148.この辺の反応は姉妹で似ているな。
ミウの婚約者となった俺は、族長の邸宅の一室を与えられていた。
ディアリスとミウ、そして俺の三人が邸宅の住人だ。
昼間は家事などをするために使用人が来るのだが、同じ里の森人族であるので、夕方には自宅に帰る。
さてこのメルシヨン氏族の里において、今のところ俺の自室領域は邸宅の与えられた一室のみだ。
族長の婿になればまた違ったのだが、族長の妹の婿では里全体を自宅にすることはできないようだった。
……俺の今回の目的は世界樹の素材確保だから、メルシヨン氏族を庇護下に置くことじゃないんだよな。
これまで魔族を支配下に置いていたのとは違う状況だ。
というかこれまでがおかしかったのではなかろうか。
よく考えなくてもベルナベルのお膳立てにより、俺への隷属を強いられてきた魔族や魔王城の悪魔たち。
別にこのメルシヨンの森はアブラナサント王国から〈隠れ家〉で隠す必要もないわけで。
当初の予定通り、世界樹の素材の入手をなんとかしなければ。
朝食の席。
使用人が朝から来て用意してくれた食事は、森で採取できる山菜や魔物肉を使った食事だ。
主食は芋を練ったもので、この芋だけが里の農産物だった。
どうやらアブラナサント王国はこの芋を輸入しているらしい。
物々交換で王国の物産を入手する術は芋との交換のみとやや寂しい経済状況だ。
最後の俺の感想以外は食事の席でディアリスが語った話である。
「……まあ森に生まれ、森に死ぬメルシヨンの里の者たちが、アブラナサント王国の産物を欲しがることはそうないわ。せいぜい芋を作るための農具くらいしか必要なものはないわね」
「衣服はどうしている?」
「森になっている綿の実から糸を紡いで布を作れるわ。とはいえ布は多く作れないから、ちょっとした贅沢品として行商人が持ってきた反物と芋を交換することもあるわ。というか農具なんてそう頻繁に必要にならないから、生活に必要な細々としたものを交換しているわね」
「ふーん。里から出ないのは世界樹があるからか?」
「そうね。世界樹はメルシヨンの森人族が創世の女神と並んで信仰しているから」
「そうか。神聖視されているわけか、世界樹は」
「ええ。世界樹を見守り、成長を妨げるすべての輩から守ることが私たちメルシヨンの里の者たちに課せられた使命ね」
「誰から課せられた使命なんだ?」
「もちろん創世の女神様……の使徒様よ」
地球人か。
俺たち聖痕収集をさせられた地球人以外にも、過去に地球人が使徒としてこの世界にやってきていたことはブイユゲット王国の大神殿で知っている。
「ところでこの芋、アブラナサント王国を旅しているときに食べた覚えがないんだが。どこで流通しているんだ?」
「王族や貴族じゃないの? 私はそう聞いているけど」
「へえ。確かに美味いけど……王侯貴族が独占するほどか?」
「失礼ね。世界樹の苗木が植えられた森から取れる芋が普通なわけないでしょ」
「……どのように普通じゃないんだ?」
「健康に良いわね。毎日、食している私たちにとっては具体的に実感はないけど……森人族の寿命って二百年くらいじゃない」
「そうだな」
「メルシヨンの里の森人族の寿命はだいたい三百年くらいなの」
「長寿の芋なのか! 確かにそれは王侯貴族が独占したがるのも納得だ」
「まあね。人間族にどの程度、効果があるかは知らないけど。文句を言われたことはないから、効果がないわけじゃないんじゃない?」
うーん、そんな芋があるなら、錬金術で研究されていてもおかしくはない。
しかしそのような芋の存在は今日、初めて聞いた。
……芋は関係なくて、世界樹の傍で生活しているから寿命が伸びているだけなんじゃないのか?
