第23話:久しき故郷①
「——月の冠が輝く今宵の良き日に集まってくれた事、まことに感謝する、我が同志たちよ……正義と民衆の女神ユースティアの祝福により、我ら職人派閥の勝利は目前だ。二週間後の裁判で、待ちに待った神罰がエドモンドへ下ることだろう。……少し気は早いが、今日は我等の勝利の前祝いとして、我等が勝利の女神に祝杯を捧げる。皆もどうか私に続いて欲しい……女神に乾杯!」
「「「「「女神に乾杯!」」」」」
社交パーティーが佳境に入り、一通りに招待客たちが歓談に心を躍らせ終わったかという時頃——。会場の中心で演説を始めたディルムッドの言葉には、普段の温和な彼からは想像できない熱が籠っていた。案外、厳粛な言葉を選択している今の彼の姿こそが、本当の彼なのかもしれない。
彼が音頭と共にグラスを天井へ掲げると、会場にいた貴族やらギルドマスター達、そしてジャン達も、それに倣う。身分の壁こそあれど……僅かながら和気藹々とした空気感が流れているのを、シーは敏感に感じ取っていた。
本来ならあり得ない光景なのだろうが、これもディルムッド・ラッセルという人物が持つ人徳が成せる御業なのだろう。
『ケケッ、俺様たちの気も知らねェでいいご身分だぜ。どうする? 俺様たちもユースティアに乾杯しとくか?』
『……しねーよ。ユースティア様は酒はそんなに好きじゃなかったからな』
揶揄うようなテメラリアの絡みに素っ気なく返すシー。先程まで自分があんな重苦しい空気感を漂わせていたというのに、調子のいい奴である、と……シーは少し不機嫌そうにする。
「……おい、シー、鳩。小娘を見なかったか?」
『ん?』『ケェ?』
「先程から姿が見えんのだ……また、このバカのようにやらかされては困る。誰かがこうして見張っておかねばならん……」
「……ぐぇ!? 何するんですか、ジャンさん!」
シーとテメラリアが話しているところへ、不安そうな表情を浮かべるジャンと、彼に首根っこを掴まれたカルナが現れる。
『……ケケッ、そう言えば嬢ちゃんの姿が見えないな』
「全く……本当に気配を消すのが上手い小娘だ」
「ジャンさんの説教中まではいたのですけど……」
『ん? ウィータなら、さっき上に行ったぞ?』
三者三様に頭を悩ませているところへ、シーが言った。
『説教中にジャンの目を盗んで上に逃げて行ったのを、三十分くらい前に見た。……ついでにシーフードを大量に大皿に盛ってたな。上でパクパク食ってると思う』
「そうか……であればいい。しかし、昼間の件もある……上にいるのであれば問題は無いと思うのだが、小娘を一人にしておくのは心配でならん……すまんが、呼んできてくれんか?」
「自分達は社交パーティーから離れられませんから」
ジャンに首根っこを掴まれながら肩を竦めるカルナ。非常に間抜けな構図だが、これでも彼女たちは修道騎士である。社交パーティーに出席する義務があるのだろう。
『OK、分かった!』と、シーは返事を返すや否や駆け出した。
『——ケケッ……手のかかる嬢ちゃんだぜ』
テメラリアが吐いた呆れ混じりの嘆息を聞きながら、シーは急ぎ足で会場を出る。
各組織の重鎮を招いている為か、赤いカーぺッドが敷かれた廊下は清掃が行き届いていた。そこを歩く給仕たちの間を通り抜け、シーはロッジの入り口近くにある螺旋階段——シー達が先程までいた部屋へと繋がる階段を駆け上がる。
不気味に蝋燭のランタンが照らす石の階段。チラチラと辺りを見回し、周囲に人の気配が無い事を確認した彼は、霊体化を解く。
