第28話:天狼族のウィータ③
「……おい。アレは一体どういう事だ……?」
俄かには信じられないもの——。ジャン・フローベルの瞳には、自身がいま見る光景がそう映った。自然と零れ出たその問い掛けに、しかし……カルナも、そしてテメラリアも、明確な返答を返す事は出来なかった。
——彼らの視線の先あったのは、二人の傭兵を圧倒する少女の姿。
ジャンとカルナは修道騎士だ。騎士という肩書はついているが、普段の生業は聖職に分類される内容が多い。武人として一本の道を突き進んで来た者達より、一歩劣る自覚がある——とはいえ、それでも武芸を志す者の端くれとして、ジャン達の目にはあの二人の傭兵が、決して弱く無い事くらいは分かる。
悪人とはいえ、あの歳になるまで傭兵として生き残って来れたのは、彼らが死に臆さず幾つもの戦場を渡り歩き、確かな研鑽と数え切れない程の人間を斬ってきたからだ。
そんな彼らが、同業の傭兵や職業軍人でもない一般人相手に、自分達の専売特許である『殺し合い』という舞台で遅れを取る事など、そう多くは無い。ましてや相手が十二かそこらの少女ともなれば、負ける事などまずあり得ないだろう。
「クソ……クソっ、クソクソっ!」
「……何で届かねぇ!?」
だが、そんな傭兵たちのなりふり構わない攻撃を、ウィータはいとも容易く捌き切っていた。左右から追い立てるように放たれるハンスとマックスの連携攻撃を、見切りで躱し、盾で受け、剣で弾き、そして槍で、斧で、大剣で、反撃さえして見せる彼女に、驚くべき事に一切の焦りは無い。
ただ淡々と目の前の敵を屠る為に、最善手となる一手を繰り出し続けている。
「……天狼族の急成長能力が凄まじい事は知っています。ですが……ここまでなんですか? 自分の眼には、もうウィータちゃんが数日前にジャンさんと戦った人物とは同じには見えません」
その戦いっぷりは、ジャン達の戦いを実際に見たカルナの眼にさえ別人に映っていた。彼女の口からようやく出た言葉は、普段のお茶らけた態度は鳴りを潜め、純粋な驚きと僅かな畏怖の感情が入り交じっている。
「……、……天狼族の急成長能力の源は、その強靭な霊体にある」
テメラリアは数瞬考え込んだ後、言葉を選ぶようにそう答えた。
「霊体……?」
「あぁ……そもそも霊体ってェのは、霊体が宿る肉体が危機や困難に陥った時、それを回避する為に肉体を強化するっつー性質があるんだよ」
そう。霊体——全ての生命に宿る力ある魂は、個々の魂の持ち主である肉体を強化し、自己の存在を保存する防衛本能がある。肉体が直面した危機や困難に対して、有効な能力を肉体に発現させ、それらに対処するのだ。
これのおかげで全ての霊体を持つ生命は、肉体の限界を超えて超人的な力を得る事が可能になっただけでなく、精霊や悪魔——肉体を持たない形而上的存在と契約し、魔法や魔術を行使できるように進化してきたのだ。
「……天狼族はな、この霊体の性質が特別顕著に出た一族なんだ」
「つまり、ウィータちゃんも霊体の性質が強いって事ですかい……?」
「いや——嬢ちゃんは異常だ」
カルナの言葉を、テメラリアはハッキリと否定した。
「……いくら天狼族の霊体が強靭っつっても、精々が十年で出来るような事が三年で出来るようになる程度だ。たった数日で見違える程の強さになれるなんて便利な代物じゃァねェよ」
「じゃあ、これはいったい……?」
「……ケケっ、知るかよ——が……ただ一つだけ分かるのは、俺様たちの知らない何かが、あの嬢ちゃんにはあるって事だけさ……」
それが何なのかは分からないけどな、と。少しお道化て答えるテメラリア。
煮え切らない回答にモヤモヤとした表情で眉を顰めるジャンとカルナだったが……彼らの表情から、既にウィータを心配する感情は消えていた。
(まァ、思い当たる節が一つだけ無い事はねェが——)
可能性があるとすれば、たった一つアレだけだろう、と。
内心に浮かんだ一つの予想。もし、ウィータがベオウルフや大魔導士アベルといった大英雄たちと同じ力を持つ存在ならば——。
「——が……っ、あぁぁぁあああああぁぁ~~!!?」
そこまで考えたところで、テメラリアの思考を遮るように絶叫が響いた。
大振りの隙を突き、左肘から肩に掛けての筋を沿うように切り裂かれたマックスの声だ。堪らず愛用の大剣を地面に落とした彼は、喘ぐように荒い息を吐きながら、「クソ……ガギィィィィィ~~~……っ!?」とウィータを睨む。
