第95話 暗雲の道 Ⅱ
放課後。オーロラとクロエと共に校門へと向かう。
「今日は、課題がたくさん出て大変だったね~」
大きく伸びをしながら、軽快にオーロラが歩く。
「そうだ。アリス、オーロラちゃん。この後、用事ある? よかったら、新しくできたパン屋さんに寄っていかない?」
クロエの提案に、オーロラは目を輝かせる。
「いいねえ! アリスも行く?」
「あ。ごめん、私はちょっと……」
視界の先、校門の前でセトが立っているのが目に入る。アリスの目線に気が付いたクロエが、にやついた口元に手を当てる。
「あ、もしかして、そういう……? よかった、仲直りしたの? 私たちのことは気にしないで! アリスはまた今度一緒に行こうね! ばいばい!」
「え、何? ちょっと~? クロっち~?」
勝手に解釈したクロエが、オーロラを引っ張って去っていく。
「……? ばいばい……?」
一人になったアリスは、セトの元へと向かう。
「……友達は、もういいのか?」
不思議そうな顔をして、セトがクロエとオーロラの背中を見る。
「ええ……行きましょう」
何だかクロエに勘違いをされた気がするが、否定するのも微妙な気がする。とにかく、今はアダムを助ける事を考えなくては。
アリスはセトより半歩下がって、マラキア城への道のりを行く。
「なんか……昨日よりも、親衛隊やらが、多くないか?」
セトの言う通り、道のいたる所で王家直属の親衛隊やダリア隊の隊員の姿が確認できる。皆、緊迫した様子で、何かを探すように辺りを見ているようだ。
「とりあえず、兄様と関係の深い……ダリア隊副隊長から、話を聞いてみようか」
「ええ、そうね……」
大通りを抜け、舗装された城への道へと差し掛かる。
道の横に植えられた、大きな木の下を通り抜けようとした瞬間——
「アリス!」
木の上から、突然『何か』が目の前に現れる。
「きゃああああああ!」
思わず大声を上げると、目の前のそれはくるりと回転し、地面に着地する。
「アリス! 見つけた!」
白い髪に輝く美貌。毎日顔を合わせている、天使の相棒。
「エクス! こら! 何で急に出てきたの!」
案の定、急に現れたエクスに、セトも目をぱちぱちさせている。
「あ……えと、エクス君、だっけ? こんばんは……」
「おう! セトちん! 元気してたか?」
「セトちん……?」
妙な呼ばれ方をして、複雑な表情を浮かべるセト。アリスはごまかすように笑いながらエクスの腕を引っ張り、耳元でこっそりと話す。
「何で来ちゃったの!? セトにはエクスが見えるのに! 勝手に出てきちゃダメでしょ!?」
「違うんだ。だって、緊急事態なんだ。アリス」
詰め寄るアリスに向き直り、真剣な眼差しを向けるエクス。
「家に騎士が来たんだ。んで、アリスを探してた。追われてるんだ、アリス」
「え……? 何で、私が……?」
言うが早いか——アリスたちの背後から、二人の男が現れる。
「セト殿下と、アリス殿ですね」
一人が人相書を手に、アリスたちの顔を確認する。
どちらも、四十代半ばぐらいの男だ。ダリア隊でもロサ隊でもない、王直属の親衛隊である、黒と金の装飾がされた隊服を着ている。
「王妃殿下がお会いになりたがっている。ご同行願えますか」
「え……」
まさか、王妃からアリスたちに会いたいと言われるとは思っていなかった。王家で何が起きようと、第十三王子であるセトとアリスには、今まで一度も声が掛かることなんてなかったのに。
(どうしよう。まだ、何の証言も集まってないけど……)
あれこれ考えを巡らせていると、エクスに手を掴まれる。
「アリス、逃げるぞ!」
「はっ? えっ!? ちょっと、待って!」
エクスに引っ張られ、駆け出す。これは、エクスが見えない人からすると、どう見えるのだろう——などと、今は考えている場合ではない。
「待てよ、アリス! ったく……何だってんだよ!」
セトもアリスを追うように、走り出す。
「逃げたぞ! 追え!」
