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ダクスの女神  作者: 森松一花
第6章
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第96話 都の裏で

 アダムは姿を消し、アリスとセトは暗黒街の広場に残された。


 夜になるにつれて賑やかになっていくその場で、何も口に出すことができない。

 その沈黙を破ったのは——今まで鳴りを潜めていた、エクスの声。


「やったな! アリス!」

「きゃあ!」


 急に後ろから抱きつかれ、思わず声を上げる。


「これでイヴに会いに行けるぞ! 今すぐに行こう!」


 瞳を輝かせて城に向かおうとするエクスを、慌てて静止する。


「ちょ、ちょっと待ちなさい。今から猊下げいかに会いに行くつもり? アダム殿下のことを放っておけないわ!」

「何でだ? 俺たちの目的は達成されただろ?」

「そういう訳にはいかないわ。このままじゃ、アダム殿下は親衛隊しんえいたいに捕まって、もっと酷い目にうかもしれないじゃない!」

「アリスには関係ないだろ?」

「そ、そうかもしれないけど……」


 言いながら、セトの方へと視線を向ける。セトは呆然ぼうぜんとしていたが、アリスと目が合うとはっとしたように動き出す。


「にっ、兄様を……兄様を追わなくちゃ!」

「セトも待って! とにかく冷静になりましょう!」


 今にも走り出さんとするセトの手を掴み、アリスは言葉を続ける。


「今からアダム殿下を追っても、私たちの足じゃ追いつかないわ。このまま親衛隊から逃げ続けるのも難しいし、そうなると……今は王妃殿下の話を聞きに行った方がいいと思うの」

「アリス……」


 セトは少し考えるような仕草をして——心が決まったのか、アリスの目を見て頷く。


「解った。兄様には説得は無理だって言われたけれど……俺は、諦めない。王妃殿下に兄様は悪くないって解ってもらえるように、俺が話をする」

「……ええ、そうしましょう」


 正直、アリスにはアダムとベアトリーチェの確執かくしつは解らない。だが、アリスの脳裏に浮かぶベアトリーチェは、そんなに悪い人に思えないのだ。

 王都を思う、強く、素敵な女性。その印象は、今でも変わっていない。

 きっと、ちゃんと話をすれば解ってくれる——その可能性に、賭けたいと思う。


「エクス、いい? 私はセトと一緒に王妃殿下に会いに行くから、エクスは大人しく城の前で待っていて?」

「……アリスがそうしたいなら、そうすればいい」


 少し不貞腐ふてくされた様子で、エクスが答える。


「解ってくれてありがとう……何かあったときは、頼むわね」


 エクスに微笑みを向けた後、暗黒街の広場の先を指し示す。


「セト、あそこの路地を行けば、城の前に出れるはずよ。行きましょう」

「ああ、解った……!」


 アリスはエクスの手を引いて、セトよりも先に路地へと踏み入る。

 辺りはすっかり暗くなり、狭い路には明かりもついていない。不安で鼓動が速くなり、繋ぐ手を強く握る。

 前へと進み、曲がり角に差し掛かった時——

 エクスと繋いでいる反対側の手を、ぐい、と強く引かれる。


「……セト? どうしたの?」


 振り返ると、そこには真っ青な顔をしたセトが立ち尽くしている。


「ア、アリス……駄目だ」

「駄目? 何が?」

「なんか、来る」

「へ?」


 セトはがくがくと震えながら、アリスの行く先を指差す。


「その路の先……やばいのが、来る」



◇ ◆ ◇



 セトたちに別れを告げ——アダムは一人、王城へと向かう。


(ああ見えて、セトはしっかりした子だ。きっと、俺なんかがいなくても大丈夫だろう。それよりも、イヴを救わなければならない。イヴには、俺しかいないのだから——)


 息をひそめ、城壁じょうへきに身を隠す。

 正門を守備するのは、二人の衛兵だ。

 アダムはしばしの間、待つ。フードを深く被り直し、次に左側に立つ衛兵が、よそ見をした瞬間——


 風のような速さで近づき、一人目の衛兵の首元を強く打つ。


「がっ……!」

「なっ!? 何者だ!?」


 二人目の衛兵が異変に気付き、構える。

 すかさずアダムは、衛兵の腹部に容赦なく蹴りを入れる。


「ぐうう……っ!」


 うめき声を上げ、倒れる衛兵。正門は、あっという間に無防備状態となる。


「……この程度だとはな。ずいぶんと平和ボケしているものだ」


 アダムは堂々と門を開け、城の内部へと入っていく。

 煌々(こうこう)と輝くシャンデリアの割には、薄暗く感じる城内。

 

 昔は、この城が好きだった。

 尊敬できる父がいて、頼りになる部下がいて、愛する弟がいるこの城が。


 それが今となっては、ベアトリーチェの虚栄きょえいの象徴のように感じられて、吐き気しかしない。


 アダムは足音を立てないようにして、廊下を進んでいく。だが、衛兵の一人とも出くわさない。この平和なエディリアで、城に攻め入ってくる敵なんていない。警戒態勢なんてものは、取られていないのだろう。


