2-29.眠る彼女に迫る魔の手
『裁判官と公証人のギルド』の一室。 部屋には、『ヴェセックス魔女魔法使いギルド』への査察で、押さえた書類を 詰めこんだ木箱が、所狭しと 積まれている。
その男の手は、机の上の書類を 1枚取り上げた。
フローラン・トライスラー・・・『魔女魔法使い人民法廷』という 特別法廷の長官を務めた偉大な 元 裁判官。 そうして、今回の魔女魔法使いギルド 査察の 責任者。
彼の視線は、手に持つ書類に向いている。 しかし、その視点は、書類の上にはない。 彼が見ているモノ・・・ その視線の先には、かつて 己が入学することが 叶わなかったあの学院があり、その学院長のポストがあった。
「こんな ギルドのお抱えで、終わるわけにはいかない。」
手に1枚の紙きれを持ったその男は、彼のために用意された その部屋の粗末な椅子に座り、小さな声で、そうひとりごちた。
[風と水の魔法使い] 【 2-29.調理実習室でアレを作ろう 】
ベッドの上で眠るケイシーに、危機が迫っていた。
それは、チュンチュンと鳥のさえずりが聞こえ始めたころ。 まだ、空の明るんでおらず、日の出 直後・・・。 春の曙といった時刻であろうか?
ケイシーの様子をうかがっていた、その小さな影が、彼女のベッドの上に、するりとよじ登った。
怪しい手は、そのまま ケイシーの顔に 迫るっ。
はっ!
「むぐっ・・・ むぐむぐむぐ・・・ がががっ。」
そう、恐ろしいことに、小さな影が、その両手で、ケイシーの鼻と口を塞いだのだっ。
「うぐぅっ。 ぷはぁぁぁぁあぁぁっ。」
「どう? 必殺っ! 口と鼻ふさぎっ。」
「オリヴィアっ。 私を、殺す気? っていうか、今、必殺って、言ったわよね? 殺意アリアリよね?」
「だって、起こしてくれるって言ってたのに・・・。 ケイシーったら、ぐぅぐぅ寝てて、起きてくれないんだもん。 って、またお布団にもぐりこんだぁ。 もぉ、寝るなぁぁぁぁぁあ。」
二人が、わざわざ、朝早く起きたのには、ワケがある。
「マフィンが、食べたいっ。」
ケイシーが、そう言い出したのだ。
きっかけは、カフェ ラヴェッロの あのマフィン。 先日、お土産に持って帰ってもらった キャラメルマフィンの残りを、オリヴィアが、お部屋で こっそり もぐもぐしていたのだ。
「私のが、なぁぁぁいっ。」
そう、ケイシーは、自分用のお土産は、買っていなかった。 でも、目の前で、オリヴィアが、もぐもぐ していて、おいしそう。
欲しいのに、無いっ!
ということで、日曜日、朝早くから、マフィン作りを することに なったのだ。
「大丈夫なの? 作り方とか、本当に、分かってるの?」
心配してたずねるオリヴィアに対して、「大丈夫、大丈夫。 やったことないけどっ! あのね、明日の午前中なら、調理実習室を使っていいんだって。 私が起こしてあげるから、安心してっ。」 ・・・ たしか、そんな返事をしていた気がする。
うん。 目の前で 二度寝をしようとしている ワガママ女子が、そんなことを、言っていたはず・・・。
ベッドの上で、ケイシーに またがるオリヴィアは、このあと、『必殺っ!首絞め』を使用するか、『必殺っ!顔に濡れタオル』を使用するか、どちらかの選択を 迫られることに なったのであった。
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「もぉ、あっつい。 顔に 火傷したらどうするのよ。 女優デビュー、出来なく なっちゃうじゃないっ。」
ケイシーは、熱い濡れタオルは、お気に召さなかったみたいっ。 次回からは、『必殺っ!顔に濡れタオル』じゃなくて、『必殺っ!季節外れの あつあつオデンのはんぺん』を 執行するのが、正解かな?
