135.道は示した。
早朝、ベッドでカーシゃのぬくもりを楽しんでいたところ、外がにわかに騒がしくなっていることに気づいた。
青葉族の代表であるアーチャドが何か鋭い声で誰かを叱責しているようだ。
「……ん」
「ああ、起きたかカーシゃ?」
「はい。コウセイ様。……なにやら外が騒がしいようですね」
「そうだな。ちょっと様子を見てくる。危険かもしれないからカーシゃは待っていてくれ」
「え、はい」
やや不安そうなカーシゃの髪を撫でてから、俺は服を着て〈別荘〉から外に出る。
太陽が昇りかけている、まだ未明の時間だ。
アーチャドが青葉族のひとりを叱責している。
その傍らには酷い怪我をしているエルフの女がひとり、倒れていた。
俺はアーチャドに状況を確認すべく何気ない足取りで近づく。
「アーチャド。何があった?」
「これはコウセイ様。太陽も昇らぬうちから騒がしくして申し訳ありません。すぐにこの者を里から追い出しますので――」
「いや、状況を聞いている。そこのエルフはどうしたんだ?」
「それが、太陽も昇らぬ時間から出かけた若い狩人が、ご覧の通り人類の女を拾ってきたのです」
跪き、叱責を受けていた若い青葉族の青年が顔を上げた。
「ですがこのまま森に放っておけば、このエルフは死にます! どうか看病を――」
「くどいぞ。人類を里に引き入れるなどあってはならぬこと。看病してどうする? 傷が治ったら里の存在を知る者をここから出すとでも?」
「しかし……」
状況はだいたい把握した。
魔族は望むと望まざると人類と敵対しがちだ。
せっかく〈隠れ里〉で人類が入ってこないのに、里の存在がバレれば結界を突破しようとする者も出てくるだろう。
そうでなくとも周囲の森で狩人を待ち伏せる者が現れるやもしれない。
せっかく俺とベルナベルがもたらした平穏な生活を脅かす要因になりうるのだ。
「アーチャド。良ければそのエルフ、こちらで預かろうか? 怪我は俺が治せる。この森に人類がやって来ることはほとんどなかったはずだ。森で行き倒れていた経緯が気になる」
「……コウセイ様がそう仰られるなら」
「では俺の別荘に運んでくれ。客間があるから、そちらに。カーシゃは俺が守るから心配しなくていい」
「分かりました。おい、そこのエルフを運ぶぞ」
「は、はい。ありがとうございます、コウセイ様!!」
若い狩人が感謝を伝えてきた。
俺はふたりにエルフの女を運ばせて、〈別荘〉の客間のベッドに横たえてもらった。
怪我なら〈時間:治癒〉でも治せるが、どのくらい以前に怪我をしたのか分からない。
ここは新しく入手した〈癒やしの御手〉の出番だろう。
俺は手をかざしながら、エルフの女に〈癒やしの御手〉を発動する。
暖かな光が彼女の全身を覆い、またたく間に傷が癒えていく。
数秒程度で傷はすべて癒えた。
消費魔力は結構なものだが、俺にとっては大した量ではない。
とりあえず〈簡易人物鑑定〉を使う。
《名前 ディアリス・メルシヨン 種族 森人族 性別 女 年齢 27》
珍しく姓があるな。
服装は一般的な古着ではなく、新品の生地だ。
もっと言えばかなり高級な衣服じゃないだろうか?