その視線を興味が無さそうに見下ろしたウィータは、血の付いた闘剣を、ブン! と振るい血のりを落とした。すると、武器を長槍へと変身させ、標的をハンスへと移す。
「……っ」
真っ直ぐと自身を見る緋色の瞳に怖気づいたのか、ビクッ、とハンスが肩を震わせる。傭兵としての意地で何とか歯を食い縛り、双剣を構えた彼は、ジリジリとにじり寄って来る少女を前に額から油汗を滲ませた。
『ォオ——』
その時だった。ウィータの真後ろ、ちょうど彼女の死角になる場所で魔獣ベオウルフの身体がピクリと動く。僅かに呻き声が漏れた次の瞬間——ギョロリと、大きく蜂蜜色の双眸が見開かれた。
『オォォォオオオオオオオオ——ッッ!!』
「っ……!」
空気を震わせるような叫び声が鳴り響くと同時に、ベオウルフが地面を蹴る。巨大な爪を振り上げた怪物は、瞬きの間すら許さぬとばかりにウィータへ肉薄すると、無慈悲にその爪を振り下ろした。
背後からの一撃に一瞬反応が遅れたものの、何とか長槍で防いだ彼女は、小さな呻き声を上げながら後ろへと吹き飛ばされると、そのまま柵に叩きつけられ、苦し気な表情で地面に転がった。
「ぐ、ぅぅ……っ」
「……、ハハ……ハハハハ! 油断したなぁ、クソガキィ~? 勝ったと思ったか? 思ったよなぁ? それでも、最後はこうなるのさ……お前はやっぱり、地面に這いつくばってんのが丁度いいんだよ!」
今の攻撃で身体のどこかを痛めたのか、少しよろめきながら立ち上がるウィータ。
それを見て形勢が逆転したと見るや否や、ハンスは哄笑を上げながらそう吐き捨てる。未だ左腕の傷を押さえていたマックスも、歯を食い縛りながら「……や、れ……やれ、ベオウルフぅぅぅ~~!!?」と、唸り声を上げるベオウルフに叫び散らした。
「そのクソガキを殺せぇぇぇぇ!!」
『オォォォオオオオオオォォオオ……ッッ!!』
そして、ベオウルフは地面を蹴った。
今度は巨大な咢をこれでもかと開き、ウィータの全身を食い千切らんとする。彼我の距離が一瞬の内に縮まり、その顎が閉じようとした——次の瞬間。
「——【渾々と鳴く森の狐】」
ベオウルフの牙が空を噛み砕いた。
否。正確に表現するならば、ウィータが何かを呟いた瞬間、辺り一帯に白い靄がかかり始め、彼女の身体はベオウルフの牙に噛み砕かれる事なく霧の中に消えてしまったのである。
「霧……いや、魔法ですかい……?」
「……この魔法は知ってるぜ。デネ帝国領のエースヴィア地方に住む精霊が使う生物の五感を狂わせる魔法だ」
「五感を狂わせる魔法だと……?」
テメラリアの説明に食いついたジャンが驚いたように霧の中に視線を遣る。
「——【異名は海峡にて欺く霧の魔女、ここは彼女の腹の中。横柄に惑う霧中の影、嘯き、嘶き、メシナの狐は虚言を囁く】……」
「クソが……! 次は何だ!?」
「……何をしてやがる犬っころ! 早くそのガキの首を持って来い!」
霧の中に響く詠唱文。これが魔法である事に薄々勘づいているのだろう……悪態を吐き捨てるハンス達の声が徐々に震え始め、見えない場所からの奇襲に怯えたように、体勢が縮こまって行く。
「——【旅人は虚言を聞き入れた……故に、誰も背後を振り返らない】」
詠唱が完成し、周囲が水を打ったように静まり返った。
「——【森で見た狐の虚言】」
そして、魔法名を呟くウィータの声だけが霧の中に響き渡ると同時。
ドサリ——ッ、と……ジャン達の近くで何かが倒れるような音が聞こえた。
「「……っ!?」」
「……あの時これを使われていたら、倒れていたのは俺だったのだろうな」
額から汗を流しながら乾いた微笑を浮かべるジャン
声にならない驚きに染まった彼らの視線の先にあったのは、いつの間にか斬り落とされた魔獣ベオウルフの生首だった。
一切の物音も悲鳴も無く——いや……一切の物音も悲鳴も魔法で掻き消し、完璧な不意打ちで仕留めたのだろう。あまりにも綺麗な切り口が、その奇襲の完璧さを示している。
ジャンは思わず、一瞬それが自分のものであった未来を想像した。
「ぐっ、がっぁぁぁあ……っ~~!!?」
霧の中からハンスの叫び声が響き渡った。同時に、魔法の霧が晴れて行く。
ジャン達の視界に映ったのは両腕をズタボロに切り裂かれたハンスの姿と、言葉を発する余裕もない程に完全に怯え切り、その場にへたり込むマックスの情けない姿——そして、血塗れの闘剣を握り締め、静かに立ち尽くすウィータだった。
