第1話‐千年という時の流れ①
今話から『第一章:精霊契約編』のスタートです。
「——こうして、世界を脅かした最悪の邪神ウルは討たれたのだ!」
場所はシーが目覚めた場所から馬車で数日ほどの距離にある都市。
独立貿易都市ラッセルである。
「死の領界に骨を埋めた万夫不当の英傑達は眠りにつき、斯くして今も、こうして世界には秩序と平和が溢れている……故に——さぁ、皆々! 大英雄たちへの喝采を!」
現在シー達は、ラッセルの街並みを分断するように街の中央にある巨大な峡谷——メディストス大峡谷に架かる第三大橋の上で見世物になっていた。
何でもテメラリア曰く、邪神ウルを倒したベオウルフたち三人の大英雄は『四大英雄のサーガ』という古代叙事詩の中で、現代に至るまで語り継がれているらしい。
それを見せてやる! と、張り切って人を集めたテメラリアは現在ノリノリで語っているが、当の人間たちはテメラリアの話そっちのけで、物珍しい精霊という存在が人里に姿を現した事の方に興味津々の様子だった。
「大魔導士アベルに哀悼を! 空間の大悪魔トポスに感謝を! 死の職人ボグに薫陶を! そして……天狼族の大英雄ベオウルフと、変身の大精霊シーに栄光あれ!」
テメラリアは片翼を大きく広げ、高らかにそう言い切ると、周囲に集まった子供たちやその両親達がパチパチと拍手をした。人だかりはなかなかに大きく、かなり大きめの拍手が鳴り響いた。
「ケケッ、以上……古代叙事詩——四大英雄のサーガはこれで終わりだ。クソガキ共、英雄たちを忘れるんじゃねェぞォ~? じゃねェと化けて出て来るからなァ~?」
「なにが化けて出て来るのー?」
「大英雄ベオウルフの亡霊だ……首の無い邪神の眷属になって、テメェを死の領界に連れて行っちまうぞォ~? ベロベロバァ~!」
「ホントかよー?」
「なんだコイツー!」
「……あっ、バカ! 止めろ! 俺様の羽を引っ張るな! このクソガキ!」
「……ピィッ、ピィ~ッ!」、と。テメラリアは情けない悲鳴を上げながら、自分の羽を引っ張って来る子供たちの手を掻い潜る。英雄譚を語る為に実体化していた肉体を、再び透明化させ空へと飛び立った。
シーもその後ろに続きフワフワと空を漂うと、「ハトきえたー!」「どこいった、猫のエサー!」と消えてしまったテメラリアを探して右往左往している。
——どうやらシー達の姿が全く見えていないようだが、それもそのはずだ。
なにせシー達は精霊——完全なる霊的波動体である。
彼らは自身の肉体を構成する霊子を使い、こうして自分の身体を実体化させたり、自分の声を聞かせたりする事が出来るのだ。
『……ケケケケケェェェ~~ッッ! クソゥッ、あのクソガキ共! 躾がなっちゃいねェ! 俺様を何だと思ってやがる!?』
『猫のエサか何かだろ』
『俺様は精霊だぞ! 霊子の塊が食えるかボケェ!!』
『……キレんなよ。子供のやることだろ……大人げねーなー。——まぁ、それはそれとして……こりゃスゴイな……!』
ぷんすかと怒りを露わにするテメラリアを宥めつつ、視線を移したシーは、空の上から街並みを見渡した。そこには千年の時を経て発展した素晴らしい栄華の姿があり、否応なしにシーの心を躍らせる。
『たった千年で、こんなに変わったのか……!?』
整備された石畳の街道。
そこを進む人々は、やはりラッセルが独立貿易都市であり、各国の貿易の要所という事もあってか、人間種だけに留まらず、進化の過程で人間種から枝分かれした人間たち——亜人種や獣人種などの幅広い人種に溢れている。
シーの記憶の中にある人々はトゥニカやトーガを着ていたものだが……やはり時代が変われば流行も変わるものなのか、多種多様な素材や染料で作られた未来の服装は、否応なしに文明というものを感じずにはいられない。