科学が未発達なこの世界のことだ。
その辺のことをキッチリと調査をしていない可能性は高い。
まあ追求してその通りだったとしたら、芋の価値が大暴落するため手を出さない方が良いだろうけど。
ディアリスの視線が俺の隣に移る。
俺の隣ではミウが食事している。
食が細かったらしいミウだが、世界樹の実で健康体になってからよく食べられるようになったそうだ。
食事量が里の常人並みになったということで、重度のシスコンであるディアリスは食事どきにも妹を見て幸福感に浸れるらしい。
ていうか妹をおかずに食事をするんじゃない。
「では俺も世界樹に挨拶くらいさせてくれよ。このメルシヨンの里の一員になるんだから、いいだろ?」
「構わないけど……」
「じゃあ決まりだな。午前中でいいか?」
「午前中は私、執務があるから午後にして」
「じゃあお姉ちゃんの代わりに私が案内します」
ミウが無情にもディアリスを排して俺とふたりで世界樹見物に行くと言った。
ディアリスは涙目になりながら、「え、午後まで待って三人で行きましょうよ!?」と言うが、ミウはすげなく却下した。
ディアリスの内心を知ってから遠慮がなくなったなあ。
ミウは決して姉のことが嫌いになったわけじゃないのだろうが、ディアリスが過度な愛情を隠さなくなったため、やや辟易としているらしい。
そりゃノーマルのミウにとって実の姉から色目を頻繁に使われては神経がすり減るのも分からないでもないが。
かくして食後、散歩がてらディアリスを置いて世界樹の見物に向かうことになった。
「お姉ちゃん、少しタガが外れている気がするんです」
「そうだな。ちょっとキモくなったよなあ」
「そうなんですよ。私のことが好きなのはいいんですけど、使用人の目がないところでの視線がねっとり絡みついてくるみたいで……ちょっとキモくなりました」
「それは辛いなあ」
ふたりでディアリスへの愚痴を言い合いながら、初々しく手を繋いで世界樹へ向かう。
なにせ婚約が決まってから三日ほどしか経っていたいのだ。
ふたりきりになる時間はディアリスが族長として忙しくしている間だけだし、ミウはこれまで邸宅から出たこともほとんどないから話題が乏しい。
それでも里を案内してもらったりしながら、こうして手を繋ぐくらいでいちいち赤面するようなこともなくなってきた。
最優先で世界樹に案内させたかったところではあるが、メルシヨン氏族にとって大事にされている苗木だけに厳密にはまだ結婚していない余所者を連れて行ってくれるかどうか判断がつかなかったのだ。
しかし今朝の話の流れで案内してもらうことは可能だと分かった。
見るだけなら大丈夫、その程度の信用は勝ち取っているらしい。
里から一旦出て、森の奥へと続く道を行く。
「里の外にあるのか? 魔物対策はどうしているんだ?」
「この森の魔物なら世界樹には近づかないですよ」
「え、どうしてだ?」
「世界樹が自分で追い払っちゃうからですね」
「……世界樹の苗木って植物系の魔物みたいに動くのか?」
「魔物扱いは駄目ですよ。でもええ、その通りです。凄く強いんですよ、世界樹」
「へえ」
どのくらい強いのだろう。
実とは言わないから、葉っぱくらいはもらえたりしないだろうか。
五分程度歩くと、広い空間の中心に一本だけ鮮やかな緑色をした葉をつけた異質な木がある。
背筋にゾクリと悪寒が走る。
何かされたか?
「すごい迫力でしょう? あれが世界樹です」
「ん、ああ」
〈危険感知〉は発動しなかったから、害を加えられたわけではなさそうだ。
ミウはそのままズンズンと進んでいく。
手を繋いだまま、俺も近づいていく。
世界樹の根本に辿り着いた。
ミウは手で樹皮を撫でた。
「私の婚約者を連れてきました。これから里の一員になる人です。覚えておいてくださいね」
「言葉が伝わるのか?」
「いえ、分かりません。でも世界樹に話しかけている人は多いですよ。お姉ちゃんも、……両親もそうでしたから」
「そうか。俺も触って大丈夫か?」
「はい。優しく撫でてあげてください」
ザラリとした樹皮を撫でる。
植物系では極上の素材だなこれ。
〈魔力眼〉で世界樹の魔力を測る。
うお、ドラゴン並みかよコイツ。
聖痕収集の最後に立ちはだかった二千年クラスほどじゃないが、普通の若いドラゴン並みの魔力はある。
枝ぶりからして、ここは相手の射程内だ。
下手なことをして殴られたらミウも危険だ。
できれば〈緑の手〉を試したかったのだが、自重しよう。
周囲を見渡すが落ち葉もない。
「落ち葉はないのか」
「世界樹の葉が落ちるなんて聞いたことがありませんね」
「へえ?」
それは残念だ。
どうやったら世界樹の素材を入手できるのだろうか。
そのとき、ハラリと鮮やかな緑が視界に映った。
「えっ」
「落ちるじゃないか、葉っぱ」
俺は世界樹の落ち葉を拾う。
「ありがとうな、世界樹」
風もないのにザワザワと葉がさざめく。
こいつ言葉が通じるか、心の中を読むくらいはしてきそうだな?
「え、そのどうするんですかそれ」
「世界樹の葉は貴重な錬金術の素材になるんだ。俺をディアリスに紹介した奴は錬金術師だから、買い取ってもらうよ」
「ええ!? もったいない……凄く幸運なことなのに」
「そうだね、ミウが婚約の報告をしたからそのお祝いじゃないかな」
「そ、そうなんですかね」
「売ったら代金の半分はミウに渡すよ」
「えーと。ありがとうございます。いくらくらいになるんですか?」
「そうだなあ。〈相場〉にして金貨で50枚くらい?」
「ええと、それはすごい大金では?」
「まあね」
ほげー、と口を開けて目を丸くするミウ。
この辺の反応は姉妹で似ているな。