第48話:逃走②
「——【狂える龍の蜷局】!!」
邪神ウルの手が届こうとしたその刹那——よりも一瞬だけ早く、暴風が現れた。
自らへと直撃したそれを涼しい顔で受けた邪神ウルは、当然、無傷ではあったが……一瞬だけ気を取られた隙を見て、シーは魔獣ベオウルフへと変身し、その場から距離を取ろうとする。
すぐに意識をシーへと戻し手を伸ばして来る邪神ウル——。
「やらせはせんぞ!!」
その手目掛けて、巨大な大戦斧が振り下ろされる。ジャンだ。意識が戻ったのだろう。ギャリィン、と。まるで金属を叩いたような音が鳴り響き、斧の刃は邪神ウルの皮膚すら割くことなく、腕の位置で止まる。
チラリと視線を遣ると、ジャンと同じく意識を取り戻したカルナが、魔書の紙片を手に詠唱していた。
「——ラッセルから西に十三里……! 古代の神を祀った遺跡跡に、今は使われていない郷愁の門があります!!」
声が響いた。声の方角には、衛兵に肩を貸して貰いながら何とか立つボロボロのディルムッドの姿。彼は、都市の西方を真っ直ぐと指差しながら、言葉を続ける。
「一度使えば閉じてしまう位には不安定な郷愁の門です! どこに繋がっているかさえも分かりません! ですが——そこの邪神を撒くのには、丁度いいのでは!?」
「……っ!」
その指先の方角にある遺跡には、幸か不幸か心当たりがある。
「シー! テメェが目覚めた遺跡だ!! 嬢ちゃん連れて逃げろ!!」
「おうっ、分かってる!!」
「っ——!!?」
シーは弾かれたように駆け出し、気絶したウィータを咥えると、遺跡目掛けて駆け出した。
想定外の展開に驚きを露わにした邪神ウルが、大きく舌打ちをしながら「行かせると思うのか!!」と、ジャンの大戦斧を軽く払いのける。たったそれだけで、ジャンは大きく吹き飛ばされてしまう。
「ケケッ、こっちのセリフだっての! 追わせると思ってんのかァ!?」
「っ……、テメラリアぁ……っ!?」
吹き飛ばされたジャンと入れ替わるように、精霊達の総攻撃が始まった。
膨大な数の魔法攻撃を捌き切れない邪神ウルではないが、力の大半を失っている今のウル相手なら、十分な足止めである。煩わしそうにそれを強引に払いのけながら歩く邪神ウル目掛けて、精霊達は一気呵成に畳みかけた。
「全衛兵に通達!! 残りの魔書の紙片と魔法で精霊達の援護をしろ!! エドモンドの悪逆を暴き、キメラを打ち倒した都市の英雄たちを何としてでも逃がせ!!」
そこへディルムッドの命令が飛び、騒ぎを聞きつけ応援に来た衛兵たちが、魔書の紙片と魔法の援護を行う。さしもの邪神ウルも、この総攻撃には舌を巻いたのか、苦しげな表情で魔法攻撃に耐える。
「——図に乗られるのは気分が良いものでは無いな……!」
しかし、腕を払った衝撃波だけでその全てを打ち消し、邪神ウルは空を翔けた。
その後も負けじと精霊達や衛兵たちによる魔法攻撃の嵐が邪神ウルを追いつめるが、それをひらりひらりと躱しながら、邪神ウルは凄まじいスピードで迫って来る。精霊達や衛兵たちは何とか追おうと、駆け出すが……邪神ウルの方が早い。苦虫を噛み潰したような表情で、後方から魔法を放ち始める。
精霊達や衛兵どころか、魔法さえも置き去りにするその速度に、シーは内心で舌打ちした。……これではすぐに追いつかれてしまう。
(……っ!?)
その内心の焦りを見透かしたように、後方から飛来物。大きな瓦礫である。
チラリと後ろへと眼を遣ると、シーを追いながら右手を掲げた邪神ウルが、念動によって動かした大岩や瓦礫を自分の周りに浮かしている。アレでオレの足を止めようとしているのだろう。
すぐに大岩や瓦礫の雨が飛んで来るが、シーは僅かしかない攻撃の隙間を縫うように、時には障害物や地形を利用しながら、建物の屋根伝いに都市中を駆け回るが……あぁ、くそっ、これは無理だ……! と。
都市の検問所を越え、郊外に広がる荒野が視界に入ったシーは、内心で叫んだ。
(絶対に逃げ切ってやる……!!)