後ろから、親衛隊の声が聞こえる。
「な、何で逃げるのよ! ちょっと! エクス!」
アリスたちは王都中を駆け回る。人波を掻き分け、入り組んだ路地を行き——やっとの思いで、親衛隊を振り切る。
「ぜえっ……はあっ……逃げるなら逃げるって……言えよ……げほっ」
セトが苦しそうに肩で息をする。
「セトちん、体力ないな? 王都騎士になるのにな!」
「…………」
悔しそうな顔をしたセトを気にすることなく、エクスは辺りをきょろきょろと見回す。
「さっきのシンエイタイ? いなくなったみたいだな!」
アリスは呼吸を整え、エクスに向かって言う。
「っていうか、勢いで逃げてきちゃったけど、王妃殿下の話を聞いた方が良かったんじゃないの?」
「それは駄目だ。アリスが自由に動けなくなったら、それこそイヴに会えない」
「それはそうかもだけど……」
アリスとエクスが話していると、セトが怪訝な顔する。
「イヴに会うって……エクス君とアリスは、何の話をしてるんだ?」
「えっ? いや、違うの。この間エクス君に読んであげた、絵本の話! ね!」
「……? まあ、いいけど。ここは、何処なんだ? 全然知らない道に来てしまったんだが……」
「ああ……ここは……」
セトに言われるまで、気が付かなかった。ごちゃごちゃとした狭い店に、変な装飾の店——
「セト、こっちの道を行きましょう。そうすれば広場があるから、人に紛れられるし、逃げやすいと思うの」
「な、何でアリスが、こんな場所に詳しいんだ?」
「……今は気にしないの!」
何か言いたそうなセトを無視し、手を引いて広場へと出る。
古びた宿舎、こじんまりとした酒場、乱雑に置かれた木の箱——エルと一緒に、子どもたちに踊りを教えてたときと、同じ風景。
(ああ、ここは、何も変わってないんだな……)
感傷に浸りそうになったが、そんな場合ではない。
「とりあえず、親衛隊の姿はないみたいだな……で、これから、どうするんだ?」
セトが辺りを注意深く観察しながら、アリスに問う。
「そうね……セトだけでも、戻った方がいいんじゃない?」
「ううん……そうだな……王妃殿下がどんな話をするつもりなのか、気になるしな……」
すると、セトが立つ建物の隙間から——人影が現れる。
「セト! 後ろ!」
「へっ?」
セトが振り返ると、その人影は、ぽん、とセトの肩に手を置く。
黒い外套に、フードを深く被った男。背丈はとても高く、びりびりとした威圧感を感じる。
アリスはエクスの手を握る。もしもセトに何か危害を加えるようならば——戦わなければならない。
「……誰なの?」
アリスが呟くと、男はフードを取る。
黒い髪に赤い瞳の、見知った顔がそこにあった。
「に、兄様ああああああ!」
セトが感嘆の声を上げると、アダムはセトの唇に人差し指を添える。
「しっ、静かに」
「あう、す、すみません」
慌てて口を塞ぐセト。
「アダム殿下……」
ついこの間会ったばかりだと言うのに、ものすごく久しぶりに会った気がする——そのぐらい、アダムの見た目は変貌していた。絵本の王子さながらだった姿は、数日寝ていないのか、目の下には深い隈があり、頬には殴られたような跡が残っている。外套から覗く腕には壊れた手錠が付いたままで、彼が天使降臨祭の後、どのような扱いを受けたのかが想像できる。
アダムは少しだけ焦ったような様子で、話し出す。
「……何故、セトとアリス殿が、こんな所に?」
「それは……その、色々ありまして。兄様こそ、よくぞご無事で。兄様。俺たち、何が起こったのかよく解っていません。何故、こんなことに?」
心配そうに瞳を潤ませて、セトがアダムを見上げる。
「……ベアトリーチェの仕業だ」
静かな声で、アダムが告げる。
「その、ベアトリーチェ王妃殿下が、兄様に罪を着せようとする意味が解らないのですが。何故なのですか?」
「さあな。ただ、『用済みだ』と言われたよ」