獣人種は特に多種多様で、人狼種や猫人種などのポピュラーな見た目の種族は勿論のこと、他の獣人種も皆一様に、その格好は彩り豊かであった。
皆どこぞの集落出身なのか、自らの部族や民族のアイデンティティを主張するように、人間種や亜人種などの服装とは違う特徴的な刺繍や色の組み合わせをした……民族衣装? のような服を着ている。……シーの知る千年前と違って、獣人種の文化も変化したようだ。
勿論、服も変われば建物も変わる。
建築物とは、服や食べ物に並ぶ文明の象徴だ……が、どうにも建築の方はあまり進んでいないようだった。シーの記憶にある豪奢で荘厳な雰囲気の建物——例えるなら神殿のような建築物が、ちらほらとだが見える。
『どうだ、その目で見た未来の世界の感想は? スゲェだろ?』
『……あぁ、スゲェよ! 街も、人も、物も、食事も、文化も……オマケに言語まで変わってるじゃないか! 本当にスゲェよ! それしか出てこねぇ……!』
『ケケッ……そいつァ良かった。今日はたっぷり未来ってヤツを見せてやるから、楽しみにしとけよ?』
余程にシーが見入る姿が面白かったのか、先程までの怒りを抑えたテメラリアは、ラッセルの街並みに釘付けとなっているシーを揶揄うように言った。千年前なら悪態の一つでも吐くところだが、今のシーはそんな感情すら沸いて来ず、ただただ人類の進化スピードに驚嘆していた。
『見ての通り、テメェが眠っていた千年の間に人類の世界は色々変わったよ』
クイっ、と顎を動かすテメラリア。おそらくはついて来いという意味合いのジェスチャーだろう。そのまま西区の街へ羽搏て行く彼の背中を、シーもフワフワと空中を浮かびながらついて行く。
『ほんの五、六百年前くらい前だったか……長い戦争の時代が終わって、世界は聖神オレルスの信徒を中心にした聖教の衰退と、それを切っ掛けに多くの宗教が弱体化してな。それを期に、あらゆる物事に人間を中心に据えて考える思想が流行したんだよ』
『そうなのか? ……意外だな。神殿っぽい建物が多いから、てっきりまだ宗教の力は強力なもんかと……』
『あぁ、それはいま言った思想の影響で始まった再興期のせいだな。この再興期に、このラッセルみたいな街並みが大量に産み出されたんだ。大半はその時代の名残で、宗教の力はかなり弱まったよ。……まぁ、大きな影響力を持った宗教はまだまだ沢山あるけどな?』
まるで悪戯好きな少年のように話すテメラリア。言葉を聞く限り、どうやらシーが眠っていた千年の間に、人類は大きな文明の変革を迎えたようだ。
『再興期の人類は中々に面白かったが……俺様は今の方が好きだな。あの時代に誕生した様々な物を利用して……まァ、国によって変わるが、この都市は議会と同業者組合っていう連中が社会のアレコレを回してるな』
『議会は何となく分かるけど……ギルド?』
『あぁ。昔は上下水道の整備とかは奴隷の仕事だったろ? 今は奴隷制度そのものが無くなってな。その代わりを担ってるのが、ギルドって奴らだ。上下水道の整備も、今はギルド直課の公職ギルドにいる水管工って奴らがやってるぜ?』
『マジかよ! 奴隷制度まで無くなったのか!』
『まァな』
懐かしい話である。
昔は社会の何から何までを奴隷に頼り過ぎただけでなく、【分限魔術】と呼ばれる悪魔の法術を用い、個人の霊体情報を見て、優秀な奴隷から優先的に仕事を割り振っていたのをシーは今でも覚えている。
個々の能力が可視化されていた分、能力至上主義への傾倒が凄かったが、今ではそういった危険も無いという事だろう。自分のいた時代とは違っていい事だと、シーは内心で嬉しくなった。
『——ん? なぁ、テメラリア……あの人だかり何だ?』
ラッセル東区の中央通り上空を飛んでいる時だった。
