく。
しかし、近づいてみると——その人物の容姿に見覚えがあり、背筋が凍る。
「……っセト様!?」
ベンチの上でぐったりと横たわっているのは、己の小さな主人、セト。
慌てて駆け寄り、顔を確認すると——
「んん……兄様ぁ……」
気持ちよさそうに呟くと、すやすやと寝息を立てる。
安心したのも束の間——パーシヴァルは混乱した。
「何故……セト様はこんな所で、お休みになられているのでしょうか……?」
◇ ◆ ◇
アークの無茶苦茶な提案により、何とか地下へと辿り着くことが出来たアリス。
まだ心臓がバクバクと鳴り、口から飛び出しそうな勢いではあったが——無理して平然とした顔を作り、アダムを見据える。
「……アリス殿!? 何でこんな所に!?」
驚きを隠せない様子で、アダムが問いかけてくる。
「じっ、自分でもよく解らないのですが! アダム殿下を追ってきたら……こんなことになっちゃったんです!」
正直、状況が全く掴めない。
だが、落ち着く暇もなく——アリスの耳に、グルルル、という、何かの唸り声のようなものが入ってくる。
崩れた瓦礫の中から姿を現したのは、今まで見たことも無いような、巨大な悪霊。
「な……何ですか? これ……」
あまりの大きさと禍々しさに、現実感が持てない。叫び出したいくらいに恐ろしいはずなのに、逆に冷静になってしまう。目の前の異形は、果たして狂悪霊なのか、悪霊なのか——
グガアアアアアアアアアアア!!
アリスを見るなり、悪霊は巨大な口を開けて迫ってくる。
「きゃああああああ!?」
あまりに急な事態に、アリスは大声を上げ、身を伏せる。
「止まりなさい」
辺りに、凛とした女の声が響く。
上体を起こし、声のする方を確認すると——
「ベ、ベアトリーチェ王妃殿下……?」
アダムしかいないと思っていたその地下に、王妃の姿がある。
「……これは一体、何なんですか? アダム殿下とベアトリーチェ王妃殿下は……何をしていたのですか?」
アリスの問いに、ベアトリーチェが静かに笑う。
「これはこれは。恥ずかしい所を見られてしまったわね。ただの親子喧嘩よ。王家の責務をほったらかして遊び歩いている息子に、少しお仕置きをしていたの」
困ったような顔をして、ベアトリーチェは両手を天井に向けてみせる。
「お仕置きって……この、巨大な悪霊は何ですか? 何でこんなものが、城にいるのですか……?」
自分の声が、震えているのが解る。
何故、城の地下に、こんなにも巨大な悪霊がいるのか。明かりを嫌う悪霊は、建物の中には入って来れないはずなのに。何故、こんなものを前にして、ベアトリーチェは平然とそこに立っているのか。何故、悪霊はベアトリーチェの指示に従い、停止しているのか——
次々と疑問は浮かんできたが、実際に疑問を口にしたのはベアトリーチェの方だった。
「そんなことよりも、アリスさん。貴女の持っている、その剣は何かしら? 何故、王都騎士じゃないのに、天使武器を持っているの……?」
「…………」
アリスが何も言えずに固まっていると、ベアトリーチェが言葉を続ける。
「まあ、いいわ。答えたくないならば。ああ……残念なことが起こってしまったわ。私、貴女のことは気に入っていたのに……でも、仕方ないわ。貴女の代わりは、探せばいるもの」
微笑みをたたえていたベアトリーチェの顔が、人形のように凍りつく。
「こんなものを見られちゃったら、生きては返せないわ」
暗く、不穏な声色で——ベアトリーチェが告げる。
「良いわよ……あなた。どちらも喰べてしまいなさい!」
瞬間——飼い犬のように大人しく伏せていた悪霊が、咆哮する。
「アリス、来るぞ!」
エクスの声が、剣を伝って脳に響く。
「来るって言われても……こんなに大きな悪霊、どうやって戦えばいいの!?」
言うが早いか——アリス目掛けて、巨大な腕が振り下ろされる。
「きゃあ!」
「気をつけろ、アリス殿! 一発でも当たったら死ぬぞ!」
「そ、そんな……!」
「あと、あまり近づくな! 奴は熱線を吐く!」
「ええ!? ど、どうしろって言うんですか!?」
