第35話:静寂の後に続く嵐
今話から『第五章・厄災の獣編』のスタートです。
その日は生憎の曇天模様だった。が、しかし——。日は射し込まず、雲の向こう側に座す天の冠に嫌われた今日を、ラッセルに住まう多くの者が待ち望んでいたのは、最早、言うまでもない事である。
「——お前も今日で終わりだな、エドモンド?」
「……」
場所は教区に差し掛かる区と区の境目の路。
石畳の道を歩き辛そうにする馬に引かれ、一台の更迭馬車が進んでいる。
「何か言ったらどうだ。今日の主役がそんな調子では、お前に虐げられた市民たちも詰まらないだろう?」
「……」
「……、……はぁ~。——急がせろ」
「はっ」
この世の終わりのような表情で項垂れるエドモンドに、侮蔑の感情をこれでもかと込めたディルムッドは、普段の温厚な態度を一切見せず、皮肉交じりの嫌味をぶつける。
しかし、コレと言った反応の一つも見られず、まるで死人のように頑として黙り込む彼に呆れ溜息を吐いたディルムッドは、御者に指示を出して馬車を急がせた。
「……」
更迭馬車の窓から、エドモンドは不意に空を見上げる。
——まるで何かを暗示するように、暗澹とした雲はやけに黒々としていた。
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第四の月、第四週。今日はエドモンド・オズワールの神明裁判当日である。
神明裁判が行われる教区のハーパリア大聖堂——正教会が所有する豪奢な建物の入り口に、シーとテメラリアは立っていた。
彼らは何時もの格好だが、神明裁判の証人であるウィータは何時もの服の上にローブのような祭服を身に纏っており、その隣に立つジャンとカルナも、正教会の正装に身を包んでいる。
「なんか……天気よくないね」
「そうだな……」
渦を巻く黒ずんだ雲の群れ。まるで蛇のように蠢く曇天の空は、どこか不気味だった。鈍色の空を茫々と這うその様は、何時の日だったかに見た光景をシーに思い起こさせる。
シーとウィータは、陰鬱な空を見上げながら不安気に呟いた。
「ケケッ、いよいよだな? 緊張してるか、嬢ちゃん?」
「……うん、ちょっと。なんか……へんな空気だから」
「まぁ、神明裁判の前は千年前もこんなもんだったよ。神器を用いた裁判の席に立つ奴は、基本的に極悪人だったからな。……こうして見物客が多かった」
少し怯えたようにケモミミを伏せたウィータが、目の前にある光景に眼を遣った。
そこには所狭しと並居る人、人、人——。皆、エドモンドが神明裁判に掛けられる今日という日を心待ちにしていた反エドモンドの市民達である。
彼らもシー達と同じことを思っていたのか、一雨きそうな濃い色の雲を見て、女神が勝利を祝うどころか、邪神が敗北の後押しをしているのではないかと、不安に浮足立っていた。
「——来たぞ」
その時だった。普段の豪快な立ち居振る舞いとは違い、静かに起立していたジャンが呟く。それを皮切りに、ハーパリア大聖堂の周囲に集まっていた反エドモンドの市民達が一斉に騒ぎ出した。
広場に留まった一台の馬車の中から、何者かが、衛兵に更迭されたまま連れられて来る。ボサボサの髪と濃い隈がある両目、酷くやつれた様子の割に、身なりだけは立派な男だ。
間違いない。あの男が件の下手人——エドモンド・オズワールだろう。
連れ添うように降りて来たのは、武装した数人の衛兵と、身なりを整えたディルムッド。普段の温和な雰囲気とは違い、ディルムッドはどこか厳めしい。こちらの顔が本来の姿なのだろう。堂に入った足取りで歩いて来る彼の姿は、一つの都市を治める者として、とても立派なものだった。
「ついに来やがったな、豚野郎! 今日でお前も終わりだ!」
「神に裁かれろ! 金に溺れたまま死んでしまえ!」
先程とは打って変わって、火がついた獅子のように、思い思いの罵倒を叫び散らす市民たち。エドモンドは相当の恨みを買っていたのだろう。近くにディルムッドやジャン達がいるにも関わらず、石を投げる者もいる。
「……ん?」
「ごめん……シーちゃん。ちょっとこうさせて」
周囲を震わせる怒声に怯えたのか、耳と尻尾を委縮させたように垂れさせたウィータは、恐怖心を誤魔化すようにシーを抱きかかえ、子供が人形を持つように、ぎゅっと抱き締めた。
「……こういうのは……苦手……むかし白犬がおそって来た時の……みんなを見てるみたい……」
「……」
呟くようにそう言ったウィータの一言は、市民たちの罵声の中に消えて行った。
そのすぐ後、然して間を置かずにディルムッド達が入り口前まで来る。ジャンとカルナが一歩前に立ち、彼らの前で足を止めたディルムッドと衛兵たちが、手を交差させた祈りのポーズで恭しく一礼をし、その場に跪く。
そして——しん……、と。
まるで、それが合図であったかのように、騒がしかった市民たちが静まり返った。
「——『正義と民衆の女神ユースティア』の慈悲に感謝を。都市を代表し、このディルムッド・ラッセルが御礼を申し上げます。我々は神に祈りを捧げ、霊子を捧げる事を誓います」
「大義である。貴殿らの祈りは、この『英雄』の修道騎士、ジャン・フローベルと——」「——『鉄』の修道騎士、カルナ・ウィッカーマンが、必ずや我等が主たる女神ユースティアに届ける事を誓う」
「感謝します」