——遮蔽物が全くといって無い。森の中にまで逃げ込めば何とかなりそうだが、そこまでの距離が、どうしても厳しい。それを理解しているからなのか、より一層険しくなった瓦礫の雨がシーへと襲い掛かった。
「ぐぅぁ……っ!?」
背中に当たった大きな瓦礫。しかし、シーは歯を食い縛り大地を蹴る。
やはり遮蔽物がない分、回避が出来ない。細かい瓦礫から大きなものまで、飛来する瓦礫に被弾したシーは、転びそうになる身体に鞭を打って進み続ける。
「……っ!!? ——っぐ、くっそぉ……!!」
後ろに気を取られ過ぎていた。
念動によって足場の岩を動かされ、シーは派手に躓いてしまう。咥えていたウィータまで放り出してしまった。芝生へ落ちた相棒を再び咥えて逃げようと、オレは立ち上がった——が、しかし。
「——捕まえた」
「っ……!!」
地に着いていた全身が浮遊感に支配されてしまう。
邪神ウルの念動だ。それによって宙に浮かされてしまったシーは、身動きが取れず、間抜けなポーズでユラリと飛んで来た邪神ウルの元へと運ばれてしまう。
(くそっ、くそっ……何か……何かっ、無いか!? ……、……っ!)
あれこれと思案を巡らせるシーの揺れる瞳の奥に、大きな光が映った。
「終わりだ、シー。お前を殺せば、この時代で私を脅かす存在はいなくなる」
「……、……ハハハ。本当にそうですか?」
シーの言葉に邪神ウルが笑みを消す。
その瞬間だった——「ケケケケケェー! 俺様見参!!」と。何もない虚空から霊体化を解き、突如として現れたテメラリアが。
「食らいやがれっ、必殺クチバシ体当たり——」
「——食らわん」
「グピィェェェェェェェェェェェ~~~!!?」
軽く手で払われ、何処かへと吹き飛んでしまう。
緊張感の無い展開にシーは呆れ顔をする。……何しに来たんだよ、オマエ、と。
「今のが頼みの綱か?」
「そんなわけ、ないでしょう……」
邪神ウルも半ば呆れ笑いで聞いて来るが、シーは当然否定する。
『——【呼び声に応える狂気の王、名はフルグル。惨憺と喚き散らす群衆の王、名はメーヴン】』
「……っ!」
どこからか、しわがれた老人の声のようなものが響いた。
「……」
「ようやく喋りやがったか……この無口野郎……!」
空に巨大な光。声の方を見上げた邪神ウルの視線の先にあったのは——太陽。
『【厳粛に酩酊した泥濘の王、名はヺロエド。三冠を以てここに拝す——我が天命を炎に、我が天運を光に、我が天冠を影に顕れよ天輪の球殻】——」
そう。何を隠そう……あの太陽もまた、精霊である。世界の始まりからこの世界を見守って来た数少ない始原精霊の一角、シーよりもずっと格上の精霊——その名は、『天輪の大精霊』……。
「——天の冠……!!」
ここへ来て、初めて邪神ウルの表情に焦りが現れた。腹立たし気にシーを放り投げると、天輪の大精霊の真名を呼び空へと両手を掲げる。何重もの透明な障壁が現れ、邪神ウルを覆った。
太陽の輪郭に沿って現れた規格外に巨大な魔法陣。その魔法陣を横切るように線が一本が現れ、そして、開く。開かれた先にあったのは、目玉。巨大な目玉だ。
——その目玉が、真っ直ぐと邪神ウルを睨んだ。
『【——悉くを一触せよ】』
その中央に、ポコリと、小さな光の玉が現れる。一拍の間を置き、瞬く間に巨大な球殻に成長したその光の玉——莫大な熱の塊が、一瞬だけ眩い光の放つ。
次の瞬間、凄まじい熱閃の柱が邪神ウル目掛けて放たれた。
「ぉぉぉおぉおおぉおぉぉぉぉおおぉぉぉぉぉぉ————っっ!!?」
キメラが放ったそれとは比べ物にならないそれが、邪神ウルへ襲い掛かる。
視界全てを焼き尽くさんばかりの莫大な熱閃の柱。さしもの邪神ウルといえど、力を失った状態でこれを受ければ、タダでは済むまい。半ば絶叫にに似た声を上げ、邪神ウルはただ天の冠の大魔法を防ぐ事しかできなかった。
地面に着地したシーは、熱閃が続く十秒ほどの隙を使い再びウィータを咥えると、遺跡目掛けて駆け出す。
熱線が終わった後、そこにあったのは溶けてマグマ溜りとなった大穴と、その中央でプスプスと焼け焦げ姿のまま宙に浮かぶ邪神ウル……ダメージは大きかったのか、怒りに染まったその表情には、隠し切れない苦悶が浮かんでいた。
「おのれぇぇ……っ、天輪の大精霊ぇぇぇぇ……! ……っ!?」
『天の冠ないっすー!』
『『ないっす! ないっすー!』』
『おかげでうるにおいついたー!』
太陽を強く睨みつける邪神ウル。だが、長くこの場に留まり過ぎだ。
後方から追い付いて来た足の速い他の精霊から、魔法による攻撃を受ける。息吐く間もなく襲い掛かって来る追撃に、邪神ウルは苛立ちに表情を歪めた。
「ありがとよっ!! 天の冠!! 少しはその無口直せよ!」
『……(ニコっ)』
シーが太陽に向かって叫ぶと、天の冠はニッコリを目を弓なりに曲げて、再び眠りにつくように物言わぬ太陽へと戻った。おそらく霊子を使い過ぎたのだろう。
(良しっ! 森に入ったっ……これなら——!!)