(俺が戻ってくることも、想定されていないのだろうか……)


 思案しあんしながら、更に奥へと進んでいく。やがて見えてきたのは、この城で二番目に豪勢な装飾がされた、立派な扉。


(ここが、父上の部屋か……)


 アダムは意を決して、扉を叩く。


「父上、アダムです。母上に内緒で、ここまで来てしまいました。どうか、お話できないでしょうか」


 声を掛けたが——返事は帰ってこない。

 扉に手を掛けるが、内側から鍵がかかっているようで開かない。


「父上……ご無礼をお許しください」


 息を吸い、己の足に力を込める。


「……はああっ!」


 力一杯、王の間の扉を蹴る。

 思ったよりも簡単にひしゃげた扉の隙間に手を入れ、無理やりにこじあけると、内部へと入る。


 ぜいを尽くした王の間。壁には金の彫刻や武器が飾られていて、最高級品の絨毯じゅうたんが敷かれている。中央に位置する巨大なベッドにいるはずの父・オーディンの姿は——そこにはなかった。


「父上……?」


 辺りを見回しても、人の気配はない。

 アダムは何か父の手掛かりはないかと、辺りを捜索する。


 こうやって、父の部屋に勝手に入るのは、初めての経験だ。申し訳ない気持ちと、少しの好奇心。アダムは手当たり次第、部屋の物に触れていく。

 すると、ベッドの横の本棚の横から——わずかに、冷たい風を感じる。


(……隠し扉、か)


 この平和な世でも、避難用の通路ぐらいはあるものだ。いざという時に使えるかもしれないし、何処に繋がっているのか確認しておいた方がいいだろう。

 アダムは本棚に手を掛け、力を込めて引き寄せる。

 本棚は音を立てて動き、目の前に通路が現れる。


(中は……暗いな)


 人ひとりが、やっと通れるぐらいの幅だ。父の部屋にあったオイルランプを拝借はいしゃくし、火をつける。壁を伝いながら、慎重に進んでいく。

 しばらくすると、地下へと続く階段が見えてくる。


(外ではなく、地下に繋がっているのか? 俺の知らない宝物庫か何かでも、あるのだろうか……)


 できるだけ足音を立てないように注意しつつ、アダムは階段を下っていく。

 ひんやりとした空気が、肌に触れる。どこからか音が反響しているのか、それは低いうなり声のように聞こえる。


 随分と長い時間、下っていた気がする。

 気が滅入りそうになった刹那——ようやく階段が途切れる。


 手にしたオイルランプを掲げ、辺りを探る。

 でこぼことした岩壁で、調度品などは見当たらない。先が見えず、外に出たのかと思うほどに天井の高い、広い空間だった。


 すると、何処からか妙な音が聞こえてくる。

 先程、階段を降りている時にも聞こえた、唸るような声。


 息を殺して耳を澄ますと、何かが呼吸をしていて、そこにいるような気配を感じる。


「……何か、いるのか?」


 アダムは気配を頼りに慎重に進む。すると、見えてきたのは大きな牢。

 その牢の中にいたものを見て——アダムは言葉を失う。


 最初は、数メートルにも及ぶ、黒い鉄の塊でもあるのかと思った。


 だが、それはよく見ると、両膝を折り曲げて座っている、人のような形をしていた。

 普通の人の比率よりも大きな頭部には、鋭い牙の生えた口と、額まで広がる複数の赤い目玉。細長い胴体どうたいからは野良の悪霊デーモン特有の黒い血がドロドロと流れ出ていて、折れ曲がった足は黒い触手で覆われている。肩甲骨にあたる部分からは、枝分かれするように巨大な腕が何本も生えていて、人と蜘蛛が合体したような、不気味さがある。


 見るも恐ろしい異形が、狭い牢の中、閉じ込められている——



「あら……見つかっちゃったわね?」



 突然、後方から女の声が響く。

 姿を現したのは、アダムが今この世で最も憎い存在——ベアトリーチェ。


「これは……何だ?」


 もっと、言いたいことがあったはずなのに。口から出たのは、それだけだ。


「見て解らないの? 悪霊デーモンよ」

悪霊デーモンって……何故、こんな巨大な悪霊デーモンが……城の地下にいるんだ?」

「何故って、私が飼っていたからに決まっているじゃない」


 ベアトリーチェは、平然と口にする。


「ロメオは優秀だったけどね。ちょっと好き嫌いが多すぎたのよ。美しい女じゃないと喰いたくないだなんて……ね」

「お前の言葉の意味が解らない……何を言っているんだ? 一体……」


 額から、汗がつたう。怒りか恐怖か解らないが、声が震える。

 そんなアダムを気にする様子もなく、ベアトリーチェはいつもと同じ——自身に満ち溢れた顔で告げる。


「だから、ロメオが食べ残した人間は、それが全部、食べたの。これが、貴方が必死に探してた、私が失踪しっそう事件の首謀者しゅぼうしゃである証拠よ……どう? 満足した?」