そこに幾つも備え付けられた吹き晒しの窓から外の様子をチラリと見ると、外はすっかり夜だった。この建物は小高い丘に建っている。故にここから見える都市の景観は壮観で、街のあちこちを照らす明かりが、一つの絵画のようで美しい……しかし、同時にどこかおどろおどろしい怪しさも内包するその絵画は、都市の繁栄とは裏腹に、魔獣闘技場のような裏の顔を持つこの都市の二面性をよく表していると言えた。
「……?」
先程のテメラリアの話のせいか、そんな詩的な思考に耽っていると、不意に『ウォォォン』と、狼の遠吠えのようなものも聞こえた気がした。
しかし、すぐに「気のせいか……」と。
こんな場所に狼がいるはずが無いと、野犬か何かだろうと、きっとナーバスになっているのだと、そう結論付けたシーは止めた足を急がせた。階段を上り切った彼は、長い廊下を駆け抜けて、ついに部屋へと辿り着く。
「……ていっ!」と、少し自分には高いドアノブに飛び跳ねるようにして開けた。
「お~い、ウィーター! ジャンが呼んでるぞー! ……、……ん? ……ウィータ? どこだ?」
部屋へ入ってすぐに異変に気付く。部屋のランタンの明かりがついていないのだ。部屋を出る時にはついていたのを覚えている。誰かが消したという事だ——。
「——ᛞᛁᛚᛖᚳᛏᚢᛋ ᛘᛖᚢᛋ ᚹᚫᛞᛞᛖᚾ ᛘᚫᚱᛖ~……♪/潮退く我がワーデンの海~……♪」
その時だった。
今まで聞いた事の無いウィータの澄んだ声が、シーの耳朶を打ったのは。
声に釣られて部屋の奥に進むと、ベランダのカーテンが風で揺れている事に気付き、ゆっくりと足を進める。議会所有の建物というだけあってか、かなり広めに設計されていたベランダに出ると、ラッセルの街並みを眺めながら柵の上に突っ伏すウィータの姿を見つけた。
シーフードが盛られた大皿を柵に置き、地面に向けたつま先をユラユラと揺らしながら、ゆったりとリズムを刻む彼女の様を見て、この唄を歌っているのがウィータだと気づく。
「——ᛈᚱᛟᚠᛖᚳᛏᛁ ᛖᛋ ᛁᚾ ᚣᛁᚫ, ᛚᚫᚳᚱᛁᛘᚫᛋ ᚾᛟᛋᛏᚱᚫᛋ ᛏᛖᚳᚢᛘ ᛏᚱᚫᚻᛁᛋ~……♪/涙と共に散り行きて~……♪」
聞いた事のある曲だ。たしか曲名は——。
「——『ᛞᛁᛚᛖᚳᛏᚢᛋ ᛘᛖᚢᛋ ᛈᚫᛏᚱᛁᚫ』……『久しき故郷』、だったっけか……」
シーの記憶が正しければ、千年前のデネ帝国領の南方、辺境の地エースヴィアに住まう天狼族たちに伝わる……今となってはもう古い筈の民謡である。
亡き同胞や、旅に出た同胞を想って唄う曲であり……千年前エースヴィアから王都に出てきた天狼族達が、収穫祭などの祭事や、親しい友人や知人が亡くなった時に良く歌っていたのを今でも覚えている。
「——ᛟᛚᛚᛖᚱᚢᛋ, ᛞᛁᚱᛁᚷᛖ ᚫᛘᛁᚳᚢᛘ ᚾᛟᛋᛏᚱᚢᛘ……ᚫᛞ ᛚᛟᚳᚢᛘ ᛈᚫᚳᛁᚠᛁᚳᚢᛘ, ᚢᛒᛁ ᛖᛋ ᛏᚢ~♪/聖なるオレルスの青き光よ……野辺の路を越え故郷遠き彼の空へ~♪」
「……」
ノスタジアの漂うメロディを口ずさむウィータの姿から、何故かシーは目が離せなかった。最初は都市の景色を見惚れているのかとも思ったが、その視線は頼りないランタンの明かりに彩られた都市ではなく、瞼の裏にある『何か』を見ている。
そう、何か……ここでは無い『どこか』を——。
「……ᛞᛁᛚᛖᚳᛏᚢᛋ ᛘᛖᚢᛋ ᚹᚫᛞᛞᛖᚾ ᛘᚫᚱᛖ~……ᛋᚢᛈᚱᛖᛘᚢᛘ ᚣᚫᛚᛖ……ᛞᛁᛚᛖᚳᛏᚢᛋ ᛘᛖᚢᛋ ᚹᚫᛞᛞᛖᚾ ᛋᛟᚾᛁᛏᚢᛋ ᛘᚫᚱᛁᛋ……♪/久しき我がワーデンの海~……さらば……久しき我がワーデンの潮騒……♪ ……、……ふぅ……」