武装の類はない。
人気のない森に用事があるようには見えなかった。
若い狩人は帰し、念のためアーチャドが残る。
カーシゃには俺が一旦、客間を出て事情を説明して、客間に近づかないように言っておいた。
「……う、ん?」
しばらくすると、ディアリスが目を覚ました。
そして俺とアーチャドを見て、困惑した表情で身を抱くように壁際に寄った。
「目が覚めたようだな。ここは魔族の里だ。森で倒れていた君を助けたもの好きがいてな。怪我は治した。なぜ森にいたんだ?」
「……魔族の里? なぜ人間族がいる?」
「問うているのは俺の方だが……まあいい。俺はコウセイ。見ての通り人間族だが、この里は俺の庇護下にある」
「悪魔は?」
「いない。魔王に下ったそうだ。戻ることはないだろう」
青葉族を産んだ悪魔とは魔王城で会っているのだが、平穏な魔王城の暮らしに馴染んでおり今更、青葉族のところへ戻ることはないと思われたので放置している。
ディアリスは何事か逡巡し、その身の傷が消えているのを確認してから、俺に強い視線を向けた。
「身勝手を承知でお願いがある。この里に匿って欲しい」
「匿う? 何者かに追われているのか?」
「私の名はディアリス。ディアリス・メルシヨン。森人族の森に住むメルシヨン氏族の族長の娘だ。私は森に追われている。このままでは、殺されてしまうだろう」
ディアリスは悲壮感に満ちた表情で言った。
しかしよく分からない。
「メルシヨン……氏族? アブラナサント王国での扱いはどうなっている?」
「森は独立自治権を持っている。森で生まれて森で死ぬのがメルシヨン氏族の定め。しかし私は……掟に背き、森から追われる身となってしまった」
「族長の娘が命を狙われるほどか。何をしたんだ?」
「それは……」
「隠し事はなしだ。事情を明かせないなら、森に放り出すぞ」
「む。それは困る。……私が犯した罪は、世界樹の実を摘んだことだ」
「世界樹?」
ファンタジーではおなじみの単語だ。
錬金術のレシピでも見かけた単語でもある。
だがそもそも〈監視衛星〉で見た限り、そんな巨大な樹木は存在しなかったと思うのだが。
「そうだ。メルシヨン氏族が守るエルフの至宝。世界樹の苗木だ」
「苗木、ということは大きくはないのか」
「大きいぞ。苗木の時点で普通の樹木と変わらないくらいの大きさはゆうにある。育ちきれば、天を衝くと言われているが、何千何万年とかかるらしい」
気の遠くなる歳月を経れば、俺のイメージ通りの世界樹になるらしい。
「で? その氏族が大事にしている世界樹になっていた実を摘むことが重罪だというのは想像できなくはないが、なぜそんなことをした?」
「妹の病気を治すためだ。世界樹の実はありとあらゆる怪我と病気を治すと言われている。死病に冒された妹を救うには世界樹の実に縋るしかなかった。しかし父上を始めとした氏族の者たちは、世界樹の実を使うことに反対した。だから私がやったのだ」
「……妹ということは族長の娘だろう。なぜ氏族は世界樹の実を使わないと決めたんだ?」
「ミウ……妹はもともと身体が弱かった。それが病に冒され、寿命が尽きようとしていた。氏族の見解では、もともと森に還る定めのミウが少し早く亡くなるだけだ、ということらしい。しかし私にとっては可愛い妹だ」
「それで命がけで世界樹の実を盗み出して妹に与えたわけか。事情は分かったが、身体の弱い妹さんの病を治しても、命は長くないのだろう。ディアリスがいくら妹思いでもリスクとリターンが釣り合っていないのではないか?」
「いや。世界樹の実を与えたのだ。ミウの病弱な身体も健康になるだろう。長生きすると思う」
「それは……凄い効果だな」
「だからこそだ。貴重な世界樹の実を使い、実の効能を知る私が森を出た。氏族は総力を上げて私を殺そうとするだろう」
「それで匿え、か。なるほどな」
「氏族の連中も、魔族の里に匿われているなどとは思うまい。今は手持ちにないが、戦斧を使わせれば右に出る者はいない。私を傭兵として雇ってくれ」
さてこれ、どうしたものかね?
ディアリスが善人なのは伝わってきたが、正直なところ厄介事である。
割りと酷く傷を負っていたということは、森に痕跡が残っている可能性がある。
いくら〈隠れ里〉があるとはいえ、魔法を解除する方法を氏族がもっていないと断定するのは楽観的に過ぎるだろう。
ただ匿うだけでは、いずれ見つかる気がする。
「ディアリス、君の罪を帳消しにする手段はあるか?」
「そんなものがあればとっくに……いや、ひとつないでもないが……」
「聞かせてくれ」
「氏族の族長を私が継ぐことだ。つまり両親を殺して私が次の族長になる。そうすれば罪は帳消しにできる。だが……そんな方法は……」
「ディアリス、この魔族の里は通常、入ることの出来ない結界に覆われている。君がここに匿われ続けると、君の氏族が結界に気づく可能性が高い。だから匿うという話は受け入れられない。だから選べ」
俺が提示するのはふたつの選択肢。
「ひとつは自らの命を諦めること。死して氏族とやらのもとへ君の死体を送り届ける。もうひとつは、君が両親を殺して族長になることだ」
「――――ッ」
「どちらを選ぶ?」
道は示した。
後はディアリスが選ぶだけだ。