儀礼的な挨拶を終えると、ジャンが「——では、中に」と大聖堂の中へと足を運ぶ。シーとウィータもそれに続くが、立ち上がったディルムッドは足を止めて背後へと振り返ると、市民たちへ向けて声を張り上げた。
「——僥倖である! 今この瞬間、正義と民衆の女神が我々に勝利を約束して下さった! 皆、辛く苦しい日々を良くぞ耐え抜いた! 安心するがいい! 今日この日、このエドモンド・オズワールの悪行に終止符が打たれっ、長らく都市を騒がせたギルド間闘争は終わりを告げる!」
荒っぽく首根っこを掴み上げ、市民たちの前にエドモンドを立たせたディルムッドは、一拍の間を置いて叫んだ。
「勝鬨を上げよ! 勝利は既に、我々の手の中にある——っ!!」
「「「「「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ~~~っ!!!!」」」」」
まるで戦争にでも勝利したようだった。ディルムッドの演説に浮かされた市民たちが、「ラッセル万歳!」「ディルムッド万歳!」「正義と民衆の女神に栄光あれ!」と、空気をビリビリと震わせる程に熱狂する。
その声に驚き、ビクゥッ、と。ウィータが耳を伏せた。不安が大きくなったのか、俯きがちだった頭が更に大きく下に傾いて行く。シーはそんな相棒の不安を和らげる為に、一歩近づき声を掛けた。
「大丈夫だ、心配ない。いざとなったらオレが何とかしてやる」
「……うん」
「ケケッ、まァ、しょうがねェさ? ああやって市民を安心させねェと、暴動になりかねねェからな。内政の難しいところだ」
さり気なくテメラリアがフォローを手伝ってくれ、ウィータの表情が少しだけ柔らかくなる。「……ありがと。シーちゃん、テラちゃん」と、ぎこちない笑みを作ったウィータの足取りが力強くなったのを見て安心したシー達も、中へ進んで行く。
進んで行くと、すぐにその豪奢な景観が眼に入った。
二週間ほど前に訪れたユーダリル教会とは比べ物にならない程に広い聖堂内は、抽象的な宗教画を象ったステンドグラスが壁に敷き詰められ、正教会の神体である女神ユースティア様の像も一際大きかった。
像の前に置かれた祭壇には、正義と民衆の女神ユースティア様の神器——対象の嘘を絶対に見抜く『善悪の天秤』が置かれ、大聖堂の司教と思わしき老人が立っている。
聖堂内に所狭しと置かれた長椅子には、教会の関係者と思わしき人物達や、職人派閥の重鎮たち——以前の決起会に参加していた者達の顔がチラホラと見えた。
正教会は大きな影響力を持っていると言っていたが、どうやら本当らしい。
千年前もユースティアの信仰は強かったが、ここまででは無かった。時代が変われば、必要とされる神の力も変わるという事だろう。あれだけ強大だったオレルスの信仰が見る影もなく翳ったように——。
「騎士ジャンと、騎士カルナ……そして、女神の証人ウィータと被告人エドモンド・オズワールは天秤の前に来られよ」
——と。シーの思考を遮ったのは、司教の言葉だった。
司教の言葉に従い、ジャンとカルナが司教の脇に伏せる。ウィータが善悪の天秤の前へ移動すると、それを挟み、衛兵に両腕を押さえられたままのエドモンドが反対側へ立った。最後に、呼ばれなかったシーとテメラリア、そしてディルムッドが着席すると、司教が再び口を開く。
「騎士と被告、そして女神の証人が揃った。これより、エドモンド・オズワールの神明裁判を始める。皆の者、正義と民衆の女神ユースティア様の慈悲に感謝し、祈りと霊子を捧げよ」
そう言ってユースティア様を象った彫像へと向き直り、祈りのポーズを取った。それに倣うように、シーとテメラリアを含めた聖堂内全ての者達が瞑目し、祈りのポーズを取る。
千年前と同じ、祈りの儀である。
神が『忘れられた神』とならない為に、霊子を捧げる神聖な儀式だ。シーの知るものよりもずっと簡素なものだが、この祈りの儀式だけは千年後の未来である今も残っていたらしい。
「……?」
ふと——。聖堂内に満ちる静寂。誰しもが祈りを捧げる最中で。
何となく瞑った目を開いたシーは、ただ一人、祈りを捧げずにいる男がいた事に気付いた。エドモンドである。ずっと俯いていた彼は、不意に視線をユースティア様の彫像に向けると、縋るような声で口を開いた。
「——私は……全ての罪を受け入れるっ!」
唐突な言葉だった。
静寂の中、一際響き渡ったその声に驚き聖堂内の人々が祈りを中断しエドモンドを見る。まるで何かに怯えるような表情で口元を震わせた彼は、衛兵の拘束をムリヤリに振り解こうとするが、失敗し、その場に這いつくばらされた。
突然の行動にざわざわと聖堂内がどよめくが、そんな事を気にした様子を見せず、錯乱状態に陥っていた様子のエドモンドは、ユースティア様の彫像目掛けて、狂ったように喚き散らした。
「——おぉ、だから……だからどうか女神よ! 助けて下さい! 私は邪神に魅入られてしまったのです……!!」
「おいっ、暴れるな!」「大人しくしろ!」
「女神よ、おぉ、女神よ……っ、どうか……どうか、ご慈悲を……!?」
様子のおかしいエドモンドを取り押さえる衛兵二人。一瞬、勝ち目の無い神明裁判に絶望し、狂ってしまったのかとも思ったが……『邪神』というワードが引っ掛かり、「邪神……?」と呟いたシーは、静かに目を細めた——その次の瞬間だった。
——大聖堂の外で、市民たちの大きな悲鳴が上がったのは。
次の更新は、4月16日20時30分です。