森の中に入ったシーは、内心で安堵の息を吐いた。
このペースなら逃げ切れる、と。
「……シィィィィィィィィィーーーーー————っっ!!!!」
「……っ!!?」
凄まじい轟音が鳴り響いた。同時に森の隙間を縫って風が駆け抜ける。
シーが後方を振り返ると、邪神ウルが森ごとを吹き飛ばさん勢いで、莫大な霊子を放出し、巨大な衝撃波を引き起こしていた。他の精霊達はただそれだけで吹き飛ばされ、森の大木もまた、同じように根元から吹き飛ばされいている。
(逃げきれぇぇぇぇぇぇぇーーー!!!)
シーは木々の隙間を縫うように全力で駆け、後方十数メートルにまで迫って来た衝撃波から逃げる。切羽詰まっているのか、邪神ウルの攻撃も更に苛烈になった。吹き飛ばした千を超える大木を、念動で宙に浮かし、そのまま飛ばして来る。
槍の雨ならぬ、大木の雨が降り注ぐ。大木の落下で巻き上げられた土砂で視界が定まらない中を、シーはたあだひたすら、走って、走って、走り抜ける。
(……っ、アレか……っ!!)
——そうして走り抜けた先。
百メートルは無いであろう距離、前方にシーが目覚めた遺跡と、その裏側にある郷愁の門を見つけた。彼は最後の力を振り絞り、地面を蹴り上げた。
(あと——少し……っ!!)
残り、三十メートル。
(あと、ちょっと……っ!!)
残り、十メートル。
(よしっ、届い——)
「——逃がさんぞ! シィィィィー!!」
残り、三メートル……。目と鼻の先、この手が届こうとした正にその刹那。
何時の間に追い付いたのか、邪神ウルもまた伸ばしたその手でシーを掴もうとしていた。
(くっ、そぉ……!!)
あと少しっ、本当にあと少しなのに——その少しを埋める時間が足りない。
ほんの一瞬だけ、シーの手が郷愁の門に届くよりも、邪神ウルの手が彼を掴む方が早い。焦がれるように伸ばしたこの手が、その先にある郷愁の門が遠かった。スローモーションに見えるその光景の中で、シーは必死に手を伸ばす。
「……っ!!?」
そして、三本目の手が伸びた。
自らの手から舞った霊子の血飛沫に驚いた邪神ウルは、その手に突き刺さった一本の短闘剣を見て、それを投擲した人物に目を遣った。
「……わたし、ウィータ……天狼族のウィータ——」
その視線の先。意識を取り戻したウィータが、短闘剣を投擲する為に伸ばした手で、邪神ウルを指差す——まるで、宣戦布告でもするように。
「——ぜったいに、わすれないで」
そう言った彼女の視線が真っ直ぐと邪神ウルの瞳と交差する。
邪神ウルはその瞳に何を感じたのか、一瞬だけ自らの瞳を大きく見開く。
次の瞬間——。
シーの手が郷愁の門に届き、この場から彼らは姿を消した。
今話で『第六章・逆境の勇者編』は終了となります。
次の更新は、4月26日20時30分です。




