第9話 剣の舞 Ⅱ
時間はあっと言う間に過ぎ、黄昏時へ。
空が美しく、金色に輝いている。
「今日はありがとうございました。こんなに楽しそうにしている子ども達を見るのは久しぶりでした」
「いえ、私も……いい息抜きになりました。近頃、張り詰めていたので……」
神父とアリスは微笑み合う。風がそよいでいて、静かな雰囲気に包まれている。
「では、私はこれで——」
アリスが言いかけた時、一人の子どもが現れる。
「神父さま~! グレーテルがいないの」
「グレーテルが? 困りましたね、もう院内へ戻る時間なのに……」
あと三十分もしたら辺りは暗くなるだろう。それまでに見つけてあげなければ危険である。
「一緒に探しましょうか?」
アリスは神父に提案する。
「いいんですか? 五歳ぐらいの、三つ編みの、女の子です」
「はい!」
アリスは小走りで、教会の周りを探す。
建物や木々の隙間からは薄暗い光が漏れ出し、影がゆっくりと伸びていく。人通りはほとんどなく、草木のざわめきだけが聞こえる。
教会の鐘が鳴り始める。
鐘の音は妙に長く、どこか悲しげで、独特の重みを感じさせる。恐ろしい夜が迫っているかのような、そんな感覚を覚える。
「学生さん!」
神父の呼びかけに気づいて振り返る。
「神父様! 見つかりましたか?」
「いいえ……ですが、もう日が落ちます。後は私だけで探しますので、学生さんはお帰りください」
「すみません、役に立てなくて……」
「そんなことないです、本当にありがとうございます。心配はいりません、僕たち大人は不味いので、悪霊に食べられたりしませんよ」
神父は手を振り、アリスを見送ってくれる。
アリスはいつもの無力感を覚えつつ、教会を後にする。街道を抜け、広場に差し掛かると——
「あ、アリスだ!」
「ひぇっ⁈」
突然頭上から声がしたので、驚いて変な声を上げる。後ろに立っていたのは昨日の夜から姿が見えなかったエクス。左腕も元に戻っているようで、アリスは少し安心する。
「エクス……」
「何やってんだ?」
「いや……帰ろうかなって……エクスは?」
エクスはアリスが来た道を指差す。
「こっちの方から、狂悪霊の『臭い』がする」
「……え」
アリスは不安に駆られる。
「こ、子どもが一人行方不明になってて、まだこの辺りにいるかもしれないの!」
「それが?」
「それがって……悪霊に見つかったら食べられちゃうかもしれないじゃない!」
「俺達の使命は子どもを守ることじゃなくて悪霊を狩ることだぞ? 興味ないな」
「そんな言い方……」
「まあいいや、俺は行く」
エクスはアリスを押しのけ、教会へ続く街道へと向かっていく。
「ま、待って!」
「ついてこなくていいぞ? お前いても、何にも出来ないしなあ」
「うっ……」
天使にそれを言われると傷つく。セトや伯母に言われても、もう何とも思わないのに。
少し剥れながら、エクスの後を行く。
「だってエクス、子どもに興味ないんだもん。悪霊の近くにいたら、私が保護してあげないと……」
「ふうん……?」
悪霊と遭遇するのが怖くないわけじゃないが、一緒に遊んだからだろうか、謎の責任感が出てきてしまった。アリスはエクスの後から、辺りを見回しながら来た道を戻っていく。
再び教会裏まで戻ってくると、そこに、一人の少女が立っている。
五、六歳ぐらいの、三つ編みの女の子だ。
「あっ! もしかして、グレーテルちゃん? 神父様が探してたよ!」
アリスは女の子に駆け寄る。女の子は下を向いていて、表情は解らない。
「アリス、離れろ」
「へっ?」
エクスの真剣な声に驚くアリス。
「……そいつが狂悪霊だ」
突然、女の子の周りに黒い霧のようなものが立ち込める。アリスは震撼し、エクスの隣まで後退る。
黒い霧は女の子の身体を覆い、絡まり、肉を喰らい、実体化していく。
女の子は、黒い触手に覆われた骸骨のような姿になる。
アリスは小さく悲鳴をあげてエクスに隠れる。
「どっどうして!?」
「どうしてとか言ってる場合か。アリスは建物の中に入っとけ」
「あ、あの……私」
自分でも何を言いだそうとしているのか解らない。恐怖はある。どうにもできないことも解っている。それでも、一度持ってしまった——妹を生き返らせるという希望が、頭から離れてくれない。
この現状を変えたい。勇気が、力が、奇跡が、欲しい。
「私! 踊ることが得意だから、囮ぐらいならやれるかも……しれない……」