再び振り下ろされる悪霊の腕。アリスは身体を回転させ、悪霊の腕を斬りつける。
だが、全く手ごたえがない。表面をわずかに斬っただけで、致命傷とは程遠い。
「もう……! 敵が大きすぎるわ!」
「なあ、アリス。悪霊の一番前についている腕……何か刺さってないか?」
冷静さを失っているアリスとは対照的に、エクスの淡々とした声が響く。
「え……? どれ?」
注視すると、悪霊の左腕。白い剣身の天使武器が、確かに突き刺さっている。
「もしかして、アダム殿下の武器!?」
アリスが振り返ると、アダムが困ったような顔で笑う。
「……情けない話だ。先程ヘマをして、俺の武器は奴の腕に突き刺さったままなんだ」
「え!? じゃあ、今の今まで、ただの鉄の剣でこんなにも巨大な悪霊と戦ってたのですか!?」
それも恐ろしい話だなとは思ったが——とにかくこの状況を脱するには、アダムの天使武器を取り返す必要があるだろう。
(そうなると……私にできそうなことは、一つだけ——)
アリスは意を決し、叫ぶ。
「アダム殿下! 私が、囮になります! アダム殿下は悪霊が私に気を取られているうちに、天使武器を取り返してください!」
「そんな……危険だ。アリス殿に囮をやらせるだなんて……」
不安な顔をするアダムに、アリスはにこりと笑ってみせる。
「アダム殿下には見えないと思いますが、私には天使がついてますから。そう簡単に、やられたりなんかしません」
己の精一杯の、強い顔をする。アダムは少しだけ申し訳なさそうな表情をした後、前を見据える。
「すまないな……頼むぞ!」
アダムが悪霊の左側に走ったのを確認し、アリスは深呼吸をする。演目前の踊り子のように、剣を二、三回、頭上で振り回す。
「さあ! かかってきなさい!」
悪霊に向かって、声高に叫ぶ。悪霊は額までびっしりと付けた目玉をこちらに向け、攻撃を仕掛けてくる。
頭上から鉄槌のように振り下ろされる腕を、ひらひらと躱す。悪霊は負けじと、速さを上げて攻撃を続ける。
(速くなっても、身体が大きいせいかしら。そんなに速くはないわ。これなら……)
ほんのわずかな、気の緩み。それを狙ったかのように——悪霊の赤い目玉が、ぎょろり、とこちらを向く。
「しまっ……!」
瞬間、悪霊の口から、アリス目掛けて熱線が放たれる。
「きゃああああああ!」
「アリス!」
「あ……危なかった……!」
間一髪。エクスが身体を動かしてくれたお陰で、アリスは悪霊の足元へと退避する。
(でも、これで懐に入れたわ! アダム殿下の天使武器が刺さっている腕の動きを、少しでも止めることができたら……!)
アリスは思案する。悪霊の腕の動きを一時的にでも止めるには、どうしたらいいだろうか。
——天使は、聖女の思いによって、何処までも硬く、強くなることができる。想像次第でどんな形にもなるし、聖女の願いを具現化することができるんだ。
先程の、アークの声を思い起こす。
確かに、前にもあった。エクスが、アリスの思いによって、形を変えたことが。それを自分の意志で、やることができたならば——
(……やってみよう、かしら)
アリスは顔を上げ、剣となったエクスを強く握り締める。
想像するのは、大蛇。悪霊の腕に絡み付き、動きを止めるもの。
「……エクス! 変身!」
「言い方がダサい!」
「そ、それは気にしないの! 行くわよ!」
アリスは剣を、悪霊目掛けて振り抜く。瞬間、シミターのような形状だった剣が、みるみるうちに形を変える。剣身は伸び、しなやかにうねり——悪霊の左腕に巻き付く。
「今です! アダム殿下!」
アリスは鞭のように変形した剣を思い切り引っ張る。悪霊は振り払おうと左腕に力を込める。あまり長くは、持ちそうにない。
「……これだけ時間があれば、十分だ!」
アダムは悪霊の左腕へと駆け上り、天使武器の柄を握る。
「はああああっ!」
掛け声と共に、悪霊の腕に突き刺さっていた天使武器を押し込む。辺りに黒い血が飛び散り、悪霊の太い腕が、ゴトン、と落ちる。
ギャアアアアアアアアア!!