唄を歌い終わり、一息を吐いたウィータは柵の上にある大皿に手を伸ばし、エビの素揚げを一本手に取った。歌い終わりの心地良い余韻に浸りながら、それを口元へと運び——
「——もういいか、ウィータ?」
「んなぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~~~~!!!?」
シーが当然話し掛けると、ウィータが驚きで奇声を上げた。
聞かれた事が余程に恥ずかしかったのか、驚いた瞬間に大好物のエビを柵の外側へと落としてしまった事にすら気付かず、ウィータは赤くなった顔を隠すためフードを目深に被り、ズザザザザ! と後退りする。
「ジャンが呼んでたぞ」
「え、あ、そ、そうなの……じゃなくて! だまってわたしのうた聞かないでよっ、シーちゃん……!?」
「何でだよ、上手かったじゃないか。恥ずかしがることないだろ?」
「それでも聞かれるのはイヤなの……っ! そういうのダメなんだよ! マルクスおじさんが言ってた!」
「……だから誰だよ、マルクスおじさん……」
聞いた事もあるような気がしないでもないシーだが、その引っ掛かりを解消せんと脳裏を探る間は無く、ぷんすかと怒りを露わにするウィータへと意識を割く。
「まったく……まったくっ、もうっ!」と、悪態を吐きながら再び大皿へと手を伸ばし、今度は貝の炭焼きを頬張ると、思った以上に美味しかったらしく、眼の色を変えて尻尾とケモミミを振り始めた。……どうやら機嫌は収まったようだ。
「……なぁ、ウィータ? ちょっと聞きたいんだけど……ウィータってもしかしてエースヴィア地方出身の天狼族なのか?」
「……! ごほっ、ごほっ……わかるの……っ?」
何気なくシーが問い掛けるとウィータが喉を詰まらせながら目を丸くした。
「まぁな。さっきの唄ってあそこら辺に住んでる天狼族に伝わる民謡だろ?」
「……そ、そうだけど……シーちゃん、さっきの言葉もわかったの……?」
「そりゃまぁオレが産まれた千年前のデネ帝国は、公用語がラティウム語だったからな」
「あ、そっか」
オレの言葉にウィータはポンと手を叩く。どうやら得心いった様子だった。
「ふーん、そっか……シーちゃんって、ほんとうに千年前から来たんだね……」
「あぁ、そうだけど……それがどうかしたのか?」
「ううん……何でもない。……ちょっとうれしかっただけ」
「……?」
何が嬉しかったのか分からないが、驚きの表情から僅かに笑みを浮かべたウィータは、不意に懐から一冊の古びた書籍——皆の形見だという『リングア・フランカの指南書』を取り出し、ベランダの柵に突っ伏す。
過去を懐かしむように微笑んだ彼女は、パラパラと指南書を捲った。
「——これね、わたしがいた村に住んでたみんなの形見なんだ」
ポツリと、唐突にそう言ったウィータ。話を聞いて欲しいのだろう。
先程とは少し空気の変わった彼女の心情を何となく察したシーが、柵の上に飛び乗って座り込むと、ウィータが再び口を開く。
「昔ね……すっごく頭のいい人たちが村に来て、このしなんしょをおいて行ったんだ。『これがあれば、みんな言葉ですれ違う事は無いだろうから』って。……みんな、さいしょはイヤがってたけど、お父さんがみんなに言ったの……『この言葉を全員で学ぼう。いつか外の世界に出る為に……この言葉はいつか、俺たちの運命になるから』って……」
“言葉はいつか運命になる”——。聞いた事がある言葉だ。たしか、エースヴィアの天狼族に伝わる諺である。