アダムが笑みを浮かべながら言う。口調は優しいが——瞳には怒りが滲んでいるように見える。
「用済み……?」
「王妃の言うことを聞かない出来損ないの息子は、もういらないってことさ」
「そ、そんな……兄様がいらないだなんて、ありえません」
ますます泣きそうな顔になるセト。アダムはセトとアリスを交互に見た後、口を開く。
「セト、アリス殿。俺はベアトリーチェの罪を裁く、絶好の機会を逃してしまった。もう、今までのような立場ではいられないだろう……」
「そんなことありません! 兄様、俺たちも協力します。王都騎士や民の力も借りて、兄様が現王家に反逆してないってことを、証明しましょうよ!」
「……それは、無理だろう」
「何故ですか?」
アダムは苦笑し、セトの頭を撫でる。
「若い連中は知らないだろうけどな、俺は、民……特に、年配者に好かれていないんだ」
「え……?」
「俺が生まれた時の話だ。先代のイヴが崩御されて十数年。第一王妃の第一子が生まれるとなって、誰もがイヴの名を持つ子どもを期待した。しかし、生まれた俺はただの子どもだった。民の落胆は大きかった。次生まれる弟もそのまた弟も、いずれもイヴではなかった。ここまで生まれないとなると、最初に生まれた俺に不満が集まるんだ。俺の黒い髪を見て、不吉だの、伝承の『大悪霊』に似ているなど、色々言われたもんだ」
「え、全然似てませんけど……」
思わず口にすると、アダムが不思議そうな顔をしてこちらを見ている。
「あ、すみません。何でもないです……続けてください……」
「俺はイヴを優先して、式典などにも出席していなかったしな。そんな感じで、今回のことが公になったときの民の反応は、やはりな、というものだっただろう。やはり第一王子は、不吉の象徴だった。やはり第一王子は、王家にとって害になる……ベアトリーチェを敵に回して、俺の味方をする者なんて、何処にもいないんだ」
「…………」
セトが凍り付いたような表情を浮かべる。アリスは何も言えず、目線を下げる。
「……俺はこれから、父上に会いに行こうと思う」
「父上に?」
セトが驚いたような声を出す。少し考えるような仕草をして、続ける。
「でも、今はご病気で、王妃殿下と医師しか面会できないと聞いていますが……?」
「俺は、そこが怪しいと思っている。父上へと面会を謝絶しているのも、医師ではなくベアトリーチェなのではないかと。父上ならば、実権を握る前のベアトリーチェのことを知っているはずだ。何か秘密があるのかもしれない。俺はそれを暴き……もしも父上が不自由の身であるならば、お救いしたいとも思う」
「お一人で、城に向かわれるのですか? 危険ではないですか?」
セトが問いかけると、アダムが悲しそうに笑う。
「行くしかない。真実を明らかにするために。それに……」
アダムが城の方角へと目をやる。笑っていた横顔に——殺意が満ちる。
「これ以上、王妃がイヴに何かするなら、俺がこの手で、殺す」
ものすごい怒気に、セトが顔を青くする。
「アダム殿下……私に、何かできることはありますか?」
自分では、何も思いつかないのが情けない。だが、何故だろう。何でもいいから、この人の役に立ちたい——そう思った。
「すまないな、アリス殿。こんなことになって……約束、こんな形で申し訳ないけれど」
アダムは懐から何かを取り出すと、アリスの手の平へと握らせる。
鉄製の鍵と、何かが書かれた紙切れだ。
「これは、城のイヴの部屋までの行き方と、部屋の鍵だ。もし、このまま二度と俺が君たちの前に姿を現さなかったら、ベアトリーチェには『何も知らない』と言ってくれ。王都に害になると判断されさえしなければ……悪いようにはされないさ」
アダムは外套を翻し、最後に振り返る。
「……イヴとセトのことを、頼む」
そう告げると、アダムは建物の隙間へと消えていく。
「まっ、待ってください! 兄様! 兄様あ!」
セトが覗いた先——そこにアダムの姿は、もうなかった。