彼女は二人を睥睨すると、小さく溜息を吐き闘剣を下ろす。
「これ位でかんべんしてあげる。うでの筋をズタズタにきったから、もう二度と剣なんてにぎれないだろうけど……これからも、よーへいがんばってね」
「「……っ」」
「——ほら……にげなよ? 尾に火がついた白い犬みたいに」
子供らしからぬ皮肉と嫌味をふんだんに交じえてそう言った彼女の言葉に、目を見張ったハンス達。何を言われているのかを理解した彼らは、額に青筋を浮かべて歯をギリギリと食い縛る。……当然だ。
今まで見下していた相手に敗北した挙句、傭兵という仕事に必要な腕を奪われ、剰え『見逃してやろう……精々これから生き恥を晒せ』と言われているのだから。
「……ふざけやがってっ……それが情けのつもりか!?」
肩で息をしながらハンスは抑えきれない怒りをぶつけるように叫んだ。
「はは……まぁ、人を殺した事もねぇようなガキだもんなっ? 無理もねぇ……人殺しを躊躇うのは当然だっ。俺たちを殺せねぇから嫌がらせのつもりなんだろうが——必ず後悔するぞ……? 腕なんて関係ねぇっ! ……必ずお前を殺して、お前の同胞もろとも魔獣のエサにしてや——」
ヒュン、と。空を切るような音が響いた。
感情に突き動かされるまま、苦し紛れの強がりを吐いていたハンスの顔のすぐ横を通り過ぎて行った何か。彼が後ろを振り向くと、額へ真っ直ぐに突き刺さった短闘剣により、完全に絶命したマックスがパタリと後ろに倒れる瞬間が目に入った。
直前の自身の言葉を否定するように放たれたその攻撃で、驚いた様子のハンスは無言で口をへの字に曲げ、ゆっくりとウィータへと向き直る。
「——ᛩᚢᚫᛖᛋᛟ ᛩᚢᚫᛘ ᛈᚱᛁᛘᚢᛘ ᚫ ᚳᛟᚾᛋᛈᛖᚳᛏᚢ ᛘᛖᛟ ᛖᚣᚫᚾᛖᛋᚳᛖᛏ……|ᛏᚱᚫᚾᛋᚷᚱᛖᛋᛋᛁᛋᛏᛁ《トランスグレッシスティ》 ᚠᛁᚾᛖᛘ ᛩᚢᛖᛘ ᚾᛟᚾ ᛞᛖᛒᛖᛒᚫᛋ ᛏᚱᚫᚾᛋᚷᚱᛖᛞᛁ! ᛋᛁ ᚾᛟᚾ ᛋᛁᛏ ᛘᚫᛏᚱᛁᛋ ᚣᛖᚱᛒᚫ ᛘᛖᚫᛖ, ᛚᚫᛘ ᛏᛖ ᛟᚳᚳᛁᛞᛁᛋᛋᛖᛘ……!!/とっとと失せろっ……お前は、もう一線をこえた後だ! お母さんの言葉がなかったら、お前なんてとっくにころしてる……っ!!」
俯きがちに、下からのぞき込むように、垂れた前髪の奥に光る緋色の瞳は、同胞をコケにするのもいい加減にしろと言わんばかりに、強い怒りと、悔しさが滲んでいた。
震える程に拳を握り締め、唇を強く噛み締める彼女は、今にもハンスに飛び掛かって喰い殺さんとする狼のように、異様な様相をしている。
「……、……名前と顔は覚えたぞ——天狼族のウィータ……っ!!」
これが本当に最後の忠告だと悟ったのだろう。
上がらない腕をダラリと下げながら、恐怖心で引き攣った顔に油汗を滲ませたハンスは、尾に火をつけた犬のようにベランダから飛び降りて行った。
敵の気配が完全に消え去ったことを確認し、小さな狼の姿に戻ったシーは、ブンブンと頭を振ると、心配そうな表情で相棒を見上げる。
そのすぐ後、ジャン達も似たような面持ちをしながら小走りで駆け寄って行った。だが、彼らの心配を余所にウィータは、ハンスが飛び降りて行った先を、研がれ過ぎて摩耗した刃のような瞳で睨みつけていた。
「……」
「大丈夫か……ウィータ?」
「……、……だいじょうぶだよ、シーちゃん……見たでしょ、アイツのさいごの顔。もう、わたしたちをころそうなんて思えないよ」
「……」
シーが優しい声音で話し掛けると、我に返った様子のウィータが少し影のある笑顔で答えた。しかし、その答えが思っていたものと違ったのか、シーは少し困ったような表情で、諭すように口を開く。
「ウィータ……今のはウィータに言ったんだよ」
「……ぁ、……、……」
言われて言葉の意味に気付いたのだろう。今のシーの『大丈夫か?』がハンスから襲われることを心配した言葉ではなく、自分の心情を慮った言葉である事に。
「……そっ、か……」
数瞬の沈黙の後、何かを考え込んだような様子で一言だけそう漏らしたウィータ。
その表情はジャン達から見えない。
黙って俯く彼女を、シーだけが慈愛に満ちた微笑を湛えながら見つめていた。
『第三章・ケモミミ少女の追憶編』はここまでで終了となります。
次の更新は、4月9日20時30分です。