 ベアトリーチェの黒い瞳が、アダムを見据える。

 同じ人とは思えないほどに、冷たく、非情な瞳。

 恐怖する心を制し——絞り出すように、声を出す。


「……何でなんだ……?」

「何がかしら?」

「何でお前は……こんな、人ならざる力を使ってまで……今の王都を、どうしたいっていうんだ?」

「どうしたいも何も。私は、王都を守りたいだけよ。当然、これに喰わせた者も、魔女ウィッチと犯罪者だけ。誰かが浄化しないといけないの、この地を。主や天使に代わって……それを私がやっているだけよ」


 あくまでも自分が正しいというような口調で、ベアトリーチェは語る。


「そこまでして、あんたが今の王都を守りたい理由は何だ?」

「質問の意味が解らないわ、アダム。子が親を愛するのに、理由が必要?」


 ベアトリーチェは深く溜息を吐く。天を仰ぐようにして、言葉を続ける。


「今もこの地には、悪霊デーモンが増え続けている。主が、天使が、この地を見捨てたと言うものは多いわ。でも……それが何だって言うんです? そんな気まぐれで、愛する王都を奪われてなるものですか。だから私は、誰に何と言われようと……この地を守る、その『覚悟』があるわ」

「そうやって自分を正当化して、俺たちや民を……騙し続けるのか」

「騙す? 嫌だわ。天使のお告げは必要悪。現に、皆幸せに生きているじゃない」

「違う!」


 アダムは声を荒げる。


「お前にも解るだろう! こんなことを続けなくても……人は自分たちで幸せになれる! イヴだって天使だっていなくても、平和な世は実現できる!」

「青いわねえ、アダム。人はそんな崇高すうこうな存在ではないわ。この地にイヴや天使という存在は必要よ。今、それを失ってみなさい……嬢王蜂を失った蜂の巣のように、たちまち崩壊するでしょう」

「民を人として見てもいないお前に何が解る!」

「人には、人ならざる力……霊的権威れいてきけんいが、不可欠だわ。何故、解らないのかしら。悲しいわ、アダム。貴方が解ってくれたら……こんなこと、しなくても済むのにね」


 ベアトリーチェの右手が、何かを掴む。

 石壁に取り付けられたレバーのようなものを、おもむろに下げる。


 ギリギリという鉄音を響かせて、牢の格子が上がっていく。


 グルルルル……!


 地響きのような唸り声を上げ、巨大な悪霊デーモンが解き放たれる。曲がった足を引きずりながら、複数の手を地面につけて、ずるずると前へ進んでくる。


「王都の平和に不要なものは消す……貴方も、例外じゃないわ」


 微笑みながら、ベアトリーチェが宣告する。


「……俺の始末が終わったら、イヴのことも消すつもりか!?」

「嫌だわ。さすがに『イヴ』を喰わせたりしないわよ。あの子には正しく死んでもらわなきゃいけないもの」


 アダムは背中の天使武器を抜き、身構える。

 悪霊デーモンではなく、今すぐベアトリーチェを斬り殺してやりたい所だったが、そう言ってもいられない。今にも目の前の巨体が、自分に飛び掛からんとしている。

 そんな中、ベアトリーチェのからりとした声が耳に響く。


「それより、アダム。セトとアリスさんは順調? 貴方、仲いいでしょう。教えて頂戴」

「は……?」


 何故、今この状況で、セトとアリスの名前が出てくるのか——

 考える間もなく、ベアトリーチェが言葉を続ける。


「あの子たちを、私の保護下に置こうと思って。だって、きっと……色素の薄い、美しい子どもができるでしょう? 楽しみよね、アダム」


 ——その言葉を聞いて、確信した。


 ああ、俺は間違えていたんだ。

 もっと早くに、こいつを殺さなくてはいけなかった。


 こいつに、少しでも、人の情があると思っていた、俺が馬鹿だった。


 グウウ……ガアアアアアアアアアア!!


 目の前の悪霊デーモンが咆哮する。


「くそっ! 後悔するのは後だ!」


 今まで数十、数百の悪霊デーモンを斬ってきた。それでも、こんなに巨大な悪霊デーモンと対峙したことはない。

 アダムの脳裏に、己の死が浮かぶ。以外に冷静な自分自身に対して、少しだけ笑いがこみ上げる。

 だが、最後まで諦めるわけにはいかない。己の帰りを待つ人がいる限り。



 ——お帰りなさい、兄上。



 その言葉を聞くためならば、何だってしよう。

お読みいただきありがとうございます。


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