そんなことを思いながら、ケイシーの ベッドから滑り降りる。
「ねぇ、材料って、どうなってるの? ケイシーを見てたら、すごーく 心配に なってきたんだけど・・・。」
やっとのことで 起き上がって、着替えを始めた ケイシー。
私が、隣で並んで お着替えをしながら、たずねると、意外な答えが 返って来た。
「あぁ、大丈夫、大丈夫。 材料も、朝ごはんも、それどころか、お部屋のカギとか そういうのも、頼んでるからっ。」
エセクタの職員さん、いつから そんなにサービスが、良くなったのよ。 なんか、逆に怖いわ。
「あのね。 私も、そこまで 期待して いなかったんだけどねぇ。 オリヴィアの名前を 出したのよ。」
ちょっ、私の名前? なんで、そこで、私の名前が 出てくるのよ。
「そしたらさぁ、向こうが いきなり 目を キラキラさせちゃって。 朝食の準備から、鍵の用意から、材料の準備まで、ぜぇぇんぶ、あっちで 用意してくれるって・・・。 ホント、オリヴィアって名前・・・ あの論文発表の後、スゴく効果的な パワーワードになった って 感じっ。」
ウソでしょ? あの論文を発表したことが、エセクタの職員さんに、そんなに影響を及ぼしているなんて、聞いたことないわよ。 でも、裏では、そうなのかな? めちゃくちゃ 好待遇になってるってことかな?
「うん。 だから、心配しなくていいのよ。 だから、私、早起きは、しなかったの。 本当は、もうちょっと 寝てても、大丈夫 だったんだよねぇ。」
っていうか、それを早く言ってよ。
ケイシーが、午前中しか、調理実習室を使えないから、早起きして、準備しないと・・・ って言ってたから、私、無理したのに・・・。
髪を くしで整え、ぷぅぅっと、頬を 膨らませる。
服を着終えたら、カバンに ちょこっとだけ荷物を詰めて、調理実習室に行く準備は、OKっ。 あっ、使い捨ての 小分け容器を 入れるのを 忘れてるっ。
「ちょっと、オリヴィアっ、まだ? 遅いわよ。 さっさとしないと、置いていくよっ。」
えーと、ケイシーさん? 私、あなたを起こすのに 時間を取られて、用意が 出来てないんですけど・・・。
ドタバタは、したけれども、余裕 たっぷりに 寮を出たら、テクテクテクっ。 2人で、おしゃべりしながら、廊下を歩く。
調理実習室は、もうスグだ。 ふっと、前を見ると、ルームサービスで、食事なんかを運ぶ ホテルカートのような運搬台車が2台。 そうして、その上には、白い布が、かけられている。 たぶん、あの台車に、食材なんかが、積まれているんだろう。
「ほらね。 見てっ。 用意できているでしょ?」
うんうん。 朝早くから、ご苦労さまだわ。 ありがとうございまーすです、エセクタの職員さまっ。 あぁ、でも、職員さん、ここには いないんだね。 置いて、職員室に 戻っちゃったのかな?
ん? あれ? それは、おかしいっ。 職員さんが居ないのに、調理実習室のカギは、どうやって 開けるの?
疑問に思った私は、慌てて ケイシーに たずねた。
「ねぇ、ケイシー、カギも 用意してくれてるって、言ってなかった?」
「うんっ。 カギも、貰ってきて くれている はずだよ。」
も・・・ 貰ってきてくれる??? い・・・ 嫌な予感しかしない。 私は、パタパタと小走りで、ホテルカートのような 運搬台車を 置いてある場所に 駆け寄った。
廊下の端っこ・・・ 台車の影っ。 体育座りで 居眠りしていたのは、小さな影・・・ 私は、思わずケイシーに 向かって 怒鳴りつけた。
「ケイシーのばかぁ。 ルナを いいように 使うなぁぁぁぁぁぁぁあ。」
朝の早い時間、廊下に響きわたった 大きな声っ。
ルナが、私の大きな声に、びくっと 反応して、顔を上げる。 そうして、体育座りのまま、小さな声で 言った。
「あっ、オリヴィア、おはようっ。 朝のサンドイッチ、このカートの中に あるから、一緒に食べよっ。」
うぅ・・・ この子、いい子過ぎる。
キラキラとした瞳の ルナを前に、私のお腹は、ぐぅぅぅっと 大きな音を たてるのであった。
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