あれがギルドというものなのだろう。幅の広い道の両脇には、神々を象ったちいさな石像や紋章を軒下に掲げる建物が幾つか見受けられる。同じ石像や紋章を掲げる露店も点在しているが、おそらくは各ギルドに連なる店なのだろう。
しかし、シーが気になったのはそれらではなく、その中央通りの終わり——一際に広い石畳の大広場である。
『ケェ? ……あァ、アレか……あそこはこのラッセルの中央広場だ。セント・ダグフスタン大聖堂っつーデケェ聖堂があるんだが……あの人だかりは多分それじゃなくて……“郷愁の門”が原因だろうな?』
『郷愁の門……?』
『あァ……大陸間を瞬間転移できる大規模空間魔術儀式さ』
『っ……、……アレって空間魔術なのか!?』
郷愁の門。聞き慣れない単語を聞いたシーが驚気の声を上げた。
シーが改めて視線を向けると、人だかりの中心に奇妙な建築物を見つける。
天秤を持つ女神の彫刻が象られた石の屋根を支える四本柱の前には、それぞれ何らかの戦士を象った四体の石像。どこか神殿に似た空気感を醸し出すその建築物のあちこちに、規則正しい何らかの陣と、ルーン文字による術式が彫られていた。
何よりも目を引くのは、その四本の柱を対角線で引いた結んだ時、丁度その線が交わる中央にポツリと鎮座する“空間の裂け目”——オレンジと黒のコントラストを発する光だ。
その光の中から突然人が現れ、また、こちらから光に入った人々はどこかへ消えて行く——。そんな、どこかおどろおどろしい現象が引き起こされていた。
『あの規模の空間魔術を安定して使える魔導士は、千年間もそうそういなかったぞ……? 普通、空間魔術って一回通ったら消えちまうもんだ。ってか……何で、空間魔術に人だかりができてんだよ? 千年前は魔術使ったってだけで、火炙りになってただろ?』
『ケケッ、昔とは違うって事さ。まァ、確かに……千年前は、“魔法”と違って“魔術”は悪魔の術法として嫌われていたもんだが、その意識も今はかなり薄くなってる』
『そうなのか……アベルが聞いたら喜びそうだな。アイツの同胞は魔術に長けた一族だったし、アイツは何よりも“悪魔”たちと仲が良かったから』
『さァ、どうだろうな? 死んじまった奴には何も聞けやしねェ』
淡白な反応を返して来るテメラリア。薄情な言葉ではあるが、彼は昔からこういう精霊である。シーは然して気にした様子も無く、ただ『……ほぇ~』と。
驚きと感心が入り交じったような溜息交じりの言葉を漏らした。
『いやいや、本当に驚きだな。何から何まで変わり過ぎだろ、おい……ほぼほぼ異世界じゃないか、これ……?』
『ケケケッ……まァ、千年も経ってるんだ。その位は当然だ。永遠の時間を生きる精霊とは違って、奴らはこの一瞬を生きている。生きる速度が違うのさ』
世界の劇的な豹変ぶりにシーは度肝を抜かれて唖然とする。
そんな姿を見て少し楽しくなってきたのか、未来世界の観光ガイドたるテメラリアは、捻くれた笑みを浮かべると少しだけ飛ぶスピードを速めた。
『——ほら、ついて来い? ぽけェ~っとしてる暇なんてねェぞ! テメェの千年を埋めるモンが、ここには沢山あるんだからな?』
『あっ、おい!』
シーの呼びかけを無視し遠ざかって行くテメラリアの背中。
その背中は何だか少しだけ、嬉しそうに見える。
千年ぶりの友人との再会がそうさせたのか、それとも、お喋り好きな彼の性が、ひたすら喋る口実を得た事実にウキウキしたのか……はてさて、それは分からないが——。
『ったく……変わんねーなー、アイツ』
なにはともあれ、千年という長い時間が経っても変わらないものはある。
何もかもが激変してしまった中で、シーにとってその事実が少しだけ嬉しかった……というのは、ここだけの秘密だ。