左腕を失い、初めて苦しむような声を上げる悪霊。
「きっ、効いてるわ!」
剣を元の形状に戻し、アリスは後退する。
「アリス殿……ありがとう。天使武器を、取り返すことが出来た」
アダムが、ひゅん、と剣を振ってみせる。これならば、協力して戦うことが出来そうだ。
ウオオオオ、ウオオオオオ、と、悪霊の苦しむような声が響く。
すると、壁際で黙って見ていたベアトリーチェが悪霊に寄り、静かに囁く。
「いつまで遊んでいるの? そろそろ本気を出しなさいな、あなた」
ベアトリーチェの言葉に、先程まで叫んでいた悪霊が、急に静かになる。
「……何?」
「気を付けろ、アリス殿。何か仕掛けてくるかもしれない」
しばらくの間、睨み合いが続く。だが、次の瞬間——悪霊がぶるぶると身体を震わせ始める。
裂けた口を目一杯に開けたかと思うと、己の右手を喉元まで突っ込む。
「何してるわけ!? 怖っ!?」
目の前の光景に慄き、声を上げるアリス。
メリメリと音を立てて、悪霊が口の中から取り出したものは——
「……剣?」
アリスの目に映ったのは、煌びやかな金の装飾がされている、見るも美しい、高級そうな宝剣。それが、おどろおどろしい悪霊の腕に握られているという、何とも妙な感じである。
「何で……? 何でこいつが、こんなものを持っているんだ?」
アダムの声が震えている。悪霊の取り出した剣を見つめ、唖然とした様子だ。
「アダム殿下は、あの剣に見覚えが?」
「見覚えも何も……あれは、父上。エディリアの王が持つ、剣だ」
「ええ!? それってどういう——」
言い終わる前に、悪霊が手にした剣を振り下ろす。
アリスとアダムは身を翻して避けたが、先程よりも的確に、アリス達を狙ってきたような攻撃だ。
更に剣を振りかぶり、攻撃を仕掛けてくる悪霊。
猛攻を躱しながら、アダムがアリスに語りかける。
「……さっきと動きが変わった。ただ、暴れ回るだけじゃなくて……まるで、剣術の心得があるようだ」
「そんなことあります!?」
「剣の相手ならば、俺がした方が良いだろう。アリス殿は隙を見て、心臓部を壊すことを考えてくれ」
「わ、解りました!」
アダムの目くばせを受け、アリスは左端へと移動する。
(アダム殿下が、隙を作ってくれる……それまで、しっかりと動きを見て、いつでも懐に飛んでいけるようにしておかなくちゃ!)
幸い、悪霊はアリスの方には見向きもしない。悪霊はアダムに向かって小さく吠えると、剣を構える。
アダムも、同じように構える。緊迫した空気が流れ、アリスは息を止めて見入る。
悪霊が剣を振り下ろす。アダムは素早く剣を弾き、斬りこむ。だが、悪霊もアダムの剣を弾き——互いに譲らない攻防が続く。
そのやりとりが何となく、アリスには稽古をしているように見えた。
——一方、アダムは悪霊の剣を受け流しながら、父との訓練を思い出していた。
今も鮮やかに蘇る、父との思い出。
イヴとして生まれてこれず、肩身の狭い思いをしていた幼少期。
父が言ってくれたのだ。アダムは後に生まれてくるイヴを守るために、強く逞しく生まれたのだと。その黒い髪も、赤い瞳も、夜の闇からイヴを守るためだと。
毎日忙しいはずなのに、時間を作って、稽古をつけてくれた。
それに、どんなに救われただろうか。
自分に、生きる意味を、生きる術を、教えてくれた。
だから——こんな所で、負けるわけにはいかない。
「俺は、父上と約束したんだ! 俺はイヴを守る! 何にも負けたりしない!」
アダムが声を上げると、悪霊は体勢を変え、剣を振り下ろす。
「アダム殿下!! 危ない!!」
アリスが叫ぶと同時に、キイン——という金属音が鳴り響く。
巨大な悪霊の剣を、アダムが受け止めている。
「あいつ、あんなでかいやつの剣を受け止められんのかよ。凄いと言うか、怖いな!」
エクスの感心する声が聞こえる。
「アリス殿! 今だ!」
アダムが声を張り上げる。アリスは頷き、悪霊の懐まで駆ける。
「エクス! 私に力を貸して!」
「もちろんだ!」
地面を蹴り上げると、身体がふわりと舞い上がる。
「絶対に、負けなあああああい!」
アリスの剣が、悪霊の心臓部を突き刺した。
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