「わたしにとっては、すごく特別で、大切で……お母さんから耳にタコができるくらい言われた言葉だったから、いちばん覚えてる言葉でもあるんだ。……わたしが勉強するのイヤでごねると、いっつも『外で生きる事になったら、絶対に必要になる。この言葉はいつか、ウィータの運命になるんだよ』って、よく言われたの」
「……」
昔の話をするウィータの横顔は少しだけ悲しそうに見えた。シーにとって、それは何度も見てきた表情である。……親しい人を亡くした人間が、死者の事を思い出した時に見せるものだ。シーはウィータの過去を聞いたわけではないが、剣奴にまで身をやつしていた彼女が、上等な人生を送って来たとは思えない。
「……、そっか……今はもう別の言語が主流だもんな」
ウィータの過去が何となく察してしまえたシーは、思わず言葉に詰まる。しかし、そのまま黙るのも不味いと、彼は当たり障りの無い話題を振った。
「うん、たいへんだった。外の世界の人は、みんなリングア・フランカをつかってたから。さいしょはぜんぜん通じなくて……何回も、このしなんしょを読んで勉強したの……ムズかしくてイヤだったけど、みんなと勉強してる間はみんなと一緒にいる気がして安心できたんだ」
「……」
当たり障りのない話題を選んだつもりだったが、ウィータの表情に刻まれた物悲しさはまた深くなってしまう。気まずい沈黙が一瞬広がり、シーは咳払いを一つすると「あー……ウィータ——」と口を開く。
「——その指南書の事は分かったんだけど……その、なんだ……ウィータ、この前言ってただろ? ……それが皆の形見だって。あれってどういう事なんだ?」
「え……」
「あ! いや、スマン……! 話したくなかったら言わなくていいぞ! いくら契約精霊っていっても踏み込んでもいいラインはあるものな! うん! 距離感大事!」
つい好奇心に負け踏み入った質問をしてしまったシー。どうにか失言を無かった事にできないかと、自然と口調が早くなる。
「……、……聞きたいの?」
「いやまぁ聞きたいか聞きたくないかで聞かれたらアレだけどやっぱり形見って言うからにはデリケートな話だしそれにやっぱりアレがアレでアレだしアレだから、アレアレアレアレ~……?」
「……」
やはり踏み入ってはいけない話題だったのか、口数が減ったウィータ。誤魔化そうとアタフタしたシーだったが、ウィータは沈黙してしまう。どうしたものかと、彼は視線を右に左にと泳がせる——。
「……べつにいいよ」
「え?」
少し考え込んだような素振りを見せたウィータが、何かを決めたように微笑んだ。
「それって、どういう……」
「シーちゃんはコロッセオでわたしのろいをといてくれたし、昼間もわたしのいのちをすくってくれた……自分がしんじゃうかもしれなかったのに……。おんがいっぱいあるもん。すごく暗い話だけど……シーちゃんが気になるなら、話してもいいよ」
「……いいのか? オレは別に恩を売ったつもりはないし、話さなくても……」
「ううん……いいの。多分シーちゃんには話しておかなくちゃいけないし……それに——わたしも、ずっと誰かに聞いてほしかったんだ……だから、いいよ」
「……?」
まさかの返答だった。しかも、単なる見返りで話す訳でも無さそうな口振りだ……その言葉の裏にある真意は推し量る事が出来ないが、どこかアンニュイな空気感を漂わせながら、ウィータは再びラッセルの街並みへと視線を向けた。
「……聞いてくれる? 今日までわたしがして来たぼうけんのお話——」
次の更新は、4月7日6時30分頃です。




