158.これで枕を高くして寝られます。
「すみませんね、忙しいのに」
「いえ。このギュベイ、魔王様のご命令とあらば何なりといたしますゆえ」
俺はエチゴヤ商会の一室で密かにギュベイを呼び出していた。
ギュベイは密偵悪魔として王城に入り込んでおり、貴族らの動向を伺っている。
ローレアに婿入りしたコウセイからの情報で王国のふたつの派閥の内情分析はかなり進んでおり、一度目の報告を先日、受け取ったばかりだ。
ただし今日の用件は別件である。
「それで。ウチの従業員の背景は割れましたか?」
「もちろんです。魔王シューベルト様からお借りした密偵たちが実に良い仕事をしてくれました。あんな質の高い密偵がいるならば、私など不要なのではないかと思ったくらいです」
「それは違います。彼らは技術はありますが、能力は低く密偵としての心構えもありません。特殊な出自の集団で魔王シューベルト様の庇護下にあるというだけの集団です」
「なるほど……しかしあの集団は鍛えれば私を超える密偵になれますよ」
「一応、進言はしてみますが……正直なところ期待はしない方が良いでしょう」
「惜しいですね。しかし魔王様の庇護下にあるということならば、私から口出しできる話でもありませんが」
ギュベイの言う集団というのは、もちろん〈百面相〉した〈代理人〉たちのことである。
その数、十人。
〈気配遮断〉〈魔力隠蔽〉〈気配察知〉〈未来視〉〈天冥眼〉などを駆使してギュベイの手足として働いたのである。
ただし〈未来視〉と〈天冥眼〉については何も伝えていない。
「では報告をお願いします」
「こちらにまとめてあります。結論から言えば、全員が国王派の高位貴族の送り込んできた密偵です」
「全員ですか……」
受け取った報告書をめくりながら、俺は唸った。
エチゴヤ商会にとっては探られて痛い腹はないつもりだが、全員が密偵というのはちょっと良い気分はしない。
ただし全員、有能なので解雇するつもりもないが。
「どちらかと言えば、エチゴヤ商会を守るために派遣されたと見るべきでしょう。事前に面接前の貴族派の密偵を排除もしていますし」
「面接に急に来れなくなったと連絡があった数名はそれですかね」
「そうでしょうね」
報告書の一番上にいるのは、国王直属の密偵のひとりだった。
有能な従業員の中でも頭ひとつ抜けて優秀な女性で、従業員のリーダー役を任せている。
何枚かめくれば報告書の中にジャクロット伯爵の手の者もいることが分かった。
「助かりましたギュベイ。国王派の密偵だけならある意味、安全ですね。貴族派が混じっていたり裏社会の者が入り込んでいたりしていないということですから」
「さすがは魔王様麾下の商人。肝が太くていらっしゃる」
「別に探られて痛い腹がないだけですから。むしろ何もないのに商会に派遣された彼らに同情します」
「いえ、その必要はないでしょう。魔界の産物を唯一取り扱う王族御用達商人の護衛と監視は軽い任務ではありませんよ」
「そんな言い方をされると自分が大人物になったような気になってしまいますね」
「いえ……実際に貴族たち垂涎のチョコレートを一手に取り扱っているのですから、大商人でしょう」
「すべては魔王様のおチカラなのですが」
「魔王様の信頼が厚い時点で羨ましく思います」
「ギュベイも重用されているではないですか」
「私は情報を頂かなくては最初の報告書すらまだ提出できずにいたでしょうから。自分の未熟さが嫌になりますよ」
そんなに謙遜しなくても良くやっているのだがなあ。
「ともあれありがとうございました。これで枕を高くして寝られます」
「いえ。お役に立てて何よりです。また何かあればご連絡ください」
「そのときは頼りにさせてもらいます」
ギュベイは音もなく立ち上がると、部屋を出ていった。