渾身の力を込めて放った言葉だったが、途中で自信を無くす。アリスは恐る恐るエクスの反応を見る。
エクスはぽかん、としている。
だが、しばらくすると何かを考え始める。
「踊りか……たしかに踊りでも祈りを表現することはできるな……だが音じゃないから、どうやって振動を受け取るか……」
エクスは何やらぶつぶつと言う。
悪霊はこちらの様子を窺っているのか、まだ動こうとはしない。
「エクス? どうしたの? はやくしないと悪霊が……」
「よし!」
エクスは何か閃いたのか、ぱん、と手を叩く。
「え? 何?」
「アリス、いいか? こいつとは……」
言いながら、エクスはアリスの手をぎゅっと握り締める。
「お前が戦え」
「は!?」
そう言うと、エクスの身体が溶け始める。みるみるうちに溶けていき、地面にバシャン、と音を立てて落ちる。
「ぎゃああああ!」
アリスは思わず叫んだが、手に何かを握っている感触がある。
手に握られた先程までエクスだった液体に、地面に落ちた液体が集まる。そして、それはアリスの目の前で剣の形となる。流麗な曲線に、鋭い切っ先。刃の煌めきは月光を反射し、周囲に輝きを放っている。
剣を握りしめた状態のアリスは困惑する。
「えっえっ……エクスが剣になっちゃった!?」
「天使が姿を変えるぐらいなんてことないさ。前に羽出してみせただろ?」
どこからかエクスの声がする。頭の中に直接響いてくる感覚だ。
「いや、羽出すのはとだいぶ違うよね?」
「まあいい、無駄話は後だ。アリス、よく聞け」
アリスは困惑したが、状況が状況だ。悪霊が今にも襲いかかってくるかもしれない。エクスの言葉を集中して聞く。
「お前は攻撃しようとか避けようとか思わなくていい。それは俺がやる。ただ、主に祈りを捧げるように踊れ。そして何が何でも俺を離すな。以上だ」
「そっそれだけ?」
悪霊がわめき出し、こちらに向かってくる。
「ほら、来るぞ」
「もおう! わけわからない!」
アリスはやけくそになって、地面を蹴る。
瞬間、ふわり、と身体が浮かぶ。
数メートルは飛んでいるだろうか。それは突進してきた悪霊を軽々と飛び越える。
「ひゃああ! 何これ怖っ!」
「ほら、次! 着地したらまた踊れ!」
アリスは着地するとすぐに、剣を柔らかく振り回し、翼を広げた鳥のように踊る。
剣は変形し、空気を断ち切り、そのまま悪霊の右腕を切り落とす。
悪霊は叫び声をあげよろめいたが、激昂して再び迫ってくる。
「次どうすればいいの!?」
アリスは叫ぶ。が、悪霊が目の前まで迫ってきて、思わず目を瞑る。
再び、身体が宙に浮かんだ感覚がする。今度は、元の姿に戻ったエクスに抱きかかえられて飛んでいる。
「だから、踊ることだけ考えればいいってば」
「難しいこといわないでよ! 悪霊の前で踊るために踊りを覚えたんじゃないのよ!」
「俺を信じて踊れ」
「ええ……」
アリスを地面に素早く下ろすと、再びエクスは剣へと姿を変える。
「止めを刺せアリス、狂悪霊にお前の魅力をぶつけてやれ」
突進してくる悪霊を目の前にアリスは一瞬停止し、華麗に回転して躱す。アリスのスカートはひらりと舞い上がり、鮮やかな色と輝きを放つ。踊りに呼応し、剣は鞭のようにしなり、悪霊の身体を深く切り裂く。
悲鳴をあげる悪霊。体から黒い蒸気が立ち上り、じわじわと消滅していく。
骨だけとなった悪霊を見て、アリスは息をつく。
「アリス!」
人の姿に戻ったエクスに思い切り抱きしめられる。
「ひっ! ちょっ、その姿で抱きつくのはやめてほしいっていうか……」
言い終わる前に、エクスはアリスを高々と持ち上げ、くるくると回転する。
「きゃあっ!」
「やったなアリス! 俺たちこれなら悪霊と戦えるぞ!」
輝くばかりの笑顔をこちらに向けてくるエクス。その姿が赤子のように純粋で、美しくて、アリスは思わず顏がほころんだ。
この先、どうなるか解らない。もっと強い悪霊が出てきたら、あっさりと負けてしまうのかもしれない。
それでもアリスは、初めて自分自身の不運な人生から、一歩踏み出せたと感じた。
悪霊を狩る聖女となったアリスが手にするのは、妹の命か、己の居場所か。
少女がこの地を変える運命の鍵を握っているということは、まだ誰